Yoyumeからのメッセージ 2003年2月7日
皆さまごきげんよう。
シャマナに痛みがあると肉体と光子体の間に隙間が出来るのですよ。 そうするとこちらからシャマナの体に入るということが難しくなります。 シャマナは左の顔半分に激痛を感じていまして意識がどうしてもその痛みの方に行くのです。 今日はどれくらい続けられるかわかりませんが取り敢えずやってみましょう。
今日は皆さんと共に瞑想について話すことになっていますね。
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: お返事もくだされないのではこの後の話はどういうものになってしまうのでしょう。 心配です。 どなたか進行係をお務めくださるのですか? トコロ、どうなっているのでしょう。
トコロ: アナハラセがやって下さると思います。
ヨユメ: そうなのですか?
トコロ: 私は書くのに忙しいので。
ヨユメ: そうですね。 貴方にとは思っていませんがアナハラセがやって下さると。
アナハラセ: はい。
ヨユメ: それについて今回はアナハラセに、次回は別の人というようにしてまいりましょう。 どなたも必ずやって頂きましょう。 宜しいですね。
皆さん: はい!
ヨユメ: それではどうぞ。
アナハラセ: 今回のテーマは瞑想についてですが、皆さんで話し合うときにまず皆さんはどのように瞑想をしているか夫々意見を出して頂きましょうか。
ヨユメ: そのときにどのように瞑想をしているかと答えられない方は正直になぜ出来ないのか仰ってください。 そしてそれに対して何かお助けできる意見があればお教えするというように。
アナハラセ: はい。
じゃあ、順番にいうと今日は人数が多いのでどなたか?
Eさん: 助けてほしいと思います。 しよう!(瞑想を)という気持ちが満ちていないということは認めます。 とても難しくて、無になることが! しよう、しよう(無になること)という気持ちは無いがいろいろ目を開けて起きて行動をしている時には頭に浮かばないことが瞑想の時浮かんできたりする。 無になって何も考えないで瞑想をすることが難しくて。 早道を探そうとはしていないがこういう方向に行ったら雑念が消えるという道はあるのでしょうか?
アナハラセ: それに対してお答えというか意見のある方はいらっしゃいますか?
パファ: 答えではないが、私の場合も時には祈りと瞑想がごっちゃになります。 例えば、Hさんに光を送りましょうと皆で決めているわけです。 それは瞑想に入る前に私の場合やっているのですが地球の癒しとかどうも祈りと瞑想がごっちゃになってやっている傾向があります。 それではいけないと思うのですが、今Eさんが言ったように本当に瞑想というのは何も考えずに自分の内なるものに接するはずなのですが。
アナハラセ:ふーむ、瞑想の定義ということですが、本当に何も考えない、無になることが本当の瞑想なのでしょうか?
Lさん: 私は24時間の間自分の時間というものがありません。 瞑想したくてもいつも誰かによばれたり色々あったりして自分の時間が無いのが悲しい。 どうしたら瞑想を出来るのか? お仏壇にお花を捧げお参りするのですが。
24時間自分だけの時間というものが無い。 それをどうしたら良いのか?
アナハラセ: それはまた別の問題ですね。
Lさん: 別です。
アナハラセ: 一つはEさんの言うように集中出来ない、雑念が入ってくる。そしてLさんは瞑想に入りたいが自分の時間が無い。 それからパファの言うように無になりたいが想念を送る祈りとごっちゃになってしまうということ。
ツツカトータの妻女: 私は
アナハラセ: ちょっと待ってください。 ヨユメさん大丈夫ですか?
ヨユメ: (苦しそうにしている)お水を。
皆さん: ヒヤハーヒヤハー(癒しの歌をヨユメさんに唄っている。)
ヨユメ: 有難うございました。 はい、どうぞお続けください。
(暫く沈黙)
アナハラセ: ヨユメさん大丈夫ですか?というかシャマナの体は大丈夫でしょうか?
ヨユメ: 大丈夫なのでしょうね
アナハラセ: 首をマッサージしましょうか?
ヨユメ: いえ、そっとしておいてください。 他にご意見は?
ツツカトータの妻女: 私の場合はこちらですると音(ベルを鳴らした)がありますね、それがありますと足がしびれるようになって(瞑想に?)はいるのですよね。 家でしていると痺れもなく雑念がもやもやと入ります。 どういうわけなのでしょうか、音が良いのでしょうかそれとも自分の気持ちなのでしょうか。 ですから本当の瞑想というものがわからないのです。どうしたら良いのか、どれが瞑想なのか?
アナハラセ: 私は進行係なのでお答えできないのですが。
皆さん: (爆笑)
ツツカトータの妻女: 祈りを抱えて瞑想をするからいけないのでしょうか。 Eさんの言うように本当に無になって瞑想をしたいと思います。 どうしたら良いのか教えてほしいです。
アナハラセ: 他に?
オター: 私ガ思うに瞑想をする時には何も考えてはいけない、一人だけの誰にも邪魔をされない時間を−ある一定の長さ−持たなくてはいけない、ある一定の時間を見つけなくてはいけない、どのくらいの長さをしなくてはいけないとか、こうでなくてはいけないなどというのは無いと思います。 例えば始めていくうちに最初は色んな考えが頭に入ってきそれを私は良しとするわけではないが、それをいけないと思えば思うほど普通の瞑想に入りづらくなると思います。 頭の中に何か考えが入ってしまうのは一つの段階だと思います。 それを悪いものと思わずそれでも良いから自分なりに目を瞑って続ける。 そのうちに段々雑念が無くなって行く段階でそのあたりをはずれていく。 こうでなければいけないというプレッシャーを与えるとかえって瞑想に入れないと思います。 私が瞑想をするときは正直言って長い瞑想をしないのですが、場合によると一分もしていない時もあります。 一日過ごしている中で極端な話、車に乗って信号を待っている時にすることもあります。 そういうときの瞑想はたかが10秒ぐらいです。 私は長ければ良いとは思っていませし、どうでなければいけないとは思っていません。 こういうもので良いのではないか、難しく考える必要は無いのではないかと思っています。
Eさん: いけないという考え方は一切もっていません。 どうしてこういうふうになるのか疑問を感じます。 そうじゃいけないとかプレッシャーも全然意識にはありません。 考えていないことが(瞑想しているとき頭に)浮かんできてこういうのが潜在意識にあったのかと時々みつかることがあるからプレシャーとかこういう形でなければいけないとかいう気持ちはサラサラありません。 私の経験でオターのように何十秒というのがあります。 オターが言われたように同じ信号待ちのときとか、おいしいものを頂いて感謝するとき目を瞑ってその気持ちを表すときとかそれもオターの言い方だとひょっとすると瞑想なのではと思います。 ある程度の長さをすることが大きな意味があると私自身考えます。 短い間で瞑想をすると私の場合無になれない時があります。 それを持続していく。 一番どういう形で出来るのか。 マーシャルアートにおいてフォームをいかに持続していくのかと同じように我々の面するチャレンジだと思います。
アソウ: わたしは瞑想をし、瞑想をしたという気持ちになったときにはインディゴの色が見えます。 ぱぁーと小さいのが見えてきてぱぁーと明るくなってそれを感じると私は瞑想に入ったと思います。 そのときは何も考えてなくただその光をずーっと見ています。 それが瞑想に入ったことだと思います。
Eさん: そういう話を前にも聞いたことがあります。
ツツカトータの妻女: 音−ベルの音−とか日本にいる時好きな音楽を聞いていたらリングになったようなブルーがパパ−ッと、紫色がパァーッと。 この前は白いのがボッツボッツと見えてきました。 どういうのかしらとシャマナに聞いたことがあるのですが、音に対してなるんですよね。 瞑想に関係あるのかしら。
ヨユメ: 音も波動ですから。 音の波動に助けられるのです。 白い丸いたまはいつもご覧になっている色と違って、実存界の霊がエネルギーとなって貴方様に近寄ってきているのです。 いくつでしたか?
ツツカトータの妻女: ピンポン球のようでポッツ、ポッツと
ヨユメ: 実存界から霊がおりて来て、背後霊団の方と言うよりはゆかりのある方の霊であったり助けを求めて来られたりと色々あります。 白い丸い光は霊魂が降りてきている場合ですね。
まだご意見を仰っていない方は?
Lさん: 寝ているときに何か見えるんですが。 それが何か、なんと言ったら良いのかわからないのですがそれも瞑想なのでしょうか。 座ってこうしてやらないと瞑想ではないのでしょうか。 寝ていても何か無になったと思う時があるんですよね。 本当に眠ってはいないんですけど。
Eさん: それは瞑想と思います、個人的な意見ですが。
ツツカトータの妻女: 声が聞こえてくるような感じがあります。
Lさん: あります。
ツツカトータの妻女: 瞑想する気ではないのに向こうからやってくるような。
アナハラセ: 他にありますか?
トコロ: 私は本当にこれが瞑想なのだと考える前に、とにかくやろうと思って励んでいます。 時には10分未満のときもあります。 何が瞑想なのか、どうしたら無になれるのかよりまず私の場合は祈りから始めます。 世界の平和、ガイア様への癒し、そして今はHさん。 それが終わったら何も考えないようにし、そういう状態に持っていくようにすること、毎日続けることだと思ってやってきています。 さっき皆さんが仰っていました、いろいろな色が見えると。 私にも見えてきました。 最初に見えたのはパープルで、そして今は緑が見えます。 ですがその時の状態によって見えないときもあります。 見えるから瞑想に入っていると言えるのか私にはわかりませんが、とにかく毎日毎日続けていくことが私には重要だと思っています。
Eさん: 私も持続することが大切だと思っています。
アナハラセ: トータはいかがですか?
トータ: やることですね。
ヨユメ: やっていますか? 何かやっていらっしゃって変化が起こって参りましたか?
トータ: やった時これが瞑想だとは言えないが、非常に体が楽になります。 軽くスーッとしますがそれは余り無いです、はっきり言って。 それと今まで一回だったか一時間が一秒のように感じたことがありました。 目が覚めたとき一時間たっていたが一秒のようでした。 それは一回しかありませんが。 疲れたときにやれたらとても楽になる。 シャマナが言ったように背筋を伸ばしてピシッとやって時間を一秒と感じたときは気持ちが良い。 やらないのは(瞑想に)入るまで雑念があり、色々脳裏を駆け巡り一分を長く感じます。 やっている内に早く感じるときもあります。 そういう時もあるし一分間を長く感じるときもある。 一分間を長く感じるときのほうが多いですが、そのときのコンディションによって色々。 取り敢えずやるしかないと思っています。 やれるときは出来る限りやるように。 このごろはHさんのこともあり9時30分にはやっているようにしています。
アナハラセ: ショーカそうですか?
ショーカ: ふふ、そうです。
ヨユメ: お二人そろって?
ショーカ: そうですね。 Hさんのお祈りという形で毎日9時30分このごろは欠かさずやっています。
私の場合やっていると光が出て来て光の中にシルエットとかがでることがあります。 あれってどういうことなの
でしょうか?
ヨユメ: 意味がよくわからないのですが
ショーカ:パープルの光がずーとでてきますよね。 そのパープルの中にシルエットが出る。 それが人の影とか木の影とか色んなシルエットが出てきます。
ヨユメ: それは色々だと思います。 それが何だったかと一言で言えませんが、全て貴方の考え、思いに無いものは現れないということです。 一日でご覧になって印象に残ったものが残像として出て来ることがあります。 しかし見えた人影がゆかりのある方の霊がそのようにということではありません。
皆様が実存界のエネルギーと一体になられた時にこちらの世界のエネルギーは白い丸いボールのようになって写ることがあります。 お写真にもその様にでることがあるのですよ。 ご覧になったでしょう、パケサー、アソウ? ご住職がセドナでお撮りになった写真に丸い白いボールがいくつも写っておりましたね。 全くあのとおりなのです。 強いエネルギーをもった霊の場合写真に写ることがあるのです。 そして特定の霊でなくエネルギーが渦を巻くように出てきます。 瞑想をなさっていて白い光の渦巻きや白いと言うか薄い金色の光を見るには時間がかかります。 見えるのが大事とか、そうならなければならないと言っているのではありませんがやはり段階があります。
まだ何も仰っていないのはアトシエですね。 はい、どうぞ。
アトシエ: 私は瞑想をしても余り何も感じないのでちょっとがっかりしてやっていません。
ヨユメ: なぜやってないのですか? 貴方は何かをしたらすぐ見返りを期待する。 それがいけません。
(Tさんに向かって)貴方様はいかがですか? 瞑想は?
Tさん: 私は瞑想をしようと思ったらEさんと同じように雑念が入ってきます。 20分ぐらい座って光のほうに向かっても中々難しい。
アナハラセ: あと、パケサーですか?
パケサー: 私もシャマナが作ってくれたテープを聴きながらときにはきれいに渦巻いたブルーとかパープルがカリエダ(?)スコープみたいに回って見えたり、地球がブルー、グリーンで回ったイメージが浮かんでくる事があります。
アナハラセ: では質問の内容をまとめます。 雑念が瞑想中に入ってくる。 それは排除しなければいけないのかそれともそのままで良いのか。 排除するその方法は
ヨユメ: その前にアナハラセ、貴方はどうしているのですか?
アナハラセ: よくお気づきになられましたね。
皆さん: ゲラゲラ
アナハラセ: 私の場合、瞑想をする事によってご大霊の意識と一体となるということだと思います。 そのためには体、心、魂がリラックスした状態にならないと完全に一致したという感覚が得られないと思います。 まずは祈りが多くそして反省それから守護霊様に通じてガイドをしてもらうようにお願いしています。 潜在意識に通じるために守護霊様の導きを受けながら一緒にやっていくようにしたいと思っています。
それで先程の質問ですが、雑念に関してそろそろヨユメさんのお導きをいただけますか?
ヨユメ: まずはですね、オッターの言ったように時間とか場所とかそういうのは問題ではない。 プレッシャーをかけてやるより出来る範囲で時間もかけないでやるのも一つの答えでしょう。 今のオッターには宜しいでしょう。 夫々の方の波動ですね、守護霊様と瞑想をしなくてもそういう短い時間で繋がることが出来る、私どもの世界のエネルギーに通じることが出来る波動をお持ちでしたらそれば良いのです。 そういう事ができる人がまた更に大切な時間をそのために費やし宇宙エネルギ-と一体になって何かをすればそれは大きな力が出てくる。 ご自身がこの三次元世界で出来ないことが出来る。 しかしオッターの言ったあれは都合がいい、10秒でもいい、赤信号の間でもいいからといってアトシエがやっても何もならない。 まずはトコロの申したようにまずはやること。 そういう癖をつけるのです。 それも一つの自己犠牲なのです。
瞑想をすることによって学ぶことは沢山あります。 じっと座って雑念を振り払いながらやる。 苦痛です。 面白くも無いのになぜ?と思うでしょう。 自分の得にならないこと、何かそれをやっていいことがあれば、ちょうどお寺にお参りしお守りを買ってご利益を求めるようなものです。 そういう気持ちでは瞑想に限らず人生においても何事もうまくいきません。 その上ではこちらが仰ったようにオッターの言うことは良くわかるが、継続して出来るという訓練をつけるということに意味があるのかと言うとそれはございますが、できないからとプレッシャーをかけていらいらしながらするのは意味がありません。
どうしてそれをすることが良いのかと言いますと例えばシャマナは数時間しか眠りません。 それがどうして健康を維持出来るのか? 唯一瞑想によってなのです。 瞑想をして10分、30分、1時間宇宙エネルギーと繋がったとき、前にも申しましたでしょ、正しく瞑想をしてこちらのエネルギーを受けると睡眠よりもっと強いエネルギーを受けられわけなのです。 仕事或いは色々なことでもお導きを頂いてお助けを頂いています。
雑念のことですが、入らないのが良いに決まっていますが最初は入ってもいいのです。 入っても続ける事が大事です。 その為にあのテープを作ったのです。 ガイア様への祈りそして色々な方の顔を思い浮かべながら許しをかう。 自己反省の時間を作る。 そして色々な人に光を送らせて頂く。 そして自分の頭上に白い光がやって参ります。 本当に来るのです。 見えないから来ていない、その場合は想像しても結構です。 いえ、私の見たのは、あれは光でなく私の想像した、わかりますかアトシエ?想像imagination。 それでもよろしいのです。 想像も観念です。 本当にあるものと思って良いのです。 見えなければ自分で作って結構です。 そうしているうちにご自身がそういうふうにしなくても見えてきます。 雑念は無くそう、無くそうでなく、無くせないのならテープの力を借りて光を想像したり、人様の許しをかったり、祈りを、光をお送りすることで雑念は入ってきませんね。 その為にああいうことを言っているのです。 あれは皆さんの頭に雑念が入って来ないために言っているのです。 必ずしもあれでなくて良いのです。 雑念が入って来なくなったら皆さんと皆さんの守護霊さまの中でそれぞれに合った瞑想をすれば良いのです。 それまでの訓練としてのテープです。
そして雑念とは何かと言うと、無いほうが良いと申しますのは、雑念とは日常の雑事のことです。 パケサーなら明日のおかずは何にしようかとか。 明日は会社でこれもあれもしなくちゃとか、誰かにお詫びの電話をしなくてはと。皆さんの日常の雑事の中心にあるのは誰ですか?
皆さん: 自分
ヨユメ: 自分の周りのことしか考えていないから雑念があるのです。 だからやはり雑念は無いほうが良いのです。 よって瞑想の時ぐらい自分の事を考えていただきたくないからあのテープなのです。 そういう意味で、皆様日常生活でご自分のことを考えず人様にと言ってもなかなか出来ない。 ならばせめて考えの上で、瞑想の時ぐらいガイア様への癒し、過去に傷つけたかもしれない人へのお詫び、周りで病んで苦しんでいる方に光を送らせていただく、そういう訓練によって瞑想をすれば次第に自分のことは入ってこなくなります。 お分かりですか?
そして瞑想をしていると皆さんの守護霊さまと指導霊さまといつも繋がっています。 守護霊様は生まれたときから死ぬまで。 この間凧の話をしましたね。 いつもそして皆さんがとんでも無い方向に飛んで行こうとすると有難く軌道修正をしてくださる。 その糸を手繰って守護霊さまと結びついている、その糸を手繰るような行為だと思ってください。 一日うまくいった事があればまずは守護霊さまにお礼を申し上げてください。 そしてまた皆さんに色々違った指導霊団の方−目には見えないが必ずいらっしゃいます−にもお礼をする。 そうすれば守護霊さまも背後霊団の先生方も助けやすくなるのです。 その方たちのお役目は皆さんの使命成就のお助けです。 そういう有難いお助けを皆さんは断っていらっしゃる。
宇宙エネルギーは満ち満ちています。 ご大霊のご加護も守護霊様を通じて皆様にくるようになっているのにそれを来られなくしているのは誰でもないご自身です。 前に守護霊様が助けたくても私が、私がは結び目を作ると言いました。 助けたいと思っても結び目があるから助けにこられない。 だから我というのは良くないのです。 そして我というのは結び目でもあるし、そうですね、こう申しましょうか。 霊界からはいつも皆さんに色々なエネルギー、癒しのエネルギーさえも送り続けています。 皆さんに分け隔てなく届くようになっているのに届かなくしているのは皆さんなのです。 丁度皆さんの周りをガラスで覆ってみてください。 真っ黒に自分の事、家族の事、子供の事ばかりを考えて真っ黒になっていると届きません。 自分の中の我を一つずつ取り除いていくと黒い煤がとれて否応が無く光が届きます。 そして迷路って御存知ですよね。 迷路って言うのですよね? ここからここまで行くのに右に左に折れ曲がって行く。
皆さん: 迷路!
ヨユメ: そして本当は皆さんがこの三次元世界に生まれて来たときはご大霊の光は守護霊様を通じてまっすぐ来るようになっています。 段々色々なことを覚え、この三次元世界で生きていくにはある程度物質欲を持たなくてはいけない。 そして我がでてきてきますね。 そういうことで迷路が沢山出てきます。 我が出るたびに道が曲がります。 複雑な迷路になると届きません。 そのために瞑想をして−たとえ雑念がはいっても−何か気づきを与えられたとき迷路が取れます、結び目の一つが取れます。 雑念が入りどうしてもダメな時はテープの助けを借りるのも良し、あるいは好きな音楽を聴いて忘れられるのならそれも良し。 先程この音(ベルの)を聴いて皆さんと瞑想をやると無になれるのに一人でやるとむつかしいと。 それは当然です。 一人より皆さんと一緒の方が、皆さん夫々からでるエネルギーを10とすると10人いたら100ではないのです。 それは皆さんの世界の数学です。 何十倍何百倍となる。 お分かりですね。 従ってとにかく祈る、世界平和を祈る、地球の癒しを祈る。 勿論一人でも続けてください。 しかしこのように皆さんが集まってやるとその力は何十倍、何百倍になるでしょうし、やってください。
アナハラセ: ではあと瞑想は例えば座って足を組んですべきなのか?寝てもいいのか?という質問があったのですが
ヨユメ: 体の具合が悪くてお休みしけなれば腰が痛い、背骨が痛いときはそれで結構です。 休んでいても背骨は真っ直ぐ伸ばしてください。 しかし眠くて疲れている体でするとすぐ眠ってしまうので、本当は朝とかお昼間なさるのが宜しいですね。 夜は感謝と祈り、そして瞑想は朝というふうにするのが効果的だと先生方がよく仰っています。
皆様方がご存知の先生方すべてあの悟りの境地に達せられましたのは瞑想をなさらなかった方がございません。 全ての先生方が只瞑想あるのみと仰っています。
アナハラセ: では夜は感謝と反省ですか?
ヨユメ: いえ、それは例えで、そういうふうにいかないこともありますから。
アナハラセ: それではパファの質問で、無になろうとするということに関してはいかがでしょうか?
無になるというのは何も考えない、空っぽになることではないのですよ、パファ。 無というのは我が無になるのです。 だから何かを考えても良いのです。 自分の事でないことを。 世のため、人様のため或いはそうですね、物でも何でもいいのですが、自分が結びつくということが無になる(?)ということなのです。 無になるというのは何も考えないで空っぽになることではありません。 只ただ光をみて空っぽになってどういう成果があるのですか? その時お願いします、お願いしますでなく、そうですね具体的に例えば皆さんの中でこういうものを思い描いて例をあげたら申し上げ易いのですが。 自分との関わり合いにおいて何かを考えていくという過程を踏んであることを想定して瞑想した場合はそれは無になれないのですね。 難しいですね。 言葉でいえないのですよ。
パファ: 以前ヨユメさんが祈りは瞑想では無いとはっきり仰ったことがどうも残っていて、祈りは−人のために祈る−瞑想でないと。
ヨユメ: それもそうですが正しく言えば、間違いではないですが不十分な表現なのです。 祈りは皆様の場合お願い事が多いときの祈りでそれは瞑想ではないのです。 しかし祈りの中にも色々あって、お祈りして「お願いします!」で終わればそれは祈りです。 しかし自分に関わりがないことで、自分の損得に関係ないところでなにかガイア様への癒しを祈る場合、或いは病に苦しむお友達が癒されますようにと祈る、これはお願いではあるが、そしてその彼を、彼女をお癒しくださいと終わればそこまでなのですが、その祈りの想いを宇宙エネルギーに繋げることによってより強いものになります。 そうしますと瞑想の段階に入ります。 「お願いしますね」これは人頼みなのです。 そのあとご自分の光とエネルギーをつかって宇宙エネルギーと一体となってそのエネルギーをご自分が頂いてお送りする。 そうしますとこれは瞑想です。
祈りも確かに瞑想です、しかし私がその時に言った祈りはそういうふうに「お願いします!」のお祈りのことです。
パファ: わかりました。
Eさん: 大体わかるような気がしますが、今例にだされた人が良かれと思ってやることはある意味で祈りをするひとの自我がはいってくるような気がします。
ヨユメ: それが多いのですよ。 その場合は無我でないのですよ、迷路があるのですよ。 この方にお祈りするのは、例えば配偶者の場合、夫が、妻がいなくなれば私は直ちに困る、子供たちが悲しむ、当然ですよね。 だから祈るのは当然です。 ただそういう気持ちからお助けくださいと祈ってはいけないと言っているのではないのですよ。 でも皆さんに私がお願いしている瞑想というのはそういうレベルではないのです。 それは一般の祈りです。 そして正直言ってそれを聞くとがっかりするかも知れませんが、そういった祈りの殆どを私どもは聞きません。 聞いておれないのです。 というのは本当に大変な時には祈り、お願いは必要ないのですよ。 なぜかと言うと日々の生活で神、ご大霊とか我々の存在を信じていない人が殆どです。 信じていないからそういう事を勉強してご精進下さい、自分のことでなく人様のために使う時間を取ってください、自己犠牲をして困った方を助けてくださいと言ってもしてくださらないというのは私たちの存在をあるいはご大霊とか高次元の先生を信じていないからなさらないのです。 私たちはいない、そんなものは無いですよと言っているのと同じとみるのです。 だからこそ日々の精進がない。 そういった人が困ったときに助けてくださいと手をあわされましても、その人たちにとって私たちは存在していないものだと知っていますのでどうして助けに行けますでしょうか? 自分の身に火の粉がかかったときに「神様助けて!」という人は神を信じていない人が多いのです。 神を信じて−神またはご大霊、なんと呼ばれてもいいでしょう−見えない世界にあるルールとかそういうもがあるものだと信じている人は生き方が変わってきます。 おわかりになりますか? 厳しいようですがそういうものなのです。
そして瞑想と言うのは座って反省をしたり、反省というのは自我が入っていません。 自我を打ち消そうという行為です。 それをしたときに気付きがある。 ひとつそういった時間を持つことによって気付く、気付きが大事なのです。 でもまた同じ過ちを犯す。 しかし気付くことが大事なのです。 気付いたときに迷路がはずれ黒い煤が拭われ光が入ってきます。
そして瞑想をしなくても幸せに立派に生きている人も沢山いらっしゃるではないか。 それはそうなのです。 みんなが瞑想をしなくてはいけないものではありません。 そしてこんな真理の勉強をしていなくても立派に実存界に帰れる人も沢山いるのです。 私がここにお導きに来て参りましたのは皆さんは真理の勉強をしてそれをより広く他の人に広めるという使命を持っているのでそれをお助けする為に来ているのです。 皆さんに話してお願いしていることを全て他の方全てに当てはめられるという物ではありません。 真理は変わりませんよ。 以前申しましたね、実存界からこの三次元世界に何度も転生してきてその度に違った使命が与えられていると。 今回は人様の物を一度も盗むことなく自分で仕事をして一生無事に過ごせたら良く出来ましたねと実存界に、光の国に帰れる方もいるのです。 その様な約束で降りてきているのですからどうしようもないことなのです。 いつも申しますようにそういう意味で皆さんが「ああいう行為は地獄に落ちる行為だ」、「ああいう行為では光の国へ帰れない」というようなことはだから当てはまらない。 おわかりになりますね。 瞑想というのは皆様と守護霊様との間の連絡ですね、communication と言うのですね。 それをよくするとても大事な方法です。 そして宇宙エネルギーを受けられる大切な時間です。 皆さんの目に見えませんが先日オッターおっしゃったプラナーですね、それをいただける。 本当はいつでもいただけるのですよ。 しかし瞑想をして宇宙意識と繋がるとうんと沢山入ってくるのです、光をとおして。 段々、そうですね5年10年たつと自ずから皆様自身自ずから「ああ、これは素晴らしい瞑想だった」、そしてそれを通じて色々なお導きを受けられる、そして無くてはならないものになります。 そうしますとあるとき時間に制約があっても(録音はこれまで)シャマナのように会社のトイレに座っている間でも瞑想が出来るようになります。 腹がたった時そこで許しを乞い、出てくる。 そのようにどんな場所でも良いがそれは基礎が出来ているからなのです。 基礎は只ご精進あるのみです。
アソウ: 笛を吹きながら瞑想ができる気がするのですが?
ヨユメ: 今の貴方には無理です。 笛の達人ならできるかも知れませんが。 瞑想をすると意識が笛を吹くほうに向かなくなりますから。 アソウの意識は笛を吹くほうに向いています。 アソウは今自分にとって何が必要なのかよく考えてやるべきです。
Eさん: もう一つ聞きたいのですが、雑念のうち自分に関しては90%が感謝です。 その感謝をまず第一にする。 それも自我ですか?
ヨユメ: 感謝は自我か。 感謝があるところに悪いことは無い。 不満があるところに悪いエネルギーが生じます。 悪いエネルギーを拭い去る方法は何でしょう?
トコロ: 深呼吸
ヨユメ: 深呼吸のながーい息、それよりやさしい微笑みを作ることです。 一番できる美しい笑顔、日々簡単でお金も要りません。 そして人間関係をうまくします。 波動をあげるのは笑顔です。 いつもやさしい笑顔が漂っている。 それを自分のものにすると表情がやわらかくなる。 そして皆さんの波動もやわらかくなる。
パケサー、眉間の皺は良くないですよ。 作る皺は良くない。 まずはやさしい微笑みをいつも浮かべる。 言葉の前に笑顔です。 にらまれるよりどんなに良いか! 笑顔は相手を気持ち良くさせ相手が好感を抱きその感情が良いエネルギーを伝えます。
いつも自分は何か損をしていると思っている人は貴方がその人を嫌っている、貴方がその人を嫌わせているのです。
それでは皆さん素晴らしい笑顔を見せてください。