Yoyumeからのメッセージ 2002年6月21日
皆様ご機嫌よう。
Atosche 瞑想のほうはいかがですか?
Atosche: まだだめです。
Yoyume: なぜだめだと思いますか?
A: わかりません。
Y: いろいろな雑念が入ってきても、うまく出来ないと思ってもやる事の習慣をつけることが大切です。
そうすると色々自分で答えが出なくて悩んでいる事などあまり心配してくよくよする事など無いという事に気付く。
今、いろいろつまらないとは言わないが、些細な事でくよくよしている。何かが解決しなくてはいけないという事など無い。そのままの状態で瞑想に入り自分の守護霊と通じるとあなた自身の考え方、本当は考え方と言うよりもあなた
の魂に守護霊からの通信が入ってきてあなた自身が変わる。そうするとわかり易く言うと、考え方が変わって状況が同じでもあなた自身がくよくよせず幸せに感じることが出来る。瞑想の意義はそういうところにもある。
光を見たり特殊な現象を経験したりというのでなく自分の奥深くに ある時は守護霊から、ある時は高次元の先生からメッセージをもらう。自分がメッセージをもらったと認識しない事も多々あるが瞑想している時に自我をなくし空っぽになった時に色々入る。気が付いた時はもう既に色々入っているのでその時にもらったメッセージを意識しなかったり、理解出来なかったリ、そういった自覚が無いかもしれないが必ず入ってくる。
瞑想はやはり大切です。何かが起るのを期待してするのでなく自分の心を空っぽにして、期待する気持ちさえもってはいけない。空っぽにしたところに必ず何かが入る。皆さんの目に見えない空間宇宙に何も無い事はない。いろいろなエネルギーが−波動とも言おうか−がある。そしてその時に皆さんの波動が高ければ波動にあった高いエネルギーが注がれる。
瞑想は必ずしてください。
変な薬を服用するよりは例え10分でも20分でも質の高い瞑想をする方が余程良いと思う。
Tokoro 宿題の答えをみましたか?なんですか?
Tokoro: どうしたらいつも愛の物差しで計れるようになれるのかということですが、お導きで教えて頂いたように自然を大切に、生きているもの全てを慈しみ、そして毎日人の為に生きていくのは勿論ですが、何かを判断する時見たもの、聞いたものを鵜呑みにするのでなく、色んな所からみてする。そういうことを日常の小さな事にも当てはめ、役立てていけばそのようになれると思います。
Yoyume: おおむねあっています。
愛の物差し、真理の物差し、あえて訂正をしなかったのは真理の物差しの特定の基準となる目盛りは愛です。従って愛の物差しと読んでも差し支えないかと思いそのままにしておいた。詳しくは真理の物差しの目盛りが愛です。
そしてその物差しを正しく使うという方法は、大きな事とかなにか大切な事とかが起った時どのように考えたらいいか、皆さんは畏まって愛の物差しを取り出してくる事がある。そういうのではなくいつも持ち歩きポケットに忍ばせどんな時にも手軽に使う。
愛の物差し、真理の物差しの基準は愛なので変わらない。しかし一般に使われている物差しは例え正義感、或いは世の為人の為と謳われていてもそれぞれ基準が違う。だから国を動かす力を持つ人、主に政治家は色々な物差しを持っている。と言うよりまずは自分が得をする決して損をしないが大前提、その都度使う物差しが違う。真理の物差しはいつも愛の目盛りが入っているのでどこにでも何にでもどのような時にでも使えて間違いは無い。
答えとしては一応正解としましょう。
やっと皆さん何かを共にしようと動き始めて下さいました。
9歳の脳性麻痺の子供がまた11歳の脊髄を患った子供が世界平和のため不自由な体、呼吸もままならぬ体で世界平和を呼びかけ詩を書き訴えている。その様な幼い子供、五体満足でない子供、病を持った子供さえもそういう事が出来るのだからましてここにいる皆さんは健康でなに不自由ない暮らしをしてもっと世界のため、人のために出来ないはずはない。前にも言ったが皆さんが皆さんの使命を果たすために必要なものは皆さんに全部用意されています。
それについて質問は? 皆さん今自分に全て与えられているということを同意しますか?
はい。
ではそれを知っていながらしていないというのは何が邪魔をしているのですか?
(沈黙)
答えが無いようですがそれを宿題にしましょうか?皆さんの宿題にしましょうか?
E: 事柄に対してそれを深くわかって自分自身の言葉として受け止めていないから。
Y: 仰る事はわかりますがなぜその様にしか受け止められないのですか?
Paha: エゴだと思います。
Yoyume: その通りです。それに尽きます。
皆さんは自分の使命に気付き、なんとなく設計図もぼんやりと見えてきている人も多いと思う。
我との戦い、それをどれだけ排除できるか。ただ全て人様のためにとは言わないが、我の占める割合が大きすぎると使命成就の際軌道修正を受けることになる。導きで繰り返し伝えてきた事は一般的に全ての人に言っている事ではない。使命を持って、約束をして降りてきた皆さんに言っているのです。一般の人に当てはまらないから自分もそこまでしなくてもいいのだというふうに考える。そこはよく理解してください。
戦争がどれだけ波動を下げるかという事を前回話した。戦争に巻き込まれていない国にも影響を与える。小石を池に投げると波紋が広がっていく。悪は悪の波紋を広げていく。悪い波動は回りに悪い波動の波紋を、ちょうど小石を投げ入れた時波紋が広がるように与える。水だけではない。良いお水を飲む事も大切だが後は皆さんの想念です。語る言葉が大切です。皆さんの波動を高く尊きものに合わせておくことです。
スポーツ競技は皆さんが想像するよりももっともっと悪い波動を回りに広げる。これは一般の人にはとても理解してもらえないかも知れない。何度もスポーツ競技の波動の低さにについて話したがそれはトコロがバスケットボールに現を抜かしていた頃に遡る。先日それも冬のオリンピックの時にも言った。今も国際的なスポーツ競技が行われている。それに伴って選手がお互いに相手を敵対視するのみならず周りの人達までがその波動の影響を受けて相手の国を憎んだり、何と愚かな事か。ただの競技ではないか。
ずっとずっと前、進化の過程で競争というものが必要なときもあった。しかし地球の次元上昇にあたり新たな波動の中で生きていくのには競争というのは一切必要ない。調和、共生、共存そういったものが必要とされている。どんなスポーツ競技でも勝ったときとか思いどおりの結果が出たときに選手のとる姿を見た事があると思うが、拳を握り腕を高く揚げてこのようにする。それはとても原始的な、人類の原始的な側面を表すものです。ゴリラなどは拳を揚げて胸をたたき頭上高く振り上げて相手を威嚇し“自分に従わせよう”、“支配者は自分だ”という事をそういう行為で示す。拳を握りそういう行為をした時は波動がさがる。それに引き換え相手を包み込む−自分の両腕でこういうふうに(丸くかこむ)−行為をした時は波動があがる。言葉、行為も波動に影響を与える。気をつけてください。
会う方全てにスポーツ競技は波動が低いと言う必要があるのかどうかは別として、皆さんの場合は別です。十分自覚しておいてください。しつこいようだが敢えて言った。国際的なスポーツ競技が開催されると地球での波動が落ちる。それに伴って皆さん人類のも下がる。
何か質問は?
Tokoro: Shamanaの質問ですが世の中に戦争とか.....。
Yoyume: ちょっと待って下さい、シャマナが貴方にシャマナに代わって聞いてくれと言ったのですか?まだそんな事をやっているのですか。瞑想の時に通信が送られないのか。まだ精進が足りないと伝えてください。
T:はい。ですがYoyumeさん、Shamanaがそれを託した時私もそれを知りたいと思いました。
Y; それでは貴方の質問として聞きましょう
T: 前回のお導きの時に戦争とかが起った時まずそれに対して若い人が反戦運動をし、世の中間違っているのではないかと訴えたりそして小さい子供たちが不協和音さえ感じなくなってしまったという話がでたがそれに対して私たちに何か出来る事があるのですか?
Y: 勿論ありますよ。誰かそれに対して答えを持っていますか?Tokoro自身はどう思いますか?
T: 私はまず子供を育てる親が意識改革をして、子供に何が本当に大事なのか、例えば自然に触れさせて教えたいと思う。親ばかりでなく回りの大人たちもそういう状態にもっていく。それがかけ離れていると言うか、個人としてなら出来るが皆さんにやって下さいというのは難しい。
Y: 仰るとうりです。子供たちがそういう嘆かわしい状態であるというのは子供たちの責任ではない。大人たちの波動が低いからそうなる。そして子供たちに今後何を教えていったら良いのか、子供たちの波動を高めていくにはどういう教育をしていけば良いかという事ですね。
前にも言ったが、学問的なものはお話にならない。知らないよりは色々な知識を身に付けるほうが良いが、例え学問といえども身に付けるのは一向に構わないが、それらが波動にどう影響するか。先ほど言った9歳の脳性麻痺の子供が語る言葉というのは皆さんの語彙以上の言葉を語る。学校等で身に付けたものではない。波動が上がると皆さんの想像のつかない力がつく。本一冊をどんなに知能指数が高くどんなに素晴らしい教育を受けた人でもページをパラパラとめくるだけでそれを全部理解するとは思えないと思うだろうがそれは可能です。そういう事が出来る人もいる。そういう事が大切と言っているのではない。波動を高めるということは皆さんの中にある可能性−設計図に沿って何かをするために用意された能力−その秘められた可能性が無限大にひきだされるということです。皆さんの中にある力を過小評価せず、使命を持ってこの世に送られ、その使命を行使するには大変な忍力(?忍耐力?)が必要だが、それが自分にはあるという事を確信をもって行ってください。
自分の能力を疑わずやるという事は謙虚さを失う事ではない。理解して自分のやる事に制限をしないで、自分の能力に制限を与えないでやれるのだと信じる事であり、人に自分はこうなのだ、こういう事が出来るし、こういう能力があるのだと言うことではない。そうすると波動がずーっと落ちて例えそういう能力があったとしても萎んでしまう。自分の能力を最大限に花開かせるには謙虚に。おわかりですね。
Ottaaおとなしいですね。お元気ですか?
Ottaa: はい。お蔭様で。
Y: 名前はOttaaです。何がおかしいのですか?
Anaharase: あの話を聞いていたみたい。
Y: 聞いてはいませんですよ。質問があるようだがなぜ躊躇っているのですか?
A: どういうふうに聞いていいかわかりません。
Y: 長くなるようならやめてください。