Yoyumeからのメッセージ   2004年02月06日 

 

皆様(みなさま)ごきげんよう。

 

かの()色々(いろいろ)体験(たいけん)をされ、(まな)ばれて()られましたが、それらをご自分(じぶん)のものだけにしているだけでは(やく)には()ちません。 各々(おのおの)能力(のうりょく)によって方法(ほうほう)(ちが)いますがご自分だけでなく、何時(いつ)(もう)しますように皆様の使命(しめい)()らしあわして体験され、学ばれたことを一人でも(おお)くの方々(かたがた)にお(つた)えして、その方々に気付(きづ)きが()られるようにしてください。

 

今日は(あら)たにお(みちび)きをするのではなく、一つお()らせしておきたい事がございます。

 

先日(せんじつ)のお(はなし)の中で質問(しつもん)の一つは(おく)さんと(むすめ)さんが(うみ)(おぼ)れかけているお話でしたね。 その(こた)えはともかくとして、もう一つの質問を(おぼ)えていらっしゃいますか? 何方(どなた)か? どういう質問でしたか?

 

シャクゥ: 正当(せいとう)防衛(ぼうえい)のこと?

ヨユメ: 正当防衛というよりも暴力(ぼうりょく)()るう息子(むすこ)をその父親(ちちおや)憤り(いきどおり)(まか)せて(ころ)してしまった。 それを()ていた母親(ははおや)でもあり(つま)でもある皆様はどう対処(たいしょ)されるかということでした。

 

これが答えというものはありませんが、問題(もんだい)はこの質問(しつもん)(かん)して皆様から(いただ)いたお答えはみな(おな)じお答えでした。 最終的(さいしゅうてき)(ただ)しいことを言うことが大事(だいじ)だと。 自分の(おっと)でもかばうことは無い。 (あやま)って(ころ)したと言うべきだと。

その考えが間違(まちが)っているわけではないのですよ。 私が指摘(してき)したいのは「(ただ)しい」、「間違(まちが)っている」などと皆様が(なに)基準(きじゅん)にして判断(はんだん)なさるのかという点です。

本来(ほんらい)は「正しい」、「間違っている」とかは()いのです。 ただこの()で多くの人々が()きていく(ため)法律(ほうりつ)というものがあり、それに(のっと)って「正しい」、「間違っている」ということがありますが、本来は無いのです。

自分で正しいことをすることが大切(たいせつ)と思われる。 その正しいという言葉に(まど)わされている。 「正しいことをしている」といって自分を安心(あんしん)させていらっしゃる。 そのときに(ほか)(かた)(たい)する(あい)先行(せんこう)させるか、自分を正しくすることを先行されるか。

 

(たと)えば(ちが)った見方(みかた)をしますと、ある人は「私は(おっと)(かば)って正当(せいとう)防衛(ぼうえい)だと言います。 それは()くなってあちらの世界(せかい)に行った息子(むすこ)は自分の(おこな)いを()い、父親(ちちおや)(うら)むことはしないと思います。 息子はきっと主人(しゅじん)(ゆる)すでしょう。 そして息子は夫を刑務所(けいむしょ)に入れても(よろこ)ばないでしょう。 私は夫と息子の為に(うそ)をつきます」と答えられる。

 

答えが正しい、間違っていると判断してくださいと言っているのではないのですよ。 皆さんのお答えが一つになったということに対して、正しくあることに対しての自己(じこ)満足(まんぞく)執着(しゅうちゃく)していないかということなのです。 正しくあることは立派(りっぱ)です。 しかし正しくあることの方が愛をもって対処(たいしょ)することよりも簡単(かんたん)なのです。

 

以前(いぜん)にも(もう)しましたが、刑務所(けいむしょ)服役(ふくえき)していた極悪人(ごくあくにん)(のち)天上界(てんじょうかい)(たか)いところにいらっしゃる方が沢山(たくさん)いらっしゃいます。

愛の物差(ものさ)しを使ってください。 

自分が刑務所に入っても、(ほう)(おか)しても(あい)貫き通(つらぬきとお)してそういう事をした人もいます。 だから法を(やぶ)れといっているのではありませんよ。 大変(たいへん)決断(けつだん)の時、色々な時、そして(すべ)ての時に(あい)先行(せんこう)させてください。

 

この二番目(にばんめ)の質問は皆さんからのお答えが同じだと思っていましたらやはり一つになりました。

本来(ほんらい)なら皆様お一人お一人に違う(ちがう)質問(しつもん)をさせていただきたい。 同じ質問でしたら何方(どなた)かが答えている間に(ほか)の方がそれを聞かれ感化(かんか)されてしまいます。 そうしますと咄嗟(とっさ)(たましい)が答える答えが出てまいりません。 魂が答えるお答えを言っていただきたい。 次回(じかい)は、(ある)いはいつか突発的(とっぱつてき)にお一人お一人にお聞きすることがあると思います。 心で、魂で答えてください。

 

それでは今日はご質問を受けたいと思います。 どんなことでも結構(けっこう)です。

今日はシャマナの声がシャマナの声でないようです。 皆様にもそう聞こえますか?

皆さん: はい。 (シャマナは風邪(かぜ)をひき、鼻声(はなごえ)

 

シャクゥ: 友達(ともだち)自殺(じさつ)をしたのですが、そういう事をする人の心はどんなものなのですか?

ヨユメ: どんな人にもその人の気持(きも)ちを理解(りかい)するのは不可能(ふかのう)です。 貴方(あなた)自身(じしん)どうしてその方がそうしたのか、どう思われますか?

シャクゥ: その人は()(よわ)かった、(やさ)しすぎたのではと思います。

ヨユメ: (じつ)は気が弱いよりも一つの()げです。 自殺は一番(いちばん)手っ取り早(てっとりばや)逃げ道(にげみち)なのです。 

どうしてそれを(えら)んだか、良い、悪いは(べつ)として、その方は心から話せる友達(ともだち)()っていらっしゃらなかった。 ()()けて話すことができる方を(まわ)りに持たれなかったのが大きな原因(げんいん)ではないでしょうか。 

人当(ひとあ)たりが良くても自分の心の中に(こも)る人、「まさか!」と思う人がそういう道を(えら)びます。 「()にたい、死にたい」とよく言う人は選びません。

シャクゥが出会(であ)う人の中に本当に心の中を(ひら)かない、(さび)しいものをもったそういう方にご自分から近づいて差しあげてください。 そのためにこうしてお勉強(べんきょう)されているのです。 

 

近づいて手を()()べるのは大切(たいせつ)です。 大きな(いや)しです。 

(からだ)(なお)す人だけがヒーラーではないのです。 皆さん夫々(それぞれ)がヒーラーでなくてはならないのです。 心の問題(もんだい)(くる)しんでいる人、具体的(ぐたいてき)経済的(けいざいてき)(こま)っている人、(だす)けを(もと)めている人に(たの)まれなくても手を差し延べる。 それが皆さんがこれまで学んでこられたことの実践(じっせん)です。 お(てら)でお(いの)りするよりも皆様が神と()ぶものに近づく近道(ちかみち)です。

 

(ほか)に何か?

Eさん: (ふた)つ、個人的(こじんてき)な質問があるのですが。

こちらの(かい)参加(さんか)してまだ()もないのですが、その(まえ)からも(あたま)では良くわかっているつもりなのですが、自分(じぶん)感情(かんじょう)邪魔(じゃま)をします。 自分はこうでありたいという事に(たい)して自分の感情が邪魔をするときがあります。

そしてもう一つはこうして皆さんと一緒(いっしょ)にお(みちび)きを()けているのですが、皆さんとのコネクションをお()きしたいと思います。 

ヨユメ: (まな)んだことを一度(いちど)実践(じっせん)出来(でき)れば即日(そくじつ)()(ぼとけ)になれます。 そうなれば世の中(よのなか)はすぐ平和(へいわ)になれるのですが。

「自分の感情が邪魔をしている!」と、その都度(つど)そんな自分に気付(きづ)かれる。 その気付きが大切(たいせつ)です。 その気付きがブレーキをかけているのです。 気付かず、知らずにそのまま突き進(つきすす)むものを気付きがそれを()めているのです。 気付くこと、そして「あっ、いけなかった!」という反省(はんせい)。 この二つが出来れば先ずは良しとしましょう。

 

二つ目の質問ですが、こちらに来られたのは偶然(ぐうぜん)ではないのですよ。 

先祖(せんぞ)(さま)背後(はいご)(れい)のお導きで徐々(じょじょ)におわかりになることでしょう。 皆様との関係(かんけい)をお知りになりたいと思われますが、今は気が()かれたらこの会にいらっしゃって皆さんと瞑想(めいそう)をされ、時間(じかん)があればご自分でも瞑想をされて、世界(せかい)平和(へいわ)地球(ちきゅう)(いや)しそして(めぐ)まれない方へお(いの)りをなさってください。

 

他に質問は?

それでは皆様、ごきげんよう。