Yoyumeからのメッセージ   2003年2月7日 

 

皆さまごきげんよう。

 

シャマナに(いた)みがあると肉体(にくたい)光子体(こうしたい)の間に隙間(すきま)出来(でき)るのですよ。 そうするとこちらからシャマナの体に入るということが(むずか)しくなります。 シャマナは(ひだり)顔半分(かおはんぶん)激痛(げきつう)(かん)じていまして意識(いしき)がどうしてもその痛みの方に行くのです。 今日はどれくらい(つづ)けられるかわかりませんが()()えずやってみましょう。

 

今日は皆さんと(とも)瞑想(めいそう)について(はな)すことになっていますね。

皆さん: (沈黙(ちんもく))

ヨユメ: お返事(へんじ)もくだされないのではこの(あと)の話はどういうものになってしまうのでしょう。 心配(しんぱい)です。 どなたか進行係(しんこうがかり)をお(つと)めくださるのですか? トコロ、どうなっているのでしょう。

トコロ: アナハラセがやって下さると思います。 

ヨユメ: そうなのですか?

トコロ: 私は書くのに(いそが)しいので。 

ヨユメ: そうですね。 貴方(あなた)にとは思っていませんがアナハラセがやって下さると。

アナハラセ: はい。

ヨユメ: それについて今回(こんかい)はアナハラセに、次回(じかい)(べつ)の人というようにしてまいりましょう。 どなたも(かなら)ずやって(いただ)きましょう。 (よろ)しいですね。

皆さん: はい!

ヨユメ: それではどうぞ。

 

アナハラセ: 今回(こんかい)のテーマは瞑想についてですが、皆さんで話し合うときにまず皆さんはどのように瞑想をしているか夫々(それぞれ)意見(いけん)を出して頂きましょうか。

ヨユメ: そのときにどのように瞑想をしているかと(こた)えられない方は正直(しょうじき)になぜ出来ないのか(おっしゃ)ってください。 そしてそれに(たい)して何かお(たす)けできる意見(いけん)があればお(おし)えするというように。

アナハラセ: はい。

じゃあ、順番(じゅんばん)にいうと今日は人数(にんずう)(おお)いのでどなたか?

 

Eさん: 助けてほしいと思います。 しよう!(瞑想を)という気持(きも)ちが()ちていないということは(みと)めます。 とても(むずか)しくて、()になることが! しよう、しよう(無になること)という気持ちは無いがいろいろ目を開けて()きて行動(こうどう)をしている時には(あたま)()かばないことが瞑想の時浮かんできたりする。 無になって何も考えないで瞑想をすることが難しくて。 早道(はやみち)(さが)そうとはしていないがこういう方向(ほうこう)に行ったら雑念(ざつねん)()えるという(みち)はあるのでしょうか?

アナハラセ: それに対してお(こた)えというか意見のある方はいらっしゃいますか?

 

パファ: 答えではないが、私の場合も時には(いの)りと瞑想がごっちゃになります。 (たと)えば、Hさんに(ひかり)(おく)りましょうと皆で()めているわけです。 それは瞑想に入る前に私の場合(ばあい)やっているのですが地球(ちきゅう)(いや)しとかどうも祈りと瞑想がごっちゃになってやっている傾向(けいこう)があります。 それではいけないと思うのですが、今Eさんが言ったように本当に瞑想というのは何も考えずに自分の(うち)なるものに(せっ)するはずなのですが。

アナハラセ:ふーむ、瞑想の定義(ていぎ)ということですが、本当に何も考えない、無になることが本当の瞑想なのでしょうか?

Lさん: 私は24時間の(あいだ)自分(じぶん)の時間というものがありません。 瞑想したくてもいつも(だれ)かによばれたり色々(いろいろ)あったりして自分の時間が()いのが(かな)しい。 どうしたら瞑想を出来るのか? お仏壇(ぶつだん)にお花を(ささ)げお(まい)りするのですが。

24時間自分だけの時間というものが無い。 それをどうしたら良いのか?

アナハラセ: それはまた(べつ)の問題ですね。

Lさん: 別です。

アナハラセ: 一つはEさんの言うように集中(しゅうちゅう)出来ない、雑念が入ってくる。そしてLさんは瞑想に入りたいが自分の時間が無い。 それからパファの言うように無になりたいが想念(そうねん)を送る(いの)りとごっちゃになってしまうということ。

 

ツツカトータの妻女: 私は

 

アナハラセ: ちょっと()ってください。 ヨユメさん大丈夫(だいじょうぶ)ですか?

ヨユメ: ((くる)しそうにしている)お水を。

皆さん: ヒヤハーヒヤハー((いや)しの歌をヨユメさんに(うた)っている。)

ヨユメ: 有難(ありがと)うございました。 はい、どうぞお(つづ)けください。

(しばら)沈黙(ちんもく)

アナハラセ: ヨユメさん大丈夫(だいじょうぶ)ですか?というかシャマナの体は大丈夫でしょうか?

ヨユメ: 大丈夫なのでしょうね

アナハラセ: (くび)をマッサージしましょうか?

ヨユメ: いえ、そっとしておいてください。 他にご意見(いけん)は?

 

ツツカトータの妻女: 私の場合(ばあい)はこちらですると(おと)(ベルを()らした)がありますね、それがありますと(あし)がしびれるようになって(瞑想に?)はいるのですよね。 家でしていると(しび)れもなく雑念(ざつねん)がもやもやと入ります。 どういうわけなのでしょうか、音が良いのでしょうかそれとも自分の気持ちなのでしょうか。 ですから本当の瞑想というものがわからないのです。どうしたら良いのか、どれが瞑想なのか?

アナハラセ: 私は進行係(しんこうがかり)なのでお(こた)えできないのですが。

皆さん: (爆笑)

ツツカトータの妻女: (いの)りを(かか)えて瞑想をするからいけないのでしょうか。 Eさんの言うように本当に()になって瞑想をしたいと思います。 どうしたら良いのか(おし)えてほしいです。

アナハラセ: (ほか)に?

 

オター: 私ガ思うに瞑想をする時には何も考えてはいけない、一人だけの(だれ)にも邪魔(じゃま)をされない時間を−ある一定(いってい)の長さ−()たなくてはいけない、ある一定の時間を見つけなくてはいけない、どのくらいの(なが)さをしなくてはいけないとか、こうでなくてはいけないなどというのは無いと思います。 (たと)えば(はじ)めていくうちに最初(さいしょ)は色んな考えが(あたま)に入ってきそれを私は()しとするわけではないが、それをいけないと思えば思うほど普通(ふつう)の瞑想に入りづらくなると思います。 頭の中に何か考えが入ってしまうのは一つの段階(だんかい)だと思います。 それを(わる)いものと思わずそれでも良いから自分なりに目を(つむ)って(つづ)ける。 そのうちに段々(だんだん)雑念が無くなって行く段階(だんかい)でそのあたりをはずれていく。 こうでなければいけないというプレッシャーを(あた)えるとかえって瞑想に入れないと思います。 私が瞑想をするときは正直(しょうじき)言って長い瞑想をしないのですが、場合によると一分(いっぷん)もしていない時もあります。 一日()ごしている中で極端(きょくたん)な話、(くるま)に乗って信号(しんごう)()っている時にすることもあります。 そういうときの瞑想はたかが10(びょう)ぐらいです。 私は(なが)ければ良いとは思っていませし、どうでなければいけないとは思っていません。 こういうもので良いのではないか、(むずか)しく考える必要(ひつよう)は無いのではないかと思っています。

Eさん: いけないという考え方は一切(いっさい)もっていません。 どうしてこういうふうになるのか疑問(ぎもん)を感じます。 そうじゃいけないとかプレッシャーも全然(ぜんぜん)意識(いしき)にはありません。 考えていないことが(瞑想しているとき頭に)()かんできてこういうのが潜在意識(せんざいいしき)にあったのかと時々(ときどき)みつかることがあるからプレシャーとかこういう形でなければいけないとかいう気持ちはサラサラありません。 私の経験(けいけん)でオターのように(なん)十秒(じゅうびょう)というのがあります。 オターが言われたように同じ信号待ちのときとか、おいしいものを(いただ)いて感謝(かんしゃ)するとき目を瞑ってその気持ちを(あらわ)すときとかそれもオターの言い方だとひょっとすると瞑想なのではと思います。 ある程度(ていど)の長さをすることが大きな意味があると私自身考えます。 (みじか)い間で瞑想をすると私の場合無になれない時があります。 それを持続(じぞく)していく。 一番(いちばん)どういう形で出来るのか。 マーシャルアートにおいてフォームをいかに持続していくのかと同じように我々(われわれ)(めん)するチャレンジだと思います。

 

アソウ: わたしは瞑想をし、瞑想をしたという気持(きも)ちになったときにはインディゴの色が見えます。 ぱぁーと小さいのが見えてきてぱぁーと(あか)るくなってそれを感じると私は瞑想に入ったと思います。 そのときは何も考えてなくただその(ひかり)をずーっと見ています。 それが瞑想に入ったことだと思います。

Eさん: そういう話を前にも聞いたことがあります。

 

ツツカトータの妻女: 音−ベルの音−とか日本にいる時好きな音楽(おんがく)を聞いていたらリングになったようなブルーがパパ−ッと、紫色(むらさきいろ)がパァーッと。 この前は白いのがボッツボッツと見えてきました。 どういうのかしらとシャマナに聞いたことがあるのですが、音に(たい)してなるんですよね。 瞑想に関係(かんけい)あるのかしら。

ヨユメ: 音も波動(はどう)ですから。 音の波動(はどう)に助けられるのです。 (しろ)(まる)いたまはいつもご(らん)になっている色と(ちが)って、実存界(じつぞんかい)(れい)がエネルギーとなって貴方様(あなたさま)近寄(ちかよ)ってきているのです。 いくつでしたか?

ツツカトータの妻女: ピンポン(だま)のようでポッツ、ポッツと

ヨユメ: 実存界から霊がおりて来て、背後(はいご)霊団(れいだん)の方と言うよりはゆかりのある方の霊であったり助けを(もと)めて来られたりと色々(いろいろ)あります。 白い丸い光は霊魂が()りてきている場合ですね。

まだご意見を(おっしゃ)っていない方は?

 

Lさん: ()ているときに何か見えるんですが。 それが何か、なんと言ったら良いのかわからないのですがそれも瞑想なのでしょうか。 (すわ)ってこうしてやらないと瞑想ではないのでしょうか。 寝ていても何か無になったと思う時があるんですよね。 本当に(ねむ)ってはいないんですけど。

Eさん: それは瞑想と思います、個人的な意見ですが。

ツツカトータの妻女: 声が聞こえてくるような感じがあります。

Lさん: あります。

ツツカトータの妻女: 瞑想する気ではないのに()こうからやってくるような。

アナハラセ: 他にありますか?

 

トコロ: 私は本当にこれが瞑想なのだと考える前に、とにかくやろうと思って(はげ)んでいます。 時には10分未満(みまん)のときもあります。 何が瞑想なのか、どうしたら無になれるのかよりまず私の場合は(いの)りから(はじ)めます。 世界(せかい)平和(へいわ)、ガイア様への(いや)し、そして今はHさん。 それが()わったら何も考えないようにし、そういう状態(じょうたい)に持っていくようにすること、毎日(つづ)けることだと思ってやってきています。 さっき皆さんが(おっしゃ)っていました、いろいろな色が見えると。 私にも見えてきました。 最初(さいしょ)に見えたのはパープルで、そして今は(みどり)が見えます。 ですがその時の状態(じょうたい)によって見えないときもあります。 見えるから瞑想に入っていると言えるのか私にはわかりませんが、とにかく毎日毎日続けていくことが私には重要(じゅうよう)だと思っています。

Eさん: 私も持続(じぞく)することが大切(たいせつ)だと思っています。

アナハラセ: トータはいかがですか?

 

トータ: やることですね。

ヨユメ: やっていますか? 何かやっていらっしゃって変化(へんか)()こって(まい)りましたか?

トータ: やった時これが瞑想だとは言えないが、非常(ひじょう)(からだ)(らく)になります。 (かる)くスーッとしますがそれは(あま)り無いです、はっきり言って。 それと今まで一回(いっかい)だったか一時間(いちじかん)一秒(いちびょう)のように感じたことがありました。 目が()めたとき一時間たっていたが一秒のようでした。 それは一回しかありませんが。 (つか)れたときにやれたらとても楽になる。 シャマナが言ったように背筋(せすじ)()ばしてピシッとやって時間を一秒と感じたときは気持ちが良い。 やらないのは(瞑想に)入るまで雑念があり、色々脳裏(のうり)()(めぐ)り一分を長く感じます。 やっている内に早く感じるときもあります。 そういう時もあるし一分間を長く感じるときもある。 一分間を長く感じるときのほうが多いですが、そのときのコンディションによって色々。 ()()えずやるしかないと思っています。 やれるときは出来る(かぎ)りやるように。 このごろはHさんのこともあり9時30分にはやっているようにしています。

アナハラセ: ショーカそうですか?

 

ショーカ: ふふ、そうです。

ヨユメ: お二人(ふたり)そろって?

ショーカ: そうですね。 Hさんのお祈りという形で毎日9時30分このごろは()かさずやっています。 

私の場合(ばあい)やっていると光が出て来て光の中にシルエットとかがでることがあります。 あれってどういうことなの

でしょうか?

ヨユメ: 意味(いみ)がよくわからないのですが

ショーカ:パープルの光がずーとでてきますよね。 そのパープルの中にシルエットが出る。 それが人の(かげ)とか木の影とか色んなシルエットが出てきます。

ヨユメ: それは色々だと思います。 それが何だったかと一言で言えませんが、全て貴方(あなた)の考え、思いに無いものは(あらわ)れないということです。 一日でご(らん)になって印象(いんしょう)に残ったものが残像(ざんぞう)として出て来ることがあります。 しかし見えた人影(ひとかげ)がゆかりのある方の霊がそのようにということではありません。 

皆様が実存界のエネルギーと一体(いったい)になられた時にこちらの世界(せかい)のエネルギーは白い丸いボールのようになって(うつ)ることがあります。 お写真(しゃしん)にもその(よう)にでることがあるのですよ。 ご(らん)になったでしょう、パケサー、アソウ? ご住職(じゅうしょく)がセドナでお()りになった写真に丸い白いボールがいくつも写っておりましたね。 (まった)くあのとおりなのです。 (つよ)いエネルギーをもった霊の場合写真に写ることがあるのです。 そして特定(とくてい)の霊でなくエネルギーが(うず)()くように出てきます。 瞑想をなさっていて白い光の渦巻(うずま)きや白いと言うか(うす)金色(きんいろ)の光を見るには時間がかかります。 見えるのが大事とか、そうならなければならないと言っているのではありませんがやはり段階(だんかい)があります。

まだ何も仰っていないのはアトシエですね。 はい、どうぞ。

 

アトシエ: 私は瞑想をしても(あま)り何も感じないのでちょっとがっかりしてやっていません。

ヨユメ: なぜやってないのですか? 貴方は何かをしたらすぐ見返(みかえ)りを期待(きたい)する。 それがいけません。

Tさんに向かって)貴方様(あなたさま)はいかがですか? 瞑想は?

 

Tさん: 私は瞑想をしようと思ったらEさんと同じように雑念が入ってきます。 20分ぐらい(すわ)って光のほうに向かっても中々(むずか)しい。

アナハラセ: あと、パケサーですか?

 

パケサー: 私もシャマナが作ってくれたテープを()きながらときにはきれいに渦巻(うずま)いたブルーとかパープルがカリエダ(?)スコープみたいに(まわ)って見えたり、地球(ちきゅう)がブルー、グリーンで回ったイメージが()かんでくる事があります。

 

アナハラセ: では質問(しつもん)内容(ないよう)をまとめます。 雑念が瞑想中に入ってくる。 それは排除(はいじょ)しなければいけないのかそれともそのままで良いのか。 排除するその方法(ほうほう)

ヨユメ: その前にアナハラセ、貴方はどうしているのですか?

 

アナハラセ: よくお気づきになられましたね。

皆さん: ゲラゲラ

 

アナハラセ: 私の場合、瞑想をする事によってご大霊の意識(いしき)と一体となるということだと思います。 そのためには体、心、魂がリラックスした状態(じょうたい)にならないと完全(かんぜん)一致(いっち)したという感覚(かんかく)が得られないと思います。 まずは祈りが多くそして反省(はんせい)それから守護(しゅご)(れい)(さま)(つう)じてガイドをしてもらうようにお願いしています。 潜在(せんざい)意識(いしき)に通じるために守護霊様の(みちび)きを受けながら一緒(いっしょ)にやっていくようにしたいと思っています。 

それで先程(さきほど)の質問ですが、雑念(ざつねん)に関してそろそろヨユメさんのお導きをいただけますか?

 

ヨユメ: まずはですね、オッターの言ったように時間とか場所(ばしょ)とかそういうのは問題(もんだい)ではない。 プレッシャーをかけてやるより出来る範囲(はんい)で時間もかけないでやるのも一つの答えでしょう。 今のオッターには(よろ)しいでしょう。 夫々(それぞれ)の方の波動(はどう)ですね、守護霊様と瞑想をしなくてもそういう短い時間で(つな)がることが出来る、私どもの世界のエネルギーに通じることが出来る波動をお持ちでしたらそれば良いのです。 そういう事ができる人がまた(さら)大切(たいせつ)な時間をそのために(つい)やし宇宙(うちゅう)エネルギ-と一体になって何かをすればそれは大きな力が出てくる。 ご自身(じしん)がこの三次元(さんじげん)世界(せかい)で出来ないことが出来る。 しかしオッターの言ったあれは都合(つごう)がいい、10秒でもいい、赤信号(あかしんごう)の間でもいいからといってアトシエがやっても何もならない。 まずはトコロの申したようにまずはやること。 そういう(くせ)をつけるのです。 それも一つの自己(じこ)犠牲(ぎせい)なのです。

瞑想をすることによって(まな)ぶことは沢山あります。 じっと(すわ)って雑念(ざつねん)()(はら)いながらやる。 苦痛(くつう)です。 面白(おもしろ)くも無いのになぜ?と思うでしょう。 自分の(とく)にならないこと、何かそれをやっていいことがあれば、ちょうどお(てら)にお(まい)りしお(まも)りを買ってご利益(りやく)(もと)めるようなものです。 そういう気持ちでは瞑想に(かぎ)らず人生(じんせい)においても何事(なにごと)もうまくいきません。 その上ではこちらが仰ったようにオッターの言うことは良くわかるが、継続(けいぞく)して出来るという訓練(くんれん)をつけるということに意味があるのかと言うとそれはございますが、できないからとプレッシャーをかけていらいらしながらするのは意味がありません。

どうしてそれをすることが良いのかと言いますと(たと)えばシャマナは数時間(すうじかん)しか(ねむ)りません。 それがどうして健康(けんこう)維持(いじ)出来るのか? 唯一(ゆいいつ)瞑想によってなのです。 瞑想をして10分、30分、1時間宇宙エネルギーと(つな)がったとき、前にも申しましたでしょ、正しく瞑想をしてこちらのエネルギーを受けると睡眠(すいみん)よりもっと強いエネルギーを受けられわけなのです。 仕事(しごと)(ある)いは色々なことでもお導きを頂いてお(たす)けを頂いています。 

雑念(ざつねん)のことですが、入らないのが良いに決まっていますが最初(さいしょ)は入ってもいいのです。 入っても(つづ)ける事が大事です。 その為にあのテープを作ったのです。 ガイア様への祈りそして色々な方の顔を思い浮かべながら(ゆる)しをかう。 自己(じこ)反省(はんせい)の時間を作る。 そして色々な人に光を送らせて頂く。 そして自分の頭上(ずじょう)に白い光がやって参ります。 本当に来るのです。 見えないから来ていない、その場合は想像(そうぞう)しても結構(けっこう)です。 いえ、私の見たのは、あれは光でなく私の想像した、わかりますかアトシエ?想像imagination。 それでもよろしいのです。 想像も観念(かんねん)です。 本当にあるものと思って良いのです。 見えなければ自分で作って結構(けっこう)です。 そうしているうちにご自身がそういうふうにしなくても見えてきます。 雑念は無くそう、無くそうでなく、無くせないのならテープの力を()りて光を想像したり、人様(ひとさま)(ゆる)しをかったり、(いの)りを、光をお送りすることで雑念は入ってきませんね。 その為にああいうことを言っているのです。 あれは皆さんの頭に雑念が入って来ないために言っているのです。 (かなら)ずしもあれでなくて良いのです。 雑念が入って来なくなったら皆さんと皆さんの守護霊さまの中でそれぞれに合った瞑想をすれば良いのです。 それまでの訓練(くんれん)としてのテープです。 

そして雑念とは何かと言うと、無いほうが良いと申しますのは、雑念とは日常(にちじょう)雑事(ざつじ)のことです。 パケサーなら明日のおかずは何にしようかとか。 明日は会社(かいしゃ)でこれもあれもしなくちゃとか、誰かにお()びの電話(でんわ)をしなくてはと。皆さんの日常の雑事の中心(ちゅうしん)にあるのは(だれ)ですか?

皆さん: 自分(じぶん)

ヨユメ: 自分の(まわ)りのことしか考えていないから雑念があるのです。 だからやはり雑念は無いほうが良いのです。 よって瞑想の時ぐらい自分の事を考えていただきたくないからあのテープなのです。 そういう意味で、皆様日常生活でご自分のことを考えず人様にと言ってもなかなか出来ない。 ならばせめて考えの上で、瞑想の時ぐらいガイア様への癒し、過去(かこ)(きず)つけたかもしれない人へのお()び、(まわ)りで()んで(くる)しんでいる方に光を送らせていただく、そういう訓練によって瞑想をすれば次第(しだい)に自分のことは入ってこなくなります。 お()かりですか? 

 

そして瞑想をしていると皆さんの守護(しゅご)(れい)さまと指導(しどう)(れい)さまといつも(つな)がっています。 守護霊様は()まれたときから()ぬまで。 この間(たこ)の話をしましたね。 いつもそして皆さんがとんでも無い方向に飛んで行こうとすると有難く軌道(きどう)修正(しゅうせい)をしてくださる。 その糸を手繰(たぐ)って守護霊さまと(むす)びついている、その糸を手繰るような行為(こうい)だと思ってください。 一日うまくいった事があればまずは守護霊さまにお(れい)を申し上げてください。 そしてまた皆さんに色々違った指導(しどう)霊団(れいだん)の方−目には見えないが(かなら)ずいらっしゃいます−にもお礼をする。 そうすれば守護霊さまも背後(はいご)霊団の先生方(せんせいがた)(たす)けやすくなるのです。 その方たちのお役目(やくめ)は皆さんの使命(しめい)成就(じょうじゅ)のお助けです。 そういう有難いお助けを皆さんは(ことわ)っていらっしゃる。 

宇宙エネルギーは()ち満ちています。 ご大霊のご加護(かご)も守護霊様を通じて皆様にくるようになっているのにそれを来られなくしているのは誰でもないご自身です。 前に守護霊様が助けたくても私が、私がは(むす)び目を作ると言いました。 助けたいと思っても結び目があるから助けにこられない。 だから(われ)というのは良くないのです。 そして我というのは結び目でもあるし、そうですね、こう申しましょうか。 霊界からはいつも皆さんに色々なエネルギー、癒しのエネルギーさえも送り続けています。 皆さんに()(へだ)てなく(とど)くようになっているのに届かなくしているのは皆さんなのです。 丁度(ちょうど)皆さんの周りをガラスで(おお)ってみてください。 ()(くろ)に自分の事、家族(かぞく)の事、子供の事ばかりを考えて真っ黒になっていると届きません。 自分の中の我を一つずつ()(のぞ)いていくと黒い(すす)がとれて否応(いやおう)()く光が届きます。 そして迷路(めいろ)って御存知(ごぞんじ)ですよね。 迷路って言うのですよね? ここからここまで行くのに(みぎ)(ひだり)()()がって行く。

皆さん: 迷路!

ヨユメ: そして本当は皆さんがこの三次元世界に生まれて来たときはご大霊の光は守護霊様を通じてまっすぐ来るようになっています。 段々色々なことを(おぼ)え、この三次元世界で生きていくにはある程度(ていど)物質欲(ぶっしつよく)()たなくてはいけない。 そして我がでてきてきますね。 そういうことで迷路が沢山(たくさん)出てきます。 我が出るたびに道が曲がります。 複雑(ふくざつ)な迷路になると届きません。 そのために瞑想をして−たとえ雑念がはいっても−何か気づきを与えられたとき迷路が取れます、結び目の一つが取れます。 雑念が入りどうしてもダメな時はテープの助けを借りるのも良し、あるいは好きな音楽を聴いて忘れられるのならそれも良し。 先程(さきほど)この音(ベルの)を()いて皆さんと瞑想をやると無になれるのに一人でやるとむつかしいと。 それは当然(とうぜん)です。 一人より皆さんと一緒(いっしょ)の方が、皆さん夫々(それぞれ)からでるエネルギーを10とすると10人いたら100ではないのです。 それは皆さんの世界の数学(すうがく)です。 (なん)十倍(じゅうばい)(なん)百倍(びゃくばい)となる。 お分かりですね。 (したが)ってとにかく(いの)る、世界平和を祈る、地球の癒しを祈る。 勿論(もちろん)一人でも(つづ)けてください。 しかしこのように皆さんが(あつ)まってやるとその力は何十倍、何百倍になるでしょうし、やってください。

 

アナハラセ: ではあと瞑想は(たと)えば(すわ)って足を()んですべきなのか?寝てもいいのか?という質問(しつもん)があったのですが

ヨユメ: 体の具合(ぐあい)(わる)くてお(やす)みしけなれば(こし)(いた)い、背骨(せぼね)が痛いときはそれで結構(けっこう)です。 休んでいても背骨は真っ直ぐ伸ばしてください。 しかし(ねむ)くて(つか)れている体でするとすぐ眠ってしまうので、本当(ほんとう)(あさ)とかお昼間(ひるま)なさるのが宜しいですね。 夜は感謝(かんしゃ)と祈り、そして瞑想は朝というふうにするのが効果的(こうかてき)だと先生方がよく仰っています。 

皆様方がご存知の先生方すべてあの(さと)りの境地(きょうち)(たっ)せられましたのは瞑想をなさらなかった方がございません。 全ての先生方が只瞑想あるのみと仰っています。 

アナハラセ: では夜は感謝と反省(はんせい)ですか?

ヨユメ: いえ、それは例えで、そういうふうにいかないこともありますから。

 

アナハラセ: それではパファの質問で、()になろうとするということに(かん)してはいかがでしょうか?

無になるというのは何も考えない、(から)っぽになることではないのですよ、パファ。 無というのは(われ)が無になるのです。 だから何かを考えても良いのです。 自分の事でないことを。 世のため、人様のため或いはそうですね、物でも何でもいいのですが、自分が結びつくということが無になる(?)ということなのです。 無になるというのは何も考えないで空っぽになることではありません。 (ただ)ただ光をみて空っぽになってどういう成果(せいか)があるのですか? その時お(ねが)いします、お願いしますでなく、そうですね具体的(ぐたいてき)に例えば皆さんの中でこういうものを(おも)(えが)いて(れい)をあげたら申し上げ易いのですが。 自分との(かか)わり合いにおいて何かを考えていくという過程(かてい)()んであることを想定(そうてい)して瞑想した場合はそれは無になれないのですね。 (むずか)しいですね。 言葉でいえないのですよ。

 

パファ: 以前(いぜん)ヨユメさんが祈りは瞑想では無いとはっきり仰ったことがどうも残っていて、祈りは−人のために祈る−瞑想でないと。

ヨユメ: それもそうですが(ただ)しく言えば、間違(まちが)いではないですが不十分(ふじゅうぶん)表現(ひょうげん)なのです。 祈りは皆様の場合お願い事が多いときの祈りでそれは瞑想ではないのです。 しかし祈りの中にも色々あって、お祈りして「お願いします!」で終わればそれは祈りです。 しかし自分に関わりがないことで、自分の損得(そんとく)関係(かんけい)ないところでなにかガイア様への癒しを祈る場合、或いは病に苦しむお友達が癒されますようにと祈る、これはお願いではあるが、そしてその彼を、彼女をお癒しくださいと終わればそこまでなのですが、その祈りの想いを宇宙エネルギーに(つな)げることによってより強いものになります。 そうしますと瞑想の段階に入ります。 「お願いしますね」これは人頼(ひとだの)みなのです。 そのあとご自分の光とエネルギーをつかって宇宙エネルギーと一体となってそのエネルギーをご自分が頂いてお送りする。 そうしますとこれは瞑想です。

祈りも確かに瞑想です、しかし私がその時に言った祈りはそういうふうに「お願いします!」のお祈りのことです。

パファ: わかりました。

Eさん: 大体(だいたい)わかるような気がしますが、今例にだされた人が良かれと思ってやることはある意味(いみ)で祈りをするひとの自我(じが)がはいってくるような気がします。

ヨユメ: それが(おお)いのですよ。 その場合は無我でないのですよ、迷路があるのですよ。 この方にお祈りするのは、例えば配偶者(はいぐうしゃ)場合(ばあい)(おっと)が、(つま)がいなくなれば私は(ただ)ちに(こま)る、子供(こども)たちが(かな)しむ、当然(とうぜん)ですよね。 だから祈るのは当然です。 ただそういう気持ちからお助けくださいと祈ってはいけないと言っているのではないのですよ。 でも皆さんに私がお願いしている瞑想というのはそういうレベルではないのです。 それは一般(いっぱん)の祈りです。 そして正直(しょうじき)言ってそれを聞くとがっかりするかも知れませんが、そういった祈りの(ほとん)どを私どもは()きません。 聞いておれないのです。 というのは本当(ほんとう)大変(たいへん)な時には祈り、お願いは必要(ひつよう)ないのですよ。 なぜかと言うと日々の生活で神、ご大霊とか我々(われわれ)存在(そんざい)を信じていない人が殆どです。 信じていないからそういう事を勉強してご精進下さい、自分のことでなく人様のために使う時間を取ってください、自己犠牲(じこぎせい)をして(こま)った方を助けてくださいと言ってもしてくださらないというのは私たちの存在をあるいはご大霊とか高次元の先生を信じていないからなさらないのです。 私たちはいない、そんなものは無いですよと言っているのと(おな)じとみるのです。 だからこそ日々の精進がない。 そういった人が困ったときに助けてくださいと手をあわされましても、その人たちにとって私たちは存在していないものだと知っていますのでどうして助けに行けますでしょうか? 自分の()()()がかかったときに「神様助けて!」という人は神を信じていない人が多いのです。 神を信じて−神またはご大霊、なんと呼ばれてもいいでしょう−見えない世界にあるルールとかそういうもがあるものだと信じている人は生き方が変わってきます。 おわかりになりますか? (きび)しいようですがそういうものなのです。

 

そして瞑想と言うのは座って反省をしたり、反省というのは自我(じが)が入っていません。 自我を()()そうという行為(こうい)です。 それをしたときに気付(きづ)きがある。 ひとつそういった時間を()つことによって気付く、気付きが大事(だいじ)なのです。 でもまた(おな)(あやま)ちを犯す。 しかし気付くことが大事なのです。 気付いたときに迷路がはずれ黒い煤が(ぬぐ)われ光が入ってきます。 

そして瞑想をしなくても(しあわ)せに立派(りっぱ)に生きている人も沢山いらっしゃるではないか。 それはそうなのです。 みんなが瞑想をしなくてはいけないものではありません。 そしてこんな真理(しんり)の勉強をしていなくても立派に実存界(じつぞんかい)に帰れる人も沢山いるのです。 私がここにお導きに来て参りましたのは皆さんは真理の勉強をしてそれをより(ひろ)く他の人に広めるという使命(しめい)を持っているのでそれをお助けする為に来ているのです。 皆さんに話してお願いしていることを全て他の方(すべ)てに()てはめられるという物ではありません。 真理(しんり)は変わりませんよ。 以前(いぜん)申しましたね、実存界からこの三次元世界に何度(なんど)転生(てんじょう)してきてその(たび)に違った使命(しめい)(あた)えられていると。 今回は人様(ひとさま)の物を一度(いちど)(ぬす)むことなく自分で仕事(しごと)をして一生(いっしょう)無事(ぶじ)に過ごせたら良く出来ましたねと実存界に、光の国に帰れる方もいるのです。 その様な約束(やくたば)()りてきているのですからどうしようもないことなのです。 いつも申しますようにそういう意味で皆さんが「ああいう行為は地獄(じごく)()ちる行為(こうい)だ」、「ああいう行為では光の国へ帰れない」というようなことはだから当てはまらない。 おわかりになりますね。 瞑想というのは皆様と守護霊様との間の連絡(れんらく)ですね、communication と言うのですね。 それをよくするとても大事(だいじ)方法(ほうほう)です。 そして宇宙(うちゅう)エネルギーを受けられる大切(たいせつ)な時間です。 皆さんの目に見えませんが先日オッターおっしゃったプラナーですね、それをいただける。 本当はいつでもいただけるのですよ。 しかし瞑想をして宇宙(うちゅう)意識(いしき)(つな)がるとうんと沢山(たくさん)(はい)ってくるのです、光をとおして。 段々(だんだん)、そうですね5年10年たつと(おの)ずから皆様(みなさま)自身(じしん)自ずから「ああ、これは素晴(すば)らしい瞑想だった」、そしてそれを通じて色々なお導きを受けられる、そして無くてはならないものになります。 そうしますとあるとき時間に制約(せいやく)があっても(録音(ろくおん)はこれまで)シャマナのように会社(かいしゃ)のトイレに(すわ)っている間でも瞑想が出来るようになります。 (はら)がたった時そこで(ゆる)しを()い、出てくる。 そのようにどんな場所(ばしょ)でも良いがそれは基礎(きそ)が出来ているからなのです。 基礎は只ご精進あるのみです。

 

アソウ: (ふえ)()きながら瞑想ができる気がするのですが?

ヨユメ: 今の貴方には無理(むり)です。 笛の達人(たつじん)ならできるかも知れませんが。 瞑想をすると意識(いしき)が笛を吹くほうに向かなくなりますから。 アソウの意識は笛を吹くほうに向いています。 アソウは今自分にとって何が必要(ひつよう)なのかよく考えてやるべきです。

Eさん: もう一つ聞きたいのですが、雑念(ざつねん)のうち自分に(かん)しては90%が感謝です。 その感謝をまず第一にする。 それも自我ですか?

ヨユメ: 感謝は自我か。 感謝があるところに悪いことは無い。 不満(ふまん)があるところに悪いエネルギーが生じます。 悪いエネルギーを(ぬぐ)()方法(ほうほう)は何でしょう?

トコロ: 深呼吸(しんこきゅう)

ヨユメ: 深呼吸のながーい(いき)、それよりやさしい微笑(ほほえ)みを作ることです。 一番できる美しい笑顔(えがお)、日々簡単(かんたん)でお金も()りません。 そして人間(にんげん)関係(かんけい)をうまくします。 波動をあげるのは笑顔です。 いつもやさしい笑顔が(ただよ)っている。 それを自分のものにすると表情(ひょうじょう)がやわらかくなる。 そして皆さんの波動もやわらかくなる。

パケサー、眉間(みけん)(しわ)は良くないですよ。 作る皺は良くない。 まずはやさしい微笑みをいつも浮かべる。 言葉の前に笑顔です。 にらまれるよりどんなに良いか! 笑顔は相手(あいて)気持(きも)ち良くさせ相手が好感(こうかん)()きその感情(かんじょう)が良いエネルギーを(つた)えます。

いつも自分は何か(ぞん)をしていると思っている人は貴方がその人を(きら)っている、貴方がその人を嫌わせているのです。

 

それでは皆さん素晴(すば)らしい笑顔を見せてください。