Yoyumeからのメッセージ 2001年6月1日
皆様ご機嫌よう。
ナバキ、この度母上さまは実存界に無事戻られました。おめでとうございます。ご自分で帰りたいと思って帰られたのでナバキが心配する事は何も無いが、長い地上生活だったのでこちらの世界で順応するのに無理があるのでしばらくお預かりして2ヶ月くらいたてば光の国に行けると思います。ナバキが敢えて母上のために祈る必要は無いのですよ。
パファー、貴方に約束したように信仰と叡智について先日導きをさせていただいたがあの時は色々私共も忙しくて十分説明できなかった。付け加えておきたいことが少しばかりある。
叡智と信仰には直接関係は無いが、よく皆様ご大霊、神に感謝 有難いと思ったときどういう形でこたえればいいのかなと考えているが、皆様夫々が考えている事に間違いがあるので訂正させていただきます。ご大霊或いは神に奉仕するという事は皆様の同胞、仲間、お隣りの人、日々接する、出会う方々に奉仕する以外に実は無い。それを心にとめておいてください、同胞への奉仕がご大霊への奉仕です。よろしいですね。
それでは叡智と信仰に戻るが、聖書、仏典は本当に素晴らしい教本だがそれにも増して素晴らしい教本がある。皆様それは何だと思いますか?
アナハラセ、答えてください。 貴方ですアナハラセ。現代名は… 英語で言うと… 英語の言葉を今は思い出せないが、今私が尋ねた、仏典、聖書にも勝る教本−学ばせていただく本−はなんだと思いますか?
Anaharase(アナハラセ): それは古い本ですか?
Yoyume(ヨユメ): 本にこだわらなくてもいいです。教本、教える本。私共にものを学ばせてくれるということです。
皆様: (話し声 よく聞こえない。)
Y: トコロ、なんだと思いますか?
Tokoro(トコロ): (よく聞こえないが)人々の生き様だと思います。
Y: 他に答えは?
皆様: (沈黙)
Y: それは森羅万象。
この自然界で起っている全てのことです。木の葉が風にそよぎ、小鳥がさえずり、小川が流れ、そういった森羅万象が何にも勝る教本。と言うのはどれだけ科学が発達して皆さんがどれだけ勉強して豊かな知識を身に付けても森羅万象は皆様の手で作られない。ご大霊の意図によってつくられるものだから。従って森羅万象を教本としていつも宇宙の自然の法則に則って日々生活すると自ずから与えられる啓示がある。その啓示を叡智と言う。
そしてその法則に則って全てと共存しながら、同胞どうし仲良くは当然のこと、存在する全てのものと共存してお互い 共生して学ぶ術を身に付け、その為に日々精進するのが信仰。
経典の教義がどうでもいいと言っているのではない。立派な事が書いてあるが信仰とは違う。教本として考える事は 差し支えないがそこに信仰があると努々考えないで下さい。教本に書かれてある教義というものは神と皆さんの間に壁を作る。ご大霊と一体になるには皆さんが回りにつくった幾重にもある壁を取り除いた時ご大霊と一体になる。従って三次元世界で得た知識、知恵、教養といったものを必要と考え、経典に書かれてある教義を学び、そしてそれを信じる事を信仰と呼ぶのならその解釈はとても三次元的の信仰。
パファに対する私共の答えはそういうものです。
パファ: わかりました。
だからドグマ(?)について信仰は矛盾しないと言ったのです。何度も言いますが、言葉にして表すのは難しい。
お別れする前にナバキに聞きたい事があるのですが、もし聞き届けられるなら、お母様に伝えたい事がありますか?
ナバキ: 感謝の気持ちを伝えたい。今度生まれてくる時もお母さんの子供でありたい。
Y: わかりました。ヨユメが責任をもってお伝えします。
それでは皆様ご機嫌よう。