ヨユメからの伝言 2004年4月02日
皆様、ごきげんよう。
お導きではありませんが、少しお話をさせていただきます。
先ほど(瞑想会に来る前、別の場所で)アソウとパケサーそしてシャマナが話していたように、一面から見ればそれはカルマを作ってしまうように見えても見方を変えれば違ってしまいます。
同じことでも見方を変えれば違ってくるのです。
そういうことができる様に皆様に私から質問をして即座にお答えを頂く事をして参りました。 その時出たお答えはその質問の唯一のお答えではありません。 しかしそういう練習をしていると、「あれは良い」とか「あれは悪い」とか、そう簡単に決めてしまわなくなります。 そして「どうしてそうなのか?」、「なぜそうなのか?」と考えるようになります。 考えることによってよりよく理解しようと努めるようになるのです。
今、戦争の中でお互いの非を責め合っています。 「なぜ?」、「どうして?」という考え方を持つ人が増えたらこういうことはなくなるのですが。
最近、忌まわしいことが起こりました。 イラクで米国の市民が無残に殺されてしまいました。
「人で無し!」と思われる方が沢山いらっしゃると思います。 皆様の住む三次元の世界から見れば残酷です。 しかしそのように肉体を傷めつけると誰の目にも見えますが、人の心を無残に切り刻んだことは中々見えません。 人の心をずたずたにし、魂の成長を阻むようなことも同じように残酷なことなのです。
イエスさまが仰いました、「殺してなくても、殺したいは殺していることと同じである」と。
だからと言って人を八つ裂きにすることは許されるべきことではありませんが、思うことも同じことなのです。 見える世界に起こることだけを悪く思う。そうではないのですよ。
イスラムの国の人たちは自分の身に爆弾を仕掛けて人を殺そうとしています。 そして西洋のキリスト教国ではそのような自殺行為を罪だと呼んでいます。 それは確かに立派な行為ではありませんが、米国や他の国がしていることは殺人の賞賛です。 殺人も自殺も賞賛されるべきものではありません。 しかし兵士が遠い所からミサイルを放ち、沢山の人を殺害する行為と自分の身に爆弾を仕掛けて自殺する行為は私どもの世界から見たらなんの差もないのです。 どれも良くないのです。
毎回、たわいないことをしているようですが、日常起こり得る、誰もが出会わすことを質問させていただきます。 咄嗟に思うお答えを出してください。 答えがあっている、間違っているの問題ではありません。
では、どなたから始めましょうか? パファから始めましょうかね。
パファ: はい、お願いします。
ヨユメ: ある事情があってあなたは早急に結婚をしなくてはならないのです。 今、あなたが親しくしている女性が三人いらっしゃいます。
皆さん: (笑い)
ヨユメ: その三人とはまずは麻薬、アルコール中毒歴のある方。それから離婚して二人のお子さんがいるが病弱な方。 そして最後はかつてあなたが好きな方でしたがあなたはふられ、そのあと何人もの男の人と付き合っていた方。 さて、あなたはその三人のうちの何方と結婚をしますか?
パファ: わぁ! ひらめいてこない。
皆さん: (笑い)
パファ: 麻薬、アルコール歴のある人かな。
ヨユメ: アソウは?
アソウ: 離婚して、子供があり体の弱い人。
ヨユメ: どうしてですか?
アソウ: 何かhelp出来そうだから。
ヨユメ: アトシエは?
アトシエ: 尼さんになって誰とも結婚しません。
ヨユメ: ミストヨは?
パファ: 私と同じ、麻薬、アルコール歴のある人とだそうです。
ヨユメ: それはどうしてですか?
ミストヨ: She’ll be
healed, and less trouble.
ヨユメ: パファがその答えをだされた理由は、どうしてですか? それは考えないですぐ出された答えです。 しかし大事なのはなぜそれを選んだのかを次に考えることです。わからなければわからないで結構ですよ。
このように考えないで答えを即座に出す。 そしてなぜ自分はその答えを選んだのかを次に考えると練習になります。 生きていくということはその都度、選んで判断していかなければなりませんよね。 何を基準としてその答えを出したのか、選んだのか。物差しの基準は何ですか?
皆さん: 愛です。
ヨユメ; 愛の物差しを使っていつも判断していく。 全てに愛の物差しを使えるようになればもうこの世にいることはないのです。
次の質問にいく前にパファに出した質問の3人の女性の状況を聞いて皆様は「まぁ大変だ!」と思われましたね。 そう思われるのは普通ですが、真理の勉強をされている皆様はそう思われてはいけないのですよ。
困難を背負っている方、何か困難な道を歩まれている方は何か使命を持ってそのように生きておられるのです。 皆様の常識から考えるとその方たちは道をはずした生き方をしている、正しく生きていないと分類されます。 しかしそこが落とし穴なのです。 皆様の目から見て、街中でみすぼらしい姿で物乞いをしている人や挫折した人、そういう大変な人生を選んで降りてきた人たちに一面から見て、わぁ−と笑われたのはその方たちに対する嘲笑です。 皆様はもう学ばれてきたのですから、そういう人をずーっと下に見たり、そういう人は自分とは無縁だと思うのは間違いだと気付いていただきたい。 それに気付かれると自ずから波動があがります。
正解という意味ではありませんが、こういうお答えが出てきてもよかったのではないかと思います。
「私はその3人の方の中で一番私と結婚することを望んでいる方とします」 と。
パファの答えはそれはそれでよろしいのですよ。
では次の質問にいたしましょう。 何方にしましょう。 ツツカノーラ。
ツツカノーラ: はい。 お願いします。
ヨユメ: あなたのご近所にまあ親しい方がおられます。 その方に年頃の娘さんがいらっしゃいます。 素敵な方です。 ある時、あなたは街中でよもやと思ういかがわしい所でその娘さんが男の人を相手に接待しているのを目にしました。 あなたはどうしますか?
ツツカノーラ: その子にどうしてそういうことをするのか聞きます。
ヨユメ: その理由は? 他に? アトシエは?
アトシエ: 仕方ないです。 見て見ぬふりをして立ち去ります、挨拶だけして。
ヨユメ: 挨拶をして! 面白いことをアトシエは言いますね。 「こんにちは」と?
アトシエ: 泥棒をするより自分で仕事をしているのだから良い。
皆さん: (売春行為とBarなどで只、接待をしているのでは違うと色々意見がでた)
ヨユメ: 皆様の世界では売春行為とBarで接待することは違うのですね。 しかし私どもの世界から見るとそれは同じ行為に見えるのです。
アトシエ: At least、(彼女は)仕事をしている。 自分で一生懸命に何かをやっている。
パケサー: 私は見てみぬふりをして通り過ぎます。
ヨユメ: どうしてですか?
パケサー: それには事情があるはずだから。 その人のやることはJudgeできないと教わっているから。
ヨユメ: その人のことを非難することと無関心でいることは全く違います。 大事なのはどの物差しを使うかなのです。 愛の物差しですよね。
それではオロコイに最後の質問をいたします。 トコロはよろしいですね。
トコロ: はい。
ヨユメ: 次回にしましょう。
では、質問です。 あなたは商店街を歩いています。 風の強い日でサインが揺れています。 今にもそれは落ちそうです。 結構人手があります。 さて、あなたはどうしますか?
オロコイ: 避けて通ります。 それでも気になるのでその看板の店の人に看板が落ちそうですと言います。 怪我をする人がいるかもしれないからと。
ヨユメ: なぜそのお答えを出されたのですか?
オロコイ: 普段から今の状況と似たようなことがあるからです。 自分の性格上そうします。
ヨユメ: はい。 咄嗟にお答えが出ましたね。 最初のより簡単に出ました。 もう答えが決まっています。
しかし簡単に答えが出た当たり前のことが始終起こっています。 そしてどれだけの人が答えどおりのことをするかです。 100人の中でたった1人しか皆様の世界にはいらっしゃらない。 それを考えますと自分が避けて通れたらいいとだけ思う人が多いのです、殆どなのです。 危ないと言って行動にでる人は少ないのです。
わかりきった答えが実際、瞬間的に一般の人はその答えどおりに出来ない。 魂の答えを聞かず、ご自分に関わりが無ければ関係ないと見過ごしてします。 殆どの人がそうなのです。
次回もこのように続けていきますか? これは皆様の学びになっていますか?
皆さん: はい!
それでは、皆様ごきげんよう。