ヨユメからの伝言 2004年5月21日
皆様、ごきげんよう。
今日の皆様方のお話を伺っておりまして、概ね、祈り、世界平和、ガイアさまの癒しの祈りをいかように、夫々に殆どの方が夫々の独自の方法のまま理解してやっておられると思いました。
皆様のお勉強を始められた時期もございますし、学ぶ速度も夫々に違いますよね。 今、皆様がいらっしゃる時点がどういう所かで違って参ります。 単にこれしかないといったものはないのですが、究極的に目指すものはやはり憶えておれたほうが良いと思います。
かつて人間が存在した折からずーっと今の今まで恐怖にさらされた時、飢えに見舞われた時、困難、苦労に出会った時は救いを求め、何かに縋りたいと、そういう思いで自分たち以上の力に縋る。 そういうことでその縋る対象を求めてきておりました。
それを利用したのが今の宗教ですね。 何か縋る対象を与え、そしてそれを信じればあなたは救われる。 そういう教えをしているわけですね。 しかしながら皆様、皆様と言っては語弊がありますね。 多くの方が信じておられる宗教のもとを作った方は縋ってくる皆様を助けるため道を説かれたわけではないのですよ。 皆様が各々、より正しく、幸せに生きるための道をお示しくださった。 真理の道を説かれるために降りてこられたのです。
祈りというのはこういう形から始まっていますね。 「お助けください、私はこんなに困窮しています」、「私の家族は瀕死の病に見舞われてどうぞ命を助けてください」とか、中には「商売繁盛しますように」あるいは「子に恵まれますよう」にとか、果ては「子供が良い学校に受かりますように」まで、神頼み、縋る方がございます。 それを祈りと思う人が沢山いるのですね。 しかしここにいる皆様はそれをしていらっしゃらない、それをされていたら困るのです。 今までの私のお導きがどういうお導きで、どういうお話をしてきたかを思い出してもらえたらそういう祈りはございませんね。
しかしそういう皆さんも自分のために「こうしてください」、「ああしてください」とは言わないまでも「世界平和を祈りましょう」、「ガイア様の癒しを」と言いますと、ね、パケサー、「世界を平和にしてください」、「私のお友達はこういうことでどうかお助けください」という風にお願いしているのですよ。 ご自分のためにお願いはされなくなったかもしれませんが、まだまだ祈る中に何方か、何かに縋ってお願いしておられる。 それははっきりした対象をもってはないにしても漠然と、神とか、自分の力の及ばぬもっともっと偉大なるお力を持った方とか、天上の方とか、そういう風に何か上をむいてお願いしておられる。 そういうものではないのですよ。
祈りというのはご自分がなさることなのです。 何方かにお願いしてするものではないのです。 例え、お友達、周りの困った恵まれない方々、そういう方の為に祈って差し上げるにしても何方かに祈って「助けてあげてください」それではいけないのです。 皆様ご自分がしなくてはいけないのです。
そんな力が私にはないと思われるかもしれませんが、他の幸せを祈るのなら、ご自身の中に幸せな思いを持って波及させなければいけない。 そこから分け与えなければいけない。
平和を祈るなら、ご自身の気持ちに平和がなければいけません。 そしてその平和を祈る時にはご自身の心の中は、今日一日、どのように過ごしたとしても平和を祈る瞬間にはご自身の心の中に平和が満たされてなければいけない。 そしてそれを他に向けて、あるいはある人に向けて送る。
癒しも同じです。
そうですよね、人と喧嘩をして腹を立てて「あの人なんかどうにでもなってしまえ!」と思って世界平和は祈れませんね。 私は世界平和、ガイア様の癒しを祈っていますと言いながら、ついさっきまでは人をなじっていた。 その気持ちをそのまま持って世界平和を祈ったところで、そういうものが−平和の波動が−どこにも届きはしません。
ご自身の中にないものは出せないのです。
皆様が飲んでいらっしゃるジュースですね。 オレンジです、オレンジのジュースはりんごからは出てこないのですよ、そのままでは出てきませんが、絞ればでてくる。 中に入っているから出てくるのですよ。 それと同じで皆様の心の中に平和が無ければ平和を祈れません。 愛が無ければ愛を人に与えることは出来ません。
ということはガイア様の癒し、「どうか元気になってください」と言いながら、片方ではガイア様を痛めつけている。 さしあたり、せめてガイア様の癒しを祈る時には一つぐらい、「今日、私はガイア様の癒しのためにこれこれをさせていただきました。 明日はもっと出来ますように努力いたしましょう」とか。 それが癒しに繋がるのです。
先ほどシャマナとトコロが光をお送りすると、方法としてはこれはとても必要なことです。 しかしそれだけではだめなのです。 先ほどミストヨが言っていましたように祈りそのものは何も意味がない、行動に裏付けられてこそ。 そのとおりです。 シャマナに書かせたパファへの送り言葉の中にありますように「愛は愛ではない、行うまでは」なのですよ。 口にしたり、お願いしたりばかりではないのです、ほんのささやかなことでも行うことなのです。
瞑想の折、祈られる時、さき程仰っていたようにそのものを思い浮かべて光をお送りするのは一つの方法であって、それが本当にガイア様を想い、世界平和を想う行為に裏付けられていないと導管が広がらない、光が通らないのですよ。 その行動に裏付けられた祈りは途方もない力をもって愛を、平和を届けるのです。 大変な光を通すのです、そしてガイア様をいやすのです。 口先だけの、あるいは天上の先生がたへのお願いではだめなのです。
お分かりいただけましたか? ほんの少しでも良いのですよ。
やり方として実際それぞれのやり方で良いのですが、究極の目的はどこにあるかと言うと、皆様のその想いがより高い、尊い波動になっていかなければなりませんね。 その高き、尊き波動になった皆様を通して愛と光、そしてそこから出る想いがまた次の人に伝わって、一人一人が癒され愛を感じ、平和な気持ちになる。 それしかないのですよ。
ご自身夫々が、究極には愛となり、光にならなければいけないのです。 これはこれは大変なことです。 そう簡単に出来ることではありませんので、すぐそれを目的にするべきではありません。 しかし愛と光、最終的に行き着くべきところはそこなのです。 愛と光なのです。 シャマナが何時も言いますようにLove and lightなのです。 皆さんご自身が愛となり、光となる日が来るのです、今生ではないですよ。 そう簡単なことではありませんからね。 実存界に戻られて光の国へ行くのも覚束ないのにご自身が愛と光になれるはずがありませんが、そこが皆さんが最終的にたどり着くべきところなのです。
よろしいですか?
皆さん: はい。
ヨユメ: そして皆様ご自身が愛と光に満たされますと、ちょうど磁石のようにおに隣いらっしゃる方ももそうなるのですよ。 磁石の周りの鉄粉が吸い付けられてそしてその鉄粉がまた磁気をおびて磁石となり、そのようなものなのです。
愛は行いである、祈りも行いである。 それをね、瞑想を始めてまだ間もない方、皆様がお導きを受けられた初めの頃はそういうことをお話することは出来ませんでしたが、今なら少しはわかっていただけるかと。
何か質問はございますか? 何でも思いついたことをお聞き下さって結構なのですよ。 ございませんか?
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: それからシャクウ、あなたに申しておきたいことがございます。
あなたご自身は自分を幸せな人だと思いますか、不幸な人間と思っておられますか?
シャクウ: 今の時点では幸せだと思っています。
ヨユメ: それでは今まで振り返ってずーっと、ずーっと幸せでしたか?
シャクウ: 自分に命がある限り幸せだとは思う。
ヨユメ: それは大変素晴らしいお答えです。 自分が幸せだと言い切れる人ほど幸せな人はないのです。 ですから今まで生きてきた中でつらいこと、苦しいことを含めても幸せだったと言うわけですね。
シャクウ: いやなこともあったと思うけど、今、現在のある時点で生きていて良かったと、幸せな今があると思う。
ヨユメ: そしたらそういったつらいこと、苦しいことを経てもなおかつ私は生きていて良かった、幸せだと思えるあなたがなぜ幸せというものは三次元的、物質的なものににそんなに多く左右されるものなのか?そこのところがどうも理解できませんね。 あなた自身はこうして存在しておられる。 それだけで人様に
シャクウ: これ以上にまだ見ぬ世界というか、そういうものがあるのではないのかと思うのと、もし自分がそこに踏み込んでいけるのなら、やっぱり自分が見ていないものを見るためには物質的なものがないと見えないと思う。
ヨユメ: 物質的なものは邪魔にこそなれ、必要無いのですよ、シャクウ。
シャクウ; まだ自分には理解出来ないですね。
ヨユメ; よーく周りを見て御覧なさい。 優しい愛を持った、愛の心に満たされた人、幸せな笑顔を持った人というのは物質的に豊かな国よりもそうでない国の方のほうがそういうものを多くお持ちなのですよ。 物資的なものは気を付けないと物質を持てば持つほど優しさや、思いやりをなくしてしまうことになります。 大きく尊いものがあるのですよ。
シャクウ: それはなんとなくわかっているのですが、敢えてまだそういう世界もみてみたい。
ヨユメ: それは正直なご希望です。
シャクウ: 自分の欲望なのかも。 例えば自分が見たこともない世界にいくには物質的なものが
なければ行くことが出来ない。 だからそういう物質的なものが、自分の欲、我かもしれないが。
ヨユメ: 何かを見たい、そしてより豊かになっていろいろな事をしたいということは悪いことではないのですよ。 そして豊かになってお金持ちになることも悪い事ではないのですよ。 そう思ってそのお金を如何様に使うか? ご自身のためだけに使い、人様に施しをしない。 あるいは沢山持っても、もっともっと欲しがると。 そして沢山もっても使い方さえ正しければ。
そして貧しい人はそれでは皆心がきれいなのか?とんでもないのですよ。 貧しいから欲しい欲しいと思っていれば、いつも欠乏して足らない足らないと思えば物質的なものへの執着が多くなりますね。 それは決して良い結果を生みません。
そして沢山持っていても、沢山あるからこういうことが出来ると。 だからお金持ちの方でも貧乏な方でもどちらも人への思いやりをもって、愛を持って生きている方もいるし。 より物質的に恵まれているかいないかが問題ではないのです。
今、あなたがこういう身分になりたい、こういうことをしたいと思ったなら、そうしたいのなら今、全部備わっているのです。 それを今のシャクウにわかれと言ってもちょっと時間がかかるかもしれませんが。
そして自分がもし物質的にもっと恵まれたら自分より恵まれない方を助けたいという思いがおありでしたらどんどん物資的に豊かにならればよろしいと思います。 それは決して恥ずべくことではなく、そういう目的のために自分はお金持ちになりたい。 それは恥じることではありません。
ただお金持ちになりたいなら−宇宙の摂理として− お金が欲しい、欲しいと求めては逃げるのです。 どうしてか、求めるというのは−欲しい欲しいというのは−言い換えれば足りていない、足りない足りない、無いという事になります。 それは自分の心の中にいつも自分はこれが無い、あれが無いと自分が欠乏している状態をいつも持っているからで、自分が思っているその思いが現実を作り出します。
欲しい欲しい、足りない足りないということは、欠乏していると思うことは決してその状況から抜け出られないのです。 信じられないかも知れないが、嘘でもこの一ヶ月間、「私は恵まれている、こんなにもこれこれがある、これもあるではないか、必要なものは全部与えられている」と思って生きて御覧なさい。 そうしますと自然にそれ以上のものが入るようになっているのです。 求めている間は手に入らないようになっているのです。
大丈夫ですよ、出来ますよ。 そして豊かな幸せな将来が待っています。 「今、自分は幸せですか?」と聞いた時に「私は幸せです」と。 そして「過去ずーっと振り返ってもそう思いますか?」というお答えが「はい、それでも今、生きていることに幸せだと思う」と答えられるあなたなのですから。 そう答えられる方はそういないのですよ。 そこまでわかって、そこまで堂々と答えられるあなたは物質的なものを追い求める生き方をしてはなりません。 それをやめられた時点から厭がおうでも入って来ます。 皆さんもご覧になって見てください。 彼の考え方が変わったその時点から自ずから恵まれてきます。
よろしいですか。 人様を助けたい、その為に何かがあればいいな、それは宜しいよ。 無いから出来ないと思ってはいけません。 貴方はもう既に人様のために沢山していらっしゃるでしょうし、今の自分のままで出来ることがたくさんあるのですよ。 そしてもう一つ、トコロ、何と言う言葉をつかわれましたか? ご自身はお金持ちの人に対してとか、自分より?
トコロ: ?
ヨユメ: 小さく言えると言うのですか? それはそれだけは間違いですよ。 シャクウも、大統領も、天皇様も、世界で有数の資産家である方も、本当にこれは気休めでなく、本当に同じだけの存在価値を持ってこの世に存在しているのですよ、シャクゥ。
シャクウ: それはわかりますね。 同じ生まれた時はいわゆる学歴とか何も持たないで生まれてきて、夫々の考えとかがそういう風にしたのではないか、その違いだと思っています。 だから素直に生きていくにしてもぐれて自分を苛めて生きている人もいれば、そう生きてはいない人もいる。
ヨユメ: それではね、シャクゥ、もう一つ申しますが、まっすぐ生きている、一つはぐれて、ぐれてというのは道を外ずすということですね。
シャクウ: そうですね。 要するに人として生まれた以上、人の道を踏み外すということは言葉にしてぐれる
ヨユメ: ということですね。 そういう人は存在価値がないと思われますか?
シャクウ: そうとは思わない。 その人の価値観であって、どうしてそういう風になって、それを自分の生き方のあれにしているからではないかと思う。
ヨユメ: その人ご自身のためでなく、そういう人の存在も大変な意味があるのです。 世の中いい人ばかりではこれまた学びがないのです。 闇が無ければ光も見えませんね。
皆様の目からみて人の道をはずしたような方を決して馬鹿に出来ません。 決して蔑むことをしてはならない。 どんな人も蔑まない、そしてどんな人に対しても自分は堂々と胸を張って生きていれば宜しいのです。
シャクウ: 人に迷惑をかけても胸を張って生きていけるかということなんですよ。 自分はそれが出来ていたらもっと変わった人生があった、それは思います。 人を騙して生きていくということはすごく抵抗を感じ、自分は自分の思った道を生きて行きたいなという気持ちで生きています。
ヨユメ: ご自身で目指すところの正しい、ご自身で言う正しい方向で生きて行きたいと思われることは結構ですよ。
ただ迷惑をかけるということですが、迷惑を貴方が他人からかけられたとき、その迷惑から貴方ご自身が学ばされているのですよ。 ご自身を、今までずーっと生きてきたご自身を成長させてくれたのは暖かい、優しい人達ばかりではないのですよ。 むしろ、むしろ貴方につらく当たり、騙したり、いじわるした、そういう人が貴方を育ててくれたのです。 苦労とか災難とかが学びの師である、先生なのです。
シャクウ: それはだからさっきも言ったように色々苦労することもあるし、そういうことの一環だとは思っていますよね。
ヨユメ: ま、そうですねシャクウにはお仕事もあり、遠い所から来られていて、お導き全部を聞いていたわけではないので時間の程がまだ十分でないかもしれませんが、徐々に徐々に。 今、皆様、特にトコロなどは最近ではないですか。 ある時点でなんとなくわかるようになった。 お導きを聞いてもなんで?と思うことが多かったとシャマナと話していたではないですか。 随分時間がかかりますよね。 しかし今まで私が申してきたことを何となく理解してくださるようになってきましたよね。
シャクウ、慌てることはないのです。 ゆっくりいきましょう。
シャクウ: 時間が無いみたいな気がする。
ヨユメ: それはそうです、仰るとおりです。 私もね、それでこの間から皆様に質問してお答えをいただく、もう時間が、あなただけではないのです、皆さんも一緒なのですよ。 時間はそんなにありません。 だけれど慌てても仕方がない。 いつも何でも質問があったら投げてださい。 答えます。
シャクウ: 有難うございます
ヨユメ: 只、最後にもう一つ、今のままで貴方様がなりたい人間、したい事をするものは全て備わっています。 そして今のままの自分でこの世に十分存在する価値が、今までより物を持たなくても、より人様より物を知っていなくても(あります)。 そんなことはどうでもいいことです。 今のままの貴方様で十文存在する価値があり、そしてそれで、今、なりたいことやりたいことが今のままで出来るということを次回までに考えておいてください。
シャクウ: はい、わかりました。
ヨユメ: それではごきげんよう。