Yoyumeからのメッセージ   2001年10月19日 

ヨユメ: 皆様、ごきげんよう。
皆さん: ごきげんよう。
ヨユメ: お集まりになって、皆様でお話なさっておられる内容に耳を傾けておりました。
戦争の背景、その本当の背景というのはいつの世にも明かされないことが多いのでございます。あらゆる戦争というもの、その背景、皆様は学校で、教科書の中で学んでこられたと思いますが、所謂、たてまえ、表向きの背景だけが述べられております。今の戦争が実際はどうであるかということは別にいたしまして、いつの日かアメリカでありました、
南北戦争の背景にありました事実をお知らせしましたところ、皆様は大変驚かれておりました。戦争の話ばかりして、皆様の気持ちを暗くするつもりはございませんが、今、やはり戦争というものに直面しておられる限りは何らかの意味があってこれを学ばされていると理解ください。そして我が身に降りかからないからといって、人事にしないで、真剣に物事を見て、考えてください。それに戦争というのは大きな大きな問題です。ご大霊の意図に背く、摂理に-また、ご大霊の法にー則った生きかたのその反対でございます。そういう生きかたをまず、抵抗もなく選択するということは大変恐ろしいことでございます。近代史における所謂、侵略戦争というものは経済的なものが理由となっていたり、ほんの小さな事件-小さなと言えば語弊があるかもしれませんが-例えば国の皇子の暗殺だとか、そういった事件をきっかけに始まることが多いですが、それは口実でしかないことが殆どです。
近代の最後の二大戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦の発端となりましたのは日清戦争にございます。小さな島国の日本が大国-清国-を相手に打ち負かしてしまった。世界中が、それ以来日本に警戒心を抱くようになって、そういうところから第一次、第二次世界大戦が起こったのです。
日清戦争は日本が始めた侵略戦争の最初のものでございます。日清戦争はもとをたどりますと、阿片戦争により打ち負かされて弱った大国「清国」に、日本が弱みを狙って侵略していった戦争です。属国、朝鮮を侵略し、不公平な条約を取り交わしていた日本と中国との戦いであると教えておられると思いますが、日清戦争は阿片戦争に端を発しております。
阿片戦争、これもまたあの有名な清国の総督−林則徐−が、阿片を清国から撲滅するためにイギリスの商館、倉庫など、阿片を全部焼き尽くしたところから始まりました。そしてこの阿片戦争は、一応皆様はこのように教えられていると思います。絹とお茶を中国から輸入していたイギリスが、清国に流出する銀をとめるために、中国に何かを買えと言ったら、中国はイギリスから買う物はないと。そこで、イギリスはインドで取れる阿片を中国にばら撒き、たくさんの中国人を阿片患者にしたて、それから阿片をどんどん中国に輸出するようになり、逆さまに銀は中国からイギリスに流れていった。それは表向きの-表面上の-背景でございます。しかし、その前に、実は宗教がこの戦争の発端になっていることは知られておりません。清国の当時の皇帝−ようき帝−のときに、大きな中国でキリスト教の布教を始めれば、それこそキリスト教は確固たる地位を築くということがあって、大変活発な布教活動が始められたのです。その時に戦争はしたくないので、キリスト教の布教は認めるが、そのかわり従来からある儒教ですね−孔子の教える儒学−を平行して崇拝させてほしいという時の清国の申し出を、ローマ教王は認めないと頑なに退けたのです。それで、清国のほうで政府高官は怒り、それでは清国とイギリスの貿易を規制すれば、キリスト教の布教を止むだろうと、貿易規制にのりだしたのです。その貿易制限に業を煮やしたイギリスが、阿片を中国にばら撒いたのです。中毒患者というものは悲しいもので、それが欲しくなりますと、貿易が制限されれば、密輸をしてまで手に入れるものです。そして夥しい数の阿片が密輸されたのです。それでイギリス商館、倉庫を焼き払って、そしてそれを口実に制限貿易を解き、あわよくば清国の一部を植民地化しようとして始められた戦争が、阿片戦争です。
このように、宗教が戦争を生んできた経緯がたくさんあるのです。
宗教が悪いと言っているのではございません。宗教とは何ですか?お話したことがあると思いますが、憶えていらっしゃる方はおられますか?一言で宗教とは、いえ、一言ではないですね。簡単な言葉で宗教とは何かとお教えしたことがございます。憶えておられますか?何方か?
トコロ: 人のために生きることです。
ヨユメ: そうです。宗教とは奉仕すること、世のため人のために生きることが宗教なのです。ですから宗教は悪いのではないのです。しかし今、皆様方が使われる言葉で宗教、それしか言い様が無いから宗教と呼んでおりますが、むしろ問題になりますのは、教でございますね。教というのは何か、お分かりですか?何方か?英語ではDOGMAと申しますね。教義が問題なのですよ。
教義とはある特定の宗教だとか、宗派の信じるところ、もしくは教えるところ、それを唯一の真理として認めたものということになりましょうか。それと今皆様方が、宗教とお呼びになっていらっしゃる中には、便宜上、特に税金対策のために宗教法人というものに名を連ねていて、内容は宗教でないものがたくさんございます。皆様方が学んでおられる、私がお導きに降りて参ります真理ですね、真理の学びspiritualismというものを広めながら、宗教法人に入っているものもございます。そして逆さまにspiritualismと言いながら、宗教法人に入った他のどの団体よりも教義で人を縛り付けていることもございます。Spiritualismというのは、materialismに対してのspiritualism、唯物主義に対しての唯心主義。唯心論、唯物論とも言います。そういう幅の広いものなのです。
大切なのは何と呼ぶか、何を信じるかだけではなく、どう生きるか、どう行動するか、どう考えるかです。仏教徒、キリスト教信者と言って、毎日お経を唱えたり日曜ごとに教会に行く人たちのなかに、キリスト教の教えを実行して生きていない方がたくさんおられます。その方々は本当に信者ではないですよね。何をどう呼ぶか、容れものに貼ったレッテルはどうでもよろしいのです。中身をご覧になってください。そして中身が立派でも、中身がどんなものかということを知っただけではダメなのです。それを実践なさらなければなりません。パファ、いつかシャマナがパファに差し上げたご本がございましたね。
パファ: はい。
ヨユメ: そこに貴方はシャマナに何かを書いて欲しいと所望されました。
パファ: はい。
ヨユメ: そこにシャマナが書いた言葉を憶えておられますか?
パファ: はい、一部を憶えています。
ヨユメ: それなんです。シャマナはそれをどこから耳にしたと言っておりましたか?
パファ: いや、憶えていません。ただ他のところの個所を一回、英語で聞いたことがあります。
ヨユメ: 私が教えたのです。そういうご本を読んで、勉強しても、あそこに書いた言葉通り実行しなければいけないから、シャマナにそう書けと申したのです。皆様のためにもう一度もうしあげましょうか。
「歌は歌ではない、口ずさむまでは。鐘は鐘ではない、鳴らすまでは。愛は愛ではない、行うまでは。」というのでしたね。
パファ: はい。
ヨユメ: おわかりになりますか?真理を知っても、それをまずご自身、日々に役立てて下さらなければならないのですよ。全部が全部とは申しません。学んだ一つ一つを少しずつ、たった一つでも毎日実現されれば一年後には皆様の波動はかなり上がるはずなのです。ご精進とのその積み重なり以外の何でもございません。よろしいでしょうか。

何かご質問はございますか?
トコロ: 質問があります。
ヨユメ: はい。
トコロ: タバコについてなんですが、今までヨユメさんが導いてきてくださって、私達へ下さった初めての宿題、それで私達は自然の大切さ、自然と協調して生きていくことを教えられてきています。そしてそのお手本となるようないき方をしているインディアンの人たち、その人たちが吸っているタバコというのは今、この世でタバコはいけないというタバコと同じなのでしょうか?と言いますのはやはり皆さんに自然の大切さを分かっていただきたい、少しでも少しでも分かっていただきたい。その為にはインディアンはこういう生活をしてきたということをお話するときに、ではなぜインディアンはタバコを吸っているのですか、と言われましたら私は非常に分からなくなってしまいます。
ヨユメ: 分かりました。

何方かシャマナを....、お水を

タバコでございますね。
トコロ: はい。
ヨユメ: まず最初に今、健康に悪いと言われているタバコと、かつてインディアンが吸っていたタバコとは、同じ物ではございません。しばらくお待ちください。
インディアンが吸っていたタバコ、儀式に用いられていたタバコ、精霊が宿ると考えられていたタバコというのはロベリアというキキョウ科の植物でございます。そしてそれには種々の薬効-お薬としての役目ですね-がございまして、主な薬効は嘔吐(吐くこと)をもよおさせる役目がございました。当時、貯蔵された食品の鮮度が悪かったり、食べたものが良くないとき、お腹をこわしたりしたときの治療法は、入ったものを出せばよい、そのとおりなのです。今の医学では入ったものはそのままにして、上からその菌を殺す薬を入れますね。しかし、当時はタバコを、時にはそのロベリアの葉を噛んでお腹に入れたり、煙にして、それを吸って、いわゆる薫浄ですね、そのようにして病気の治療に使われました。それとまた、鎮静剤の役目も果たしました。興奮作用もあったので、後日それを嗜好のために大人たちが飲む、そのような習慣もうまれたことは事実ですが、今のタバコというのは、ナス科のニコティナ属に属するタバコでございまして、これはコロンブスが新大陸に上陸して、インディアンたちが吸っているタバコを貰い受けたのですが、それをヨーロッパ各地に広めたときにはそれではなくて、ナス科の今のタバコの原料に近い種類のものを広めたのです。そういう中毒性の高いタバコを吸っていた部族もございまして、そういう中毒性の高いものの方がお金儲けにはなるのです。しかしそういうニコティナ属のタバコでも、今皆様が仰っているタバコよりはうんと中毒性も害も少ないのです。今のタバコには、今はもう無くなりましたが、一時のタバコには、より中毒性を高くする薬品が含まれておりました。
タバコの起源はいつごろからだと思われますか?
?: ○○ごろ?
ヨユメ: そうですか?私は存じません。何時頃からなのでしょうね?お酒の起源は古いというのは知っておりますが。私共の知る限りで、タバコというものに出会いましたのは、ちょうど皆様方がインディアンとして生活されていたころですね。その前後に、マヤンが吸い始めたと聞いております。それまでタバコは無かったように思うのですが。まして、ヨーロッパ諸国、その他の国々は、コロンブスがアメリカに来るまでは存在しませんでした。
儀式に使われたと申しましたが、マヤンの火と煙には神が宿ると、神との通信、交信を図るおりには、タバコを吸い、強く焚いたと思うのですよ。
そんなもので宜しいでしょうか?
トコロ: はい、有難うございました。

ヨユメ: 他に質問はございますか?
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: ございませんか、それでは今、タバコの話が出て、健康に良くないということでしたので、健康について少しだけ申し上げましょう。
健康に良くないもの、健康に良いもの、食べ物のことでですが、よく皆様、憶えておいていただきたいのは、天然のもの-自然のもの-だから良いという、そういう考えを盲信しておられる方がいます。これは間違いですよ。薬は天然の物の中には薬もあり、薬はまた別の人には毒になるのです。昔、皆様方はそういう事をご存知でしたが、今の人たちはそういう事を知る叡智を持っておりません。ご自身の体が訴え、教えるものに耳を傾けることも、その訴えに気付くことさえ出来なくなっております。
皆様のお顔、顔の色、全て夫々違うではありませんか。それと同じに皆様の体の中も夫々に違います。皆様の体をつくっている細胞、血液、体液、皆、夫々違うのですよ。細胞を分析して、化学記号で表示したら血液はこれ、細胞はこれと皆同じになってしまいますが、そんなものではないのです。そうして夫々皆違うと言うことを、体の中は見えないので、肉体の外がそれぞれに違うようにご大霊はお創りになったのです。だから皆様は皆夫々違うのを忘れず、いつも思い出せるようにそのように創られているのです。そういう必要がなければ、最初から皆同じに創っておけばよろしいでしょう。皆同じではないということを頭に入れてください。
そして、今、流行の自然食療法、薬餌療法とか言われているものの中には良いものもございますが、盲信してはいけません。今、良くとも、何十年先には間違いが指摘されることもでてくると思います。
今、私はここでこれ、あれが良くないとは申しません。また、先程申しましたように何方かに良くて、何方かには良くないものもありますからね。
例えば最近、健康の話をする時によく出てきます、お肉ですね、赤いお肉は良くないと。今の皆様方の体、今の文明国の殆どの方の体にはそれが言えることでございますが、かつての人たちにはそれは当てはまらないことでした。この地球のどこに住んでいるかによっても違うのです。北極のエスキモーですね、あの方達は今でもやはり肉食をしないと健康が保たれません。皆様、夫々、必要とされるものが違うのです。

それを無視したのが、今の医学の治療でございます。皆様、夫々の体の中が違うということも考えに入っていませんし、同じ病名でも、どうしてその病気になったかという原因が夫々違うのに、治療法が一つと言う方がおかしいではありませんか。
また、皆様の病気に対する考え方ですね。病気とは何かと申しますと日本語では気が病んでいると書いて、気というものが病んで、それが肉体に表れているのだと、皆さん、分かったようなことを仰っていますが、それでも日々、皆様の想念の現象化した-肉体に表れた-異常を病気と思っていらっしゃいます。外に出た、いつもと違う症状を病気と呼んでいらっしゃいます。しかしそういったものの殆どは病気ではないのです。病気は皆様、外から見て見えない中に-血液の中、細胞の中に-巣食っている事が多いのです。全てがそうとは思いません。ですから (花火の音?)
皆さん: ♪ヒヤハー、♪ヒヤハー、♪ヒヤハー、
ヨユメ: 皆様が病気と考えていらっしゃる症状と言うのは浄化作用であったり、治癒の行程であったり、治療が効いた好転現象であったりすることが極めて多いのです。のどが痛い、鼻が出る、咳が出る、熱が出る、下痢をする、これらは病気ではありません。病気を治す行程の症状です、浄化作用です。しかし皆様は外に出たそういった症状に一喜一憂されるのです。そしてもっと大事なこと、皆様の今日の考え、今日の想念、今日、心に抱かれるものが、見えない体の中に毒をつくり、病気をつくる事を考えられないのです。そしてお医者さまの所に飛んで行って異常を訴え、お医者様が病院でした検査の数値などを見て、心配したり、喜んだり、一応の目安にはなりますが、そういうものをご自身で感じられるように、ご大霊はそういうセンサーを皆様に下さっているのですよ。
宗教批判に次いで現代の科学、医学批判ではございませんが、(花火の音?)
何事か起こっているのでしょうかね、あの音は?何の音ですか?
?さん: 花火
ヨユメ: 花火?
例えば、医学の間違いの一つの例をさし上げましょう。
今、よく言われるアレルギーですね。アレルギーがあるからアレルギーの原因を取り除くようにとお医者様は申します。花粉はだめ、埃はだめ、動物はだめ、これはだめ、あれはだめ、これを食べてはいけませんというふうに。しかし自然の中に-ご大霊が創造されたものの中に-あってはならない、取り除かねばならないものは何一つございません。唯一取り除かねばならないものは人間が人間のためだけに、他の生命から他の種族、宇宙のことなど一切考えずにつくりあげたものだけです。そういうものを退けるのではなく、そういうものの中に入って病を癒すことも出来るのです。そして幽体が癒されたときに、その表面に出る肉体的な症状に一喜一憂することなく、そして次に体内に現れてくるであろうご自身の想念を浄化されることに努めれば病は癒されます。健康維持もそういうものでございます。
宜しゅうございますね。
それでは皆様、ごきげんよう。
皆さん: ごきげんよう。
ヨユメ: ... 謝々。(中国語で話される)