Yoyumeからのメッセージ   2001年07月13日 

ヨユメ: 皆様、ごきげんよう。
皆さん: ごきげんよう。

ヨユメ: お導きに入ります前にお伝えしたいことがいくつかございます。
まず、シャマナのことでございますが、ヒーラーとしての歩むべき道を歩み出しました。これから私共にその準備のために手を使わすことになるのですね。彼女の食べ物の嗜好が変わったり、食が急に細くなったり、時には大食をしたり、という風に不可解な事が起こりますが、それについて皆様方が心配なさらなくとも宜しいということをお伝えしておきます。併せて体重が減るという現象が起こりましても病気ではないかと医者にみせに病院に行けというようなことは仰らないで下さい。彼女が世のため人のために人様を癒すという使命に目覚めましたならば私どもが彼女を守ります。ヒーラーとしての道を歩みつつ、かつこうして皆様へのお導きの媒体となる二つを両立させていくことは難しくなるかもしれません。本来はシャマナの体を借りていろんな方に真理のお導きをするというのもこのような形で即ち、シャマナの体を借り、シャマナが完全に意識を無くすというそのようなかたちで行うつもりではございませんでした。瞑想の時、あるいは日常生活の中においても私、あるいはその他の先生方からの啓示を受けられるようになっておりましたが、そしてその当時の皆様方、或いは接する人にお伝えするようにと申しましたが、疑い深いというのでしょうか、彼女はいつも「どうしてそれが高次元の守護霊様あるいは先生方からのメッセージだと分かるのですか?」、「頂いたメッセージが以前の心の潜在意識から出たものでないとどうして言い切れるのですか?」、といつもいつも心の中で繰り返しておりましたのでこれではダメだと思い、彼女の意識を完全に眠らせてこういう形を取りましたのなら彼女自身も納得すると思ったからでございます。今のシャマナは瞑想に入らずとも私共からの啓示を殆ど受けることが出来るようになっております。シャマナの言葉でシャマナの声でシャマナの口から出る言葉、シャマナは自分が考えて言っていると思っている言葉の多くが私共からのメッセージであることが多くなってきております。いつの日にかはシャマナが座って波動を合わせさえすれば受けた啓示をすぐその場で言葉に出来るようになることを望んでおります。その方がシャマナの肉体にも負担がなくなって宜しいのです。

それからもう一つ、シャマナがこれから色々な意味で忙しくなり、このお集まりに出られないということも起こることになると思いますが、その時にはこの中の何方かが真理のお勉強が出来るように運んで下さらねばなりません。

それからアトシエ、
アトシエ: はい。
ヨユメ: 貴方様には大事なお役目が与えられているのですが、一向に気付いて下さいません。
今も皆様がたで強制するものではない、自ら気付くことに意味があるというお話をされていましたが、本来そうあるべきところ、ここにいらっしゃる皆様ご自身がそうではないのです。いつも結局は私が強制することになっているではありませんか。 
アトシエ、貴方はこの霊的真理−英語で申しますとspiritualism−のことを正しく学ばれて、英語しか理解できない方々をお導きするお役目があるのです。心を入れ替えてお勉強に入ってください。貴方には出来るからこそさせられた使命でございます。宜しいですね。
アトシエ: 分からないことですから誰かに聞いてします。
ヨユメ:お導きと申しましても別段これをというものを考えたわけではありませんが、先日、皆様方にご説明しようと思いながらそのままになっていることについて少しお話したいと思います。
その前に恐れ入ります、シャマナにお水を与えてください。

皆様方に時々メッセージをお送りしております。夫々に、またある時はシャマナを通じてお送りしております。その中で皆様方が何かをしようという気持ちになって頂いた頃合を見計らって差し上げておりますが、一向に何方もなさろうとしないのです。皆様方のお考えを聞いておりますとそれよりもっと大事なやるべきことがあるのではないかということでその問題は忘れられているようでございます。何かをしなければならないと決断するときに慎重になるということも大事でございますが、その慎重になるということがどこから来ているのかを明することはもっと大切でございます。決断すれば行動を起こさなければならない。その行動を起こすことへの躊躇いが慎重にさせているのでは、なんでそうか?また、行動は一体化するものでございます。うまくいかないのではないか、やる前から心配をしたり、また行動を起こすということは犠牲を強いられます。時間と労力、苦労が絶えません。そういうことへの躊躇い、そういった意味で慎重になるというのはそういうことに対する言い訳でしかないわけです。それからもしそうなればそれよりもっと何か大事なことがあるというなら直ちにその大事なことをおやりになれば宜しい。しかし、何か他にもっと大事なことがあるような気がするけれどそれが何かわからないという状態では何もしないまま終わってしまいます。
例えば、そうですね、このように申し上げればお分かりいただけるでしょうかね。何か世のため人のため人助けをしたいと決心しますね。ある人は何か手近なあるさりげないことから始めます。大して意味も意義もなさそうだけれどもある一部の人はそれで喜んでくれる。或いはごく少数の人だけれども困った人たちが助かるというそういうことからやり始めます。だけどこの中の皆様方はそんなことよりももっと大事な人助けがあるだろう、そんなことではなくて何かあるはずだろう、何かあるはずだ、何かあるはずだと考える。そうだ、一番大切な大きな人助けは人命救助だと考える。そして大きな浮き輪と救命胴衣をさげて海辺に行って毎日毎日、溺れる人がいたら命を助けてやろうと岸で待っているようなものなのです。そうするうちにどんどんと日は過ぎて溺れる人が来なかったら大きな志を抱いても何もせずに終わってしまうのです。
与えられたさりげない使命から兎に角手をつけるのです。やり始めれば道が見えてきます。何でもやれと言っているのではございませんよ。もし皆様が考えてこれは間違っている、やってはいけない、と皆様の理性が許さないのならお止めなさい。たださっき申しましたようにもっと大事なやるべきことがあるのではないかという、それだけのためにやるべき事を後回しにするというのはどうかと思います。

皆様方の世界で考える、判断なさることと私共の世界とではずいぶん開きがございます。何と言っても大きな開きがございます。こういう真理の勉強をなさるときにはよく話題にされる言葉ですが、道徳とか罪を犯す、この罪ですね、親切、こういったことを皆様の心の中で考えられているものとこちらの世界、本当の意味での罪、親切、道徳、こういったことの違いには大きなものがございます。
例えば罪を犯す。簡単な一言の言葉で言えそうですが、罪を犯すということはどういうことと思われますか? トータ、貴方のご意見は、罪を犯すということはどういうことをすることと思われますか?
トータ: 不調和ですね、調和しないこと。
ヨユメ: 他に何方かお答えをおもちですか?
パファ: 人を苦しめること。
ヨユメ: 人を苦しめるということですね。他には?一つ一つではなく、総括的に言えばどういうことと思われますか?
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: 人を苦しめることは罪です。間違いない。人と不調和をおこすことも罪でございます。こうして一つ一つあげていくのではなく、私が申します罪を犯すということを一言で申しますならば霊的真理の摂理に則っていない行動を起こすことを罪と申します。皆様がたの世界にある法律を破ること或いは皆様方の世界で言う教義あるいは各宗教で言う教義に定められた掟−規則―を破ることを罪とは申しません。霊的真理に反する行いは全て罪となります。宜しいですか。

それから道徳ですよね、道徳的とかそうでないとか、これは結構難しいのですよ。道徳とは何と思われますか、トータ?
トータ: 答えは字の如くです。人生を自分の行く道をここまで歩んできた。
ヨユメ: トータは今、字の如くと言いましたね。
トータ: はい。
ヨユメ: いいところに気付かれたのですが、そこで残念ながら外れてしまいました。道を何と仰いましたか?
トータ: 皆の歩む道ですが、歩く道ではないのですが、人生において道は言われたように真理の道ですね、そういう。
ヨユメ: あっ、そうですか、 私は貴方に教えられた思いがしたのですが、残念でした。
トータ: 徳の道なんですよね。
ヨユメ: それなんですよ! 徳の道をいくこと。
トータ: それを言いたかったのですけど。
ヨユメ: 分かっていて言えないのも困りますね。
徳の道を行くということですが、それはですね、皆様方が今までの人生で悟られた、これこそが一番考え方で、いい方法であるというその方法を誠実に守って生きていくために努力するその目標設定を道徳というのです。従いまして道徳の基準はこれこれですと書けるものではなくて、夫々変わって参ります。自分が悟った−これこれが正しい道ですと悟った-その道に忠実に生きていこうとする努力、目標を道徳と申します。
さり気なく、日常何気なく使う言葉、そういう言葉こそ難しいのです。正しく理解しなければ真理の学びはございません。

もっと簡単に日常使われております親切。親切とは何でしょうか?親切って何と思われますか、アナハラセ?
アナハラセ: 人に優しくすることですか?
ヨユメ: それは皆様の次元で一般的に思われている答えでございます。それを超えて真理の世界での親切とは何か、もう一歩踏み込んで考えてください。
アナハラセ: 夫々の使命を実行出来るようにしてあげることですか?
ヨユメ: それもそうです。それは良いお答えです。それはそうです。その答えと最初の答えを比べただけでも大変な進歩がございましょう? 出来れば三次元的なありきたりなお答えを卒業して、一歩踏み込んでお考え下さいね。
そして親切というのはいつもこれはあの人にとって親切になるからしてあげようと思って自分ばっかり親切にすることが殆どなのです。それがようく考えてみますと自己満足、自己実現以外の何もないことなのですよ。親切というのは相手の方が自分にして欲しいと願っているだろうことを察して、相手の望むところをその方のためになると信じて行うことです。ご自身がしてあげたいことをするのは親切ではございません。パケサ−、分かりましたか?
パケサ−: はい、分かりました。

ヨユメ: そのように日常さり気なく皆様がよく理解していると思っていることでもそれほどの理解しかないのです。     まだまだお勉強なさらなければなりません。その為に私がお導きに降りて来ているのですが、そうですね、この辺りで少し私は当てにされずにもう一度皆様ご自身で学ばれることも必要かもわかりませんね。ご自身で気付かなければならないことがたくさんおありです。私共もそれを見ておりますが、夫々の方にその気付きがございません。人様のことを言えた立場ではございませんよ。そういうふうに沈んでしまわれますけれど昔を振り返れば大きな大きな進歩がございます。波動も高くなっております。それは良いことでございます。これから皆様が取られる道はより一段と険しく、厳しいものになっていきますから時々こうして私は皆様に厳しいことを申し上げなければなりません。これもヨユメのお役目でございます。私がどんなに皆様に厳しいことを申しましても私の皆様への大いなる愛はお感じ下さっていることと思います。私共はいつも皆様方と共にいます。皆様方でご自身のことだけを考えず、世のため人のため考えられれば考えられるほどに私共は皆様のお側近くでお手伝いをさせて頂くのです。何度も申しておりますね。それを信じてくださること、それが信仰でございます。

それでは最後に質問があればお受けします。何方か、質問がございますか?もし、無いようでしたらシャマナが疲れてきているようなので皆様、ごきげんよう。
皆さん: ごきげんよう。