Yoyumeからのメッセージ 2003年6月20日
皆様ごきげんよう。
さて、今日は何からお話しましょうかね。
そうですね、身、心、霊についてはもう何度もお話し致しましたので皆さんには馴染みの言葉でございますが、そうですね、それではその中の霊ですね。 もうこの中では霊の存在など信じないという方はいらっしゃらないですが、それでも見えない、触れない、そういうことで本当に霊とは何なのかというと結構難しい、そう思っていらっしゃる方もおられると思うのですよ。
色々に解釈できますが、今日はその霊でもこれは日本語の表現で霊魂という言葉がありますね。 霊と魂と書いて霊魂と言うのですが、この霊と魂は同じなのか違うのか? 違うのならどう違うのか? それについて皆様お感じになることをお聞かせ願えますか? 何でもいいのですよ。 自分は霊と魂は同じだと思うとか、こうこうこういうふうに違うのではないかとか。 それについて考えてみて下さい。 そして夫々に思うところを仰ってみて下さい。 何でもいいのですよ。 間違って恥をかくなどは努々考えないで。 立派なお答えをしようなどというのはそもそも自我ですよ。 何でもよろしいのです。 思いつくままに仰ってみてください。
アナハラセ: まだ身、心、霊の心と霊の違いを実感するところまでいっていなかったところがあるので、霊と魂の違いなどは全然考えたこともありませんでした。 言われてみると霊というのは多分個別の性格をもったようなエネルギーというか光というかということで、言葉の単なる違いかもしれないですが。 魂というともっと集合的な意味のそういうエネルギーというか光というか、意味が強くなるのではないかというふうに感じますね。
ヨユメ: 成るほど。 他には?
この霊と魂なのですが日本語で霊と魂と申しますが、他の言葉ではこのように区別して言ってはいないのですね。
アナハラセ: 例えばspiritとsoulの違いですか?
ヨユメ: そうなのですか?
アナハラセ: どうなんでしょう。 霊というとどっちかと言うとghostみたいな意味が入ってくるかなという感じがします。
ヨユメ: そうしますと人格というか人のような様が備わったようなものを想像した場合はアナハラセはどちらかというと霊の方をそう思って、魂の方ではないと思われますか?
アナハラセ: うーん、単なる言葉上のものなのかちょっと分からないですけど。
ヨユメ: そうですね。言葉がね、障害になりますね。
アナハラセ: 例えば守護霊とか指導霊といった場合はたとえば指導霊の場合はそういうエキスパートというか専門家がいらっしゃって、それは特有のキャラクターをもっているような存在ではないかという気がしますが。
ヨユメ: 成るほど。 他には。
トコロ: 私はアナハラセと逆に魂のほうがどちらかというとキャラクタ−をそなえたようなものだと思います。
ヨユメ: 成るほど、全く反対の意見ですね。
トコロ: はい。 逆ですね。
ヨユメ: 成るほど。 色々あると思うのですが、そのように皆さん感じられるところ、正しい正しくないはどうでもいいことなのですよ。 結果としてどちらが正しいということになるかもしれませんが、大事なのはご一緒に考えてそして自分の思いを皆様に伝える。それが大切なのですよ。
トコロ: 余り考えたことはなかったのですが、どちらかと言うと霊というと本当にご大霊の分け御霊を頂いたそのものというふうに感じます。 魂というのは私たちそれを頂いてある人はものすごく何回も転生して生きて、そしていろいろ肉体を持ってそういうものにも影響されてきたようなものが魂なのではないかと思うこともあります。
アナハラセ: 大和魂という言葉がありますね。 大和魂あれは固有のものでなくてそれは一種の意志の現れみたいな。
ヨユメ: 成るほど成るほど色々出てきましたね。 そういうふうに思いつくことをどんどん皆さんで仰っていくうちにそれなりに答えが出てくるのですよ。 私が申し上げることも出来ますが、皆さんに考えていただいて、思い思いの意見を述べられて、そのうちに「あっ、そうだね、それもそうだね」とそのようにして何かこう意見がまとまっていくのですよ。
パケサーはどうですか?
パケサー: そこまでいきません。
ヨユメ: そこまでとはどこまでですか?
皆さん: (爆笑)
ヨユメ: 同じと思いますか? やっぱり、違う
パケサー: 違うと思います。
ヨユメ: 同じという意見があってもね、それはそれで宜しいと思うのですよ。
パケサー: ちょっと違う
ヨユメ: 違うとは思われるのですね。 皆さんそうですか?
皆さん: 違うと思います。
ヨユメ: 違うと思われます。その違いがなにか分からない。
アナハラセ: 字が違う。
皆さん: (笑い)
ヨユメ: それではこの中でやっぱり呼び方が違うだけで同じものなのだと思われる方はいらっしゃいますか?
ショーカ: そういう気もします。
アナハラセ: 今までは同じように使ってきたのでは?
ヨユメ: そうですね。 でも改めて考えるとやっぱり違うなと。 そこなんですよ。 まずは見えないもの、そういうものを認めることが出来たから私がこの霊魂という話を。 一番最初に心と、先程いみじくもアナハラセが言ったように、心と魂のその違いさえもはっきり区別ができない、そういう時に霊と魂の違いなどお話ししますともっとわかりにくくなりますよね。 しかし今、皆様ははっきりとわからないとは仰るものの、心と霊ですね、身心霊−肉体、心、霊−この三つの違いはもう掴んでいらっしゃるのですよ。 それは私共にわかります。 それでは霊と魂の違いをお話しする時期かなと思って、今日はそれを話題にしようと思ったのです。
他にこういうところが違うのではないかというご意見はありませんか?
ナバキは忙しく、なんか頭のうしろで考えているんですが。 考えていることを言葉に出してみて下さい。
ナバキ: 一生懸命考えているのですが魂は信念みたいな感じかなと思うのですけど。 霊は何て言ったらいいのか
ヨユメ: しかし夫々に近づいてきましたよ。
言葉にすると難しいのですが、皆様夫々にここで違いを感じてはいらっしゃる。 違いがあると言うこと、感じるということはわかっていらっしゃる。 それが言葉に出来ない。 ということは私がいつもどれだけ苦労してお話しするか分かっていただけますでしょう。 時々もう本当におわかりいただけるように話すのに苦労しますの。 結構勉強しているのですよ。 言葉で表現しなくてはいけない。
それでその色々制限のある言葉を使って、そうですね、ご説明しますとトコロとアナハラセの意見が調度反対になりましたが、どちらかと言うとトコロが言ったように霊というのはご大霊の分け御霊。 皆様にずっとついてくださっている守護霊様、指導霊様そういうことからもご大霊の分け御霊、ご大魂とは言いませんね。 全てをお創りになった創造主のことを私共は日本語で表現します場合にはご大霊と言い、ご大魂とは申しません。 そうしますと全てを創られた、全ての勇気のもと、生命エネルギー、そういった不変なものは霊なのですね。
そして魂というのは、大和魂が出てきましたが、昔の人はそのように、それにはさっきアナハラセが言った集合体としての意識、ナバキは信念という言葉を使いましたが、要は意識ですね。 そういうものを反映しているのが魂。
二つにスパッときれいに分けてしまえるものではないのですが、皆様が実存界に帰って来られる、肉体を捨てて帰って来られるときにははよく魂が抜けたと言われますがあれは霊なのですよ。 肉体から本当の命、生命体が出て行くわけですね。 それはご大霊からいただいて皆様どのような生を生きられても延々と続いて存在する生命ですね。 それは霊なのですよ。 そして過去生、それから未来に転生してこられた時に生きるその生、いろいろ学ばれるでしょうが、その各生において引き続き霊は違った肉体に宿ります。 そして各生での想いを、体験を持って進化していきます。 そして究極はご大霊のみもとにということなのございましょうが。
片や魂というのは過去生におけるそういう皆さんの体験の一つ一つよりも、各生においてどのような環境で生きられ、どのような家族関係で、言葉を変えましょう。 私もちょっと表現ができないのですが、分かっていただき易いように言い変えましょう。 霊−不変に存在する霊−がこの度ナバキとして、アソウとして、パケサーとして生きていますよね。 皆様は日本人としての肉体をもって生きておられる。 そして日本人の肉体を持ってこのアメリカで生きておられる。 そしてこの時代こういう経済、社会の中で生きておられる。 おなじく日本で育った日本の方はまた違った環境で違った社会の中で生きておられる。 そのように与えられた環境に霊は影響を受けます。 そのように皆様の変わらない生命体に影響を与える環境なり、或いは人間関係なり、民族として、或いは家族関係、そういったもので与える影響、生命体に影響を与える部分のものを魂というのです。 余計に分かりにくくなりましたか?
アナハラセ: 集合意識とは違うのですか?
ヨユメ: 集合意識もその一つです。
アナハラセ: もっと身近なものもある、
ヨユメ: 身近なものです。 集合意識といえばすべてがいずれは集合意識になるのですよ、高い次元で。 もっと低い次元で三次元的、三次元に近い次元での集合意識等ですね。 民族意識そういったものも。 ですから誰に教えられなくても日本人はやはり日本人的考えとか意識をもっていますね。 それを引き継いで、それは遺伝とかというものではないのです。 それは魂なのです。 学習せずとも憶えている部分ですが、それは霊ではないのですよ。
アナハラセ: 霊にキャラクターみたいなものがあるのですか? 違いますね。
ヨユメ: 違いますね。 霊も魂も本当はキャラクターなどないのです。 キャラクターというのは人格のことですね。 ただそれはないのですよ。 というのは霊というのは見えない、皆様の生命体は全部繋がっているのです。 貴方があって私があるのではないので、本来は個別のものではないのです。 肉体を持ったときにそのように認識されてしまうのですね。 ただ皆さんの霊的グループ、7人の霊的グループというのは同じ意識の魂をもった方が多いのです。
何となくお分かりいただけましたか?
それではこんな話を聞いてどう役にたつのかというところでしょうが これから見えない世界の霊、そういうものを考えながら、或いは色々な体験をされますとこれを知っていると「あっ、これは霊の話だ」、「これは魂のほうなのだな」というふうにこの違いを分かっていて便利なときが参りますのでね。 今は「何でこんなことを」、「霊でも魂でもいいのではないか」と思われるでしょうが、そういう時がまいりますのでね。
パファ: 質問ですが、 4次元以上の世界に魂というものは存在するわけですか?
ヨユメ: まずはいつも私共は三次元、四次元、五次元と呼びますが、それは便宜上つけた名前であることはご存知ですね。 そして三次元,四次元は同時に存在しているのですよ。 それ故三次元と四次元の違いというのは大雑把に三次元は皆様の肉体で感知出来る世界、四次元はそうではない世界。 そういうところでさっきアナハラセがいったように心は見えませんね。 そういうことで心は三次元にも四次元にも両方存在するのです。 そういう意味で魂も霊も4次元には存在するわけです。 答えになりましたか? 魂は見えませんね、霊も見えません。 そういう点で四次元以上の世界ですね。
アナハラセ: もう一つ質問があるのですが。 霊と魂の違いですけど、例えばトータという霊、霊はひとつですがトータとして生まれてきて、彼なりにそういう色んな生活それから転生回数が多く色々そういう知識もあるし、人より器用でいろいろなことができる、そういうのは魂が憶えているからですか? まあ性格でないということなのですが
ヨユメ: 憶えているのは、転生によって色々な体験を憶えているのは霊でございます。 と申しますのはね、霊は不変に、その皆様の、そうですね、アナハラセにわからせるのにはこれが宜しいでしょう。
ちょうどコンピュターのメモリのようにすべて蓄積されるのは霊の中に蓄積されるのです。 それがどのようにと申しますのは、たまたま今生は日本人として生まれたからですが、以前は皆様はアメリカインディアンとして生きたことがおありですよね。 それにアナハラセは今のノルウェイですか、そこで生を受けてお坊さんとして生活された。 その記憶が強く霊に刻まれている。 それは霊にあってですね、魂、集合意識、その環境というのはいま、今生生きるときに霊に影響を与えますが、続いて次の生までいくものではないのですよ。 分かりました?
アナハラセ: 魂の記憶というふうな言い方を誰かしていましたが。
ヨユメ: そうです。 それは魂と霊を分けないで表現した場合はそうなのです。 今までは魂も霊も一つ同じようにに扱ってきましたからね。 でなければ最初からこのように分けて話しますと、それでなくてもわかりにくいのに困りますでしょ。 順序を追って一応これでも苦労して工夫してお話を進めていっているのですの。
アナハラセ: そしたら経験が多い霊というのは波動の高い霊とかと関係ありますか?
ヨユメ: いえ、関係ございません。
アナハラセ: 経験が多くても?
ヨユメ: 転生が多いということと波動の高さは全く関係ございませんが、知識の蓄積は多いのですよ。 それも何時どの時代にどのように、原始時代にばかり転生して来ているのと色々な違った時代に転生してきたのとこれまた違いますしね。 そして転生してきて何をしたかによっても全く違います。
ショーカ: それでは波動が高いということは現生だけの単位というかそういうものですか?
ヨユメ: そうです。 今の。 波動高く生まれ、今生降りてきて下げていく人もおります。 本来は徐々に上がっていくべきものなのですが。 中々そうは行かないものでしてね。
それでは霊と魂のお話はこれ位にして次はそれではもっと基本的な身、心、霊にいきましょうかね。
パケサー、お腹がすいていますか?
パケサー: いいえ。
ヨユメ: 空いてない。 パケサーはお腹が空いたらどうしますか?
パケサー: お腹が空いたら怒りっぽくなる。
ヨユメ: お腹が空いたらお水を飲んで寝ますか?
パケサー: 最近はなるべく...
ヨユメ: そんな事は聞いていません。
皆さん: (爆笑)
ヨユメ: お腹が空いたらどうしますか? 簡単に答えてください。
パケサー: 物を食べる。
ヨユメ: そうですね。 物を食べますね。 皆さんそうですね。
皆さん: はい。
ヨユメ: そして肉体を持たれている以上、生命、肉体を維持する為にはお食事はしなければなりませんね。 それは皆さん同意なさいますでしょ、パケサーだけでなく。
それでは私からの質問です。身心霊の身−肉体−の部分だけがお腹をすかせるわけではないのですよ。 心、それから霊も引き続き存在していく為にはエネルギーが補給されなければいけません。 これはもう単純に宇宙のシステムなのです。 エネルギーの補給が無ければ存在することが出来ません。 お食事無しに何日も生きられないですね。 それでは心、心のエネルギーの補給、心がお腹がすいたといえば何をあたえればよいのでしょ? そして霊ですね、霊もお腹がすいたといえばパケサー、焼き鳥を上げてもしょうがない。
皆さん: (爆笑)
ヨユメ: 何をあげればいいのでしょう。 霊がお腹がすいたといえば。 それを皆さんでちょっと議論してください。 心がエネルギーの補給を要求しているとき、そして魂、霊、これは魂でも霊でもよろしいです。霊としましょうか身心霊ですから。 霊がお腹が空いた、エネルギーの補給が欲しいといったときは何を与えるべきか。 しかし皆様は生きつづける為に必要なのはお食事しかないと思っていらっしゃる。それでは困るのですよ。
いみじくもナザレのエマニュエルイエズス様が「人はパンのみにて生きるにあらず」と仰いましたね。 人はパンだけで生きているのではないのですよ。
みなさん: (爆笑)
ヨユメ: 分かりますか。 そうするとパケサーは「当然ですよ!お魚も要りますよ!」
皆さん: (爆笑)
ヨユメ: そのパンというのは食べ物の総称です。 食べ物だけで生きているのではないというのは心にも霊にもエネルギーを与えなければならない。 そういう事を仰ったのですよ。 分かりますか? それでは心と霊の食べ物とはなんでしょう、パケサー?
ショーカ: 人間として波動の高い行動?
ヨユメ: なるほど、それは心ですか、それとも霊に対してですか?
ショーカ: 両方です。
ヨユメ: 両方に。なるほど。
ナバキ: 愛ではないですか
皆さん: うーん
ヨユメ: 成るほど。 いいですね。 段々皆さんいいお答えが出るようになりました。 こういうのを私は望んでいたのですよ。
アナハラセ: 心が傷ついたときにやっぱり優しいこころが一番癒えるでしょうね。
ヨユメ: 優しさですね。
アナハラセ: で、魂のほうは...
ヨユメ: 霊のほうは
アナハラセ: あっ、霊のほうは使命に向かっているかなと思えるときが一番なにかいいような気がします。
ヨユメ: 成るほど。
トコロ: 私は心がお腹が空いたとき何がいいのかというと勿論愛だとか波動の高い行動もそうですが、安らぎ、休息というのも大事だと思います。ちょっと肉体に近いのですが。
ヨユメ: トコロはだいぶ疲れていますね。 安らぎ、休息が欲しいと思っているのは少し疲れているのですよ。 あとで光を入れましょうね。
成るほど何でもいいのですよ。 どんどん仰ってください。 そして後で私が言うのと違っていてもそれは全く問題ないことです。 それは正しいお答えなのですよ。
アソウは心がお腹がすいたと言ったら何をあげたいと思いますか?
アソウ: お水ですね。
ヨユメ: 心は水を飲むのですか?
皆さん: (爆笑)
ヨユメ: お水ですか?
アソウ: はい。
ヨユメ: ほう。成るほど。 面白いですね。 でもお水が不可欠なのは肉体の方ですよ。 食べ物が無くても数日生きられますが、お水はそうはいかないのです。 肉体は前にも申しましたが70%お水ですからね。
どうですかツツカノーラは?
ツツカノーラ: 奉仕
ヨユメ: 心のほうですか?
ツツカノーラ: はい。
ヨユメ: 成るほど。 それでは霊がお腹が空いたと言った時は? エネルギーの補給が欲しいよと言ったときは何をあげますか?
さあ、それではヒントを与えましょうかね。
さきほど霊というのはご大霊の分け御霊、生命エネルギー、命の元ですね。 宇宙エネルギーとも生命エネルギーともエネルギーの根源ですが、皆様の肉体に宿っている霊というのは全てとつながっていますが、皆様という固体の肉体の中に入ってしまっていますね、制限を受けて、肉体の影響を受けて。そして低い波動のなかで色々な体験をとうして学んでいるわけですが、どこから生命エネルギーを補充する・・・
トコロ; 瞑想して守護霊様とつうじてそして宇宙エネルギーと一体となって補充する。
ヨユメ: そうですね。 そうですね。
肉体はお水、お食事ですね。 いいお水、お食事。
そして心はナバキが言った愛。 優しさも愛ですから。 それしかないのですよ。 人様に愛を持って接する。 人に愛をさし上げることで貴方の心はもう一杯栄養を頂くわけなのです。 これを勘違いしてはいけませんのよ。 人から愛を頂くことで自分の心を満たすのではないのです。 人様に愛の気持ちを抱くことでご自身の心は一杯になるのです。
そして皆さんの霊も限りなく存在する宇宙エネルギー、しかしアンテナとなる守護霊様と繋がってこそいただけます。 特に高次元のエネルギーはそうなのですよ。 そういう場合は瞑想なのです。 これにはまた瞑想という行為を取らなくても、何時もとても波動の高い行為を常日頃なさっている方はその行為を通じて高次元のエネルギーを受けられます。 瞑想というのが何時もどうして大事かと申しましたのは霊のエネルギーの補充のためなのです。 生命のいちばん源のエネルギーの補充なのです。
肉体は今生この現生を去られたら置いていかれますでしょ。 心は一部持っていかれるのですよ。 霊は来生もそのまた来生も引き続き持って行くものですから。 この霊を養うそのエネルギーの補充を大切に考えないで本当に正しい精進は難しいのですよ。 お分かりいただけましたか? でもこの三つ夫々が全部大事なのです。 愛ある行動、優しさ、思いやり色々ありますね。 人に優しくしてあげること、思いやりのある行動を取る事。 それもそうです、大切なことですが、お食事のね、私はパケサーをからかいましたが、飢えている人に愛だ瞑想だ、(?ここでこの文章は終わっている。)
三つ目の霊のエネルギー補充の食べ物の答えとしては光なのです。 光、愛、水、食べ物なのです。
そしてシャマナはよくものを書いたあとに愛と光love and lightと書きます。 どこかで読んで憶えて使っていると本人は言いますでしょうが、あれは私が教えて書かせたものなのです。 霊のお食事、心の食事を忘れないようにということでlove and light。 そのように何時も何時もメッセージを送ってきてましたのでそれを使っております。
光を受けるとき、瞑想の時に色々な光にご自身を包まれる、そのときに皆様の霊は歓喜に奮えそして充電されるわけですよ。
お食事のことに戻りますが、そのように飢えた方に光、愛と言っても有難くないのです。 その人が一番必要としているものを与える事が必要なのですね。 そういう意味で昔は物が豊富になくて食物を与えることは大きな愛の行為だったのです。 パケサーは今もそれを一生懸命やっていますね。 食べ物というとパケサーといってからかわれていますが、それはパケサーのやり方でありますが、立派な愛の行為なのですよ。 それはどこから出ているかと申しますと「あっ、忙しくしてちゃんとお料理も出来ないだろうな」とか、あるいは「きちんとした物を食べていないのではないか」、「ちゃんと栄養が足りているかな」とか思いながらその人のためにいろいろ作ってあげる。 それは立派な愛の行為です。 「私はこんなに料理が上手なんだ!見てご覧!」と自慢気に作っているわけではないのですから。
そしてそれだけではいけないのですが、お食事は粗末に食べてもいけません。 やっぱり心豊かに。 肉体だけのものとして食べていただいてしまうと餌になってしまいます。 食べ物を餌にしないで楽しく、おいしく、有難く頂くとそれは単に肉体だけにいい影響を与えるだけではなく心もそして霊にも良い影響が現れるのですよ。 どんなにいい無農薬の有機栽培のお野菜だフルーツだといってもポンと投げるようにして「食べなさい!」といって頂くのとすこし手をかけて「このようにして食べさせてあげたい」、「このようにして頂こう」というふうにしますと食物のもつ波動、そこに思いやりの心、愛が加わるのですよ。 全て、例え無機物でもそれを感じて応えます。 食べ物は生き物ですよ、お水だって然りです。 お水も皆様の気持ちに応えてくれます。 そういう意味で食べ物を大切に、贅沢をしろと言っているのではありません。 もう少し豊かな気持ちでゆとりをもって楽しくものを頂くというのはとても大切なことです。
昔はね、戦争が色々な地域で、色々なところで戦争が起こったのですよ。 それは食べ物が不足しますと動物のような闘争心が強く表われてくるのですよ。それで戦争が起き易くなりましてね。 今の戦争とはだいぶ質が違います。 それで懲りることもなく戦争をやってきたのですよ。 あるとき偉いかたがおられまして、戦争を止めるのにどうしたらいいだろうかという会議をしたときにいつもなにも食べ物も無く会議、会議をしている。 そういう形で会議をしますと結局どのように戦争をして勝つかということで終わってしまうのです。 そしてそこでおいしい食べ物とお酒をだしたそうです。 そうしますとお腹が満たされ皆さんの気分が和やかになって戦争なんてやってはいけないという結論になったという話があります。
そのように食べ物、おいしい豊かな食べ物には人の心を癒す力もある。 どれも軽んじてはいけません。 食べ物だけが十分だったらいい、これではいけません。 愛に満ちた行為と、愛 そして瞑想しているからお食事はどうでもいい、これもまたバランスを欠きますからね。
宜しいですか。 他に質問はございますか?
それではこれを最後に、最後の話題はですね、時間がもちますかどうかですが。
パファ、具合はだいぶよろしいようで。
パファ:非常に良くなりました。
ヨユメ: 良かったですね。
パファ: 有難うございます。
ヨユメ: それでは宿題がございましたね、貴方に。 憶えておられますか。
パファ: 意識の転換。
ヨユメ: そうですね。 それとパファ、幽体が癒されているのになぜ肉体にそれが顕現しないか、その辺をどう思われるかご自身で考えられたなりに仰ってみてください。
パファ: いろいろ考えてみたのですが、これといった確信的な答えはありませんが、何となく言える事はどこかに何ていうのか霊的なギャップみたいなものが出来ていると思うのです。うまく言葉では表現できないのですが。
ヨユメ: それではそのギャップを埋めないと今良くなっている肉体がまた戻りますね。 それはそうあっては困りますね。
パファ: はい。 ギャップというか。
ヨユメ: ほかにパファにお手伝いできる方はいらっしゃいますか? あるいはパファと違った意見でも、こうではないかと言ってさし上げられる方はいらっしゃいますか?
パファ: アナハラセからのアドヴァイスは今まで習った真理の勉強、これを実践にもっていくこと。 これがわたしがやり切れていないことだと。
ヨユメ: それもそうでしょう。 それは間違いの無いことですが、それを言えば皆さんそうですよ。 やりきれている人はいますか?
パファ: いや、私なりに。 私のキャパシティとして皆さんに当てはめるのでなく私のキャパシティとしてまだまだやれていない。
ヨユメ: やれるのにやっていないところあるということですか。分かりました。成るほど。
パファ: それは非常にぴんと来るものがありまして、今までエクスキューズとして肉体がこういうふうにハンディキャップを持っているから出来ないと。ところが今、治りましたのでそういうエクスキューズが使えない。
皆さん: (爆笑)
ヨユメ: 成るほど。 それは正しいお答えですが、それだけではないのです。
今これから私が言うことを申しあげると「まさかそんな馬鹿な」と思われますが、ご自身で気付いていらっしゃらない部分が私どもには見えますからね。
これは実は私が気付いて申し上げるのでなく、貴方の守護霊様から言ってくださいと頼まれて。 で、どうも守護霊様とまだうまく連絡が取れないようでございますので守護霊様に頼まれて申し上げるのですが、「病気でいることが好き」だそうです。 だから「そうですか?」 私は「そういう人がいるのですか! そんなとんでもない!」でも高次元の先生に伺いましたら「起こっている事は全てその人が好きだから、呼んでいるから起こっていることが多い」らしいのでございますよ。 全てがそうではないのですが、パファの守護霊様がおっしゃるのですから、貴方の場合もしかそれを聞いて「あっそういうところがあったのかな」と役に立ちますから。 これは私が感じたわけではなく、私はパファの守護霊ではないのでそこまでは分かりかねますが、頼まれましたのでそのあたりを考えて。 そして先程のこととあわせて。
それともう一つ守護霊さまからメッセージがございまして、これも厳しい言葉ですが、これも私ではございませんので悪しからず。 「ご自分を甘やかしてはいけません」。 そしてとくにご妻女、ツツカノーラを大切になさってください。 お元気なようですが、そういう方に限って労わりが少ないとさっと実存界に帰られます。 ご自分で出来ることはご妻女に頼らず何でもなさるように。
パファ: 海老の皮をむく
ヨユメ: 蛇の皮を剥くのですか?
パファ: 海老の皮。 オレンジの皮とか。
皆さん: 魚の骨とか。 グレープフルーツとか。
ショーカ: 三次元的にいうと亭主関白ということですね? ではない。
ヨユメ: うーん。 なぜ海老の皮をむかなくてはならないのですか?
パファ: 食べるときに。
ヨユメ: あっ、食べるときに。
皆さん: 手が臭くなる。 面倒くさい。
パファ: 下手だから。
ヨユメ: 下手だと言っていれば楽で宜しい!
パファ: 分かりました。
それでは皆様ごきげんよう。