Yoyumeからのメッセージ 2003年7月25日
(瞑想の前に皆さんでこの会をどういうふうにしていったら良いかを討論した)
皆様ごきげんよう。
ツツカトータのご妻女ようこそ。
咳は大丈夫ですか? なぜしつこい咳が出るのかご存知ですか?
ツツカトータのご妻女: 気温の変化と思うのですが
ヨユメ: 気温は変化しても皆さんには出ませんよね。 なぜ貴方様に出るのか、ちょっと宿題ですね。 お考え下さい。
アソウ、
アソウ: はい。
ヨユメ: ホホバレドゥへの援助のお気持ちは素晴らしいですが、ただお金を差し上げればいいというものでもございません。 急いで、よーく考えずに何事もなさるところがおありですので、素晴らしいお気持ちは分かりますが、その逸る心を抑えてシャマナや皆様にご相談の上、彼にとって一番良い方法で助けてやってください。
今、すぐ、救いの手を差し延べるという事が今回必ずしも良いことかどうか分かりませんよ。
アソウ: 分かりました。 相談致します。 有難うございます。
ヨユメ: それではここで皆さんに一つ、次回の討論の題を決めていただきましょう、一緒に決めましょう。
そして皆さん夫々に正しい答えを出そう等とはよろしいのですが、せめて今まで学んでこられたことを思い返しながら答えを用意してくださいね。 お互いに話し合ってみられるのも結構です。 前に学んだご本を持って来られても結構です。 何をご覧になっても構いません。 以前ヨユメがこう言ったこととか、この本で何方かが、高次元の先生がこうおっしゃったとか。 何をご覧になっても結構ですよ。 ここは学校の試験と違いまして学校の試験ではカンニングと言って許されないことだそうですが、ここでは宜しゅうございますの。 ただ思ったことを何でも仰ってください。
トコロ、次は何を皆さんと話し合えばよろしいのでしょうね?
トコロ: どうしたら思うことが言えるか。皆さんの前でどうしたらなるべく自分の思ったことが言えるか。
ヨユメ: それを今度の題にしますか? 皆さんそれでいいですか?
皆さん: はい。
パファ: その前に一つお願いがあるのですが。 この間、自分の守護霊とどのようにしたら良きコミュニケーションを得られるか?という、どうも納得した答えが出てないので、それもあわせて教えていただきたいのですが。
ヨユメ: 瞑想のなさっている時瞑想を通じなくても守護霊様と通じることが何れは出来るようになるのですが、まずは瞑想中に声無き対話をなさって下さい。
パファ: 声なき対話?
皆さん; 分かりません。
ヨユメ: 声に出さずにお話し合いをするのです。
アナハラセ: それは質問を心の中でするということですか?
ヨユメ: 違います。 お話をするのと質問とは違います。
例えば、皆様に守護霊様の存在がわからなくてもいらっしゃるのはお分かりでしょう。 想像されてもいいのです。 私の守護霊様はこのような方と、そうすることが容易になるのならそうしてください。 そして先ずは守護霊様には感謝ですね。 「今日一日こうして過ごせました。」 守護霊様のご加護なくしてはありえない事なのですよ。 そのときに感謝されて、そして、例えば「私はこうして今日一日恵まれておりましたが私の知人の誰々さんがこうでございます。 私はあの人をお助けしたいと思うのですが、このような形でお助けしようと思っています。 どうかお力をお貸しください」とか何でも宜しいのですよ。
アナハラセ: 例えばそのときにこういう方法で助けようと思っているのですがそれは、
ヨユメ: 宜しいでしょうか?とか。
アナハラセ: という質問でもいいのですか?
ヨユメ: 宜しいです。
アナハラセ: そうすると答えが返ってくるような気がするのですが。 気のせいではないですか?
ヨユメ: そうではございません。
アナハラセ: 成るほど。
ヨユメ: そして、しかしこれはくれぐれもお願いいたしますよ。 そして「頂いたお答えどおりにしたのにうまくいかなかったじゃないか、これはどういうことだ」と守護霊様を責めてはいけません。 守護霊様が皆様のためにやろうとしてもそのように行かぬことはございます。 その殆どがご自身の自我とか想念とか或いは皆様が他の人にどう対していられるかということで他の皆様から受ける悪いエネルギー、想念がございますね。 それからサタンですね、そういった力が遮ります。
ご加護は勿論受けられます。 しかしまた、それが適切でない、時期としてそういう事をする時でなければむしろ軌道修正をして、失敗をさせて早く正しい方向に皆様をお導きしようとなさることもございますからご自身で考えて「うまくいった!」、「うまくいかない!」と判断してはいけませんよ。 取りあえずはうまくいけば、良かったなと思える日は感謝を。
対話をする、交わされることから始めてみてください。 そのうちに必ず声ならぬ声でお答えが返ってきます。 「確かにそうだ!」と確信がもてるお答えが返ってきます。 それを重ねるいらっしゃるうちに車に乗っておられても、道を歩いておられても、ふっとその存在を感じてなぜか曲がり道をいつもと違って曲がっていたとかそういうことがございます。 そして「助けられたんだなあ」と思うようなことが必ずございますよ。 それでよろしいですか。
皆さん: はい。
それでは次の題が決まりましたがそれに少し付け加えて宜しいか、トコロ?
トコロ: お願いします。
ヨユメ: どうして思ったことを言えるようになれるかですね。
トコロ: はい。
ヨユメ: 勿論そのときにはどうして言えないのかは議論なさるでしょうね。
トコロ: はい。
ヨユメ: そこが問題なのです。 どうして言えないのかが分かれば言えるようになれるのですよ。 だから人生全てにおいて何かをしようとする時に私は人前でこう出来ない或いはこれこれ出来ない、どうしたらなれるのかというような時には、どうしてそれが出来ないのか?どうしたらなれるようになるのか?ということよりも出来ないことは無いのに出来なくしている自分を見つめなければなりません。
宜しいですね。
それでは皆様ごきげんよう