Yoyumeからのメッセージ 2004年06月04日
皆様ごきげんよう。
この度は皆様で議論をしていただく議題を何方からも頂いておりませんでしたね。 先ずは、次までに夫々考えておいて、そしてここでお集まりになった時に議論をしていただく、その議題を何方かご提案くださいますか? 「こういう事について皆様と話し合いたい」、「自分はこういう意見を持っているのだけれど、他の方々の意見を参考に聞いてみたい」、等。 何でも宜しいのですよ。 「今までこうだと思ってきたのだけれど、どうもこの頃それに疑問がある」、 何でもよろしいのです。 皆さんで議論をして、共に考え、学べるような。 何かございませんか? 何時も何時も私から差し上げるのでは余り意味がございませんよね。
シャクウ、何かございませんか?
シャクウ:
ヨユメ: 何かこういうことを知りたいとか。 何もないのですか? 困りましたね。 それでは、また、私からということになりますね。 でも、本当はそうではなく、皆様からこれについて皆さんで話し合いましょうというような形にもっていっていただきたいのですよ。 それについての今までのお勉強ですからね。
アナハラセ: それでは一つ、最近、気になっていることがあります。 と言うより、ちょっと考えがまとまっていないのだけど、シャマナが言っていた事で。
自分の考えがありますね、それと違うことを人が言いますよね。 自分と違うのでそれは間違いだと言うとそれは裁定を下すことになるから、言わないにしても、先ずは人様が正しいと思って考えてみても、どう考えても納得がいかない時がある。 納得がいかないというか、その、宇宙の摂理に反していると思うときがあるのだけど。 そういう時にどういうふうに対処するか。 例えば、自分が正しいと思っているものを押し付けたらそれはよくないですよね。 だけどもその人の考えを尊重してacceptするということもどうも真理に叶っていないような気がする。 そういう時にどう対応するか?
ヨユメ: それはシャマナが貴方に言ったのですか?
アナハラセ:そうですね。
ヨユメ: 皆様はおわかりになりましたか?
アソウ: 全然わかってないです。
パファ: わかりますが、難しいです。
ヨユメ: 難しい、易しいは別として、言っていることは皆様、おわかりになりますか? でなければ
アナハラセ: シャマナが言ったのは自分が受け入れられないのは自分のエゴだと。 自分が正しいと思っているからこうだと言いたくなってしまう。 ところが、こうだと言わないでacceptするとすれば、それが例えばどう考えても真理に反していると思うようなことがあった場合、どうしたらいいのか? エゴでないのだけども。
ヨユメ: それでは、
アナハラセ: 善と悪にも関わってくると思うのだけど。 善と悪は人に拠って違うけれども。
ヨユメ: それを次回の議論の議題にするということで宜しいですか? そして後でミストヨにもわかるようにご説明ください。 宜しいですか?
パファ: はい。
ヨユメ: 今回は特別、皆様にお導きすることも無いようでございます。 前にも申しましたように改めてお話することは何も無く、後は皆様が持っていらっしゃる知識を知識のままとしておかれただけでは何もなりません。 どのように使われるか、行動されるかだけなのですよ。
それで、そうですね、今の皆様を例えますと、お蚕さんのように、繭の中にいるお蚕さんね。 そのことに、それだけが自分の知っている世界で、その外には何も無い。 繭の中の暗闇の世界のみが自分の知っている世界だとそう思っている人が沢山いるわけですよ。 暗闇の世界、真理を知らない世界、光の射さない世界ですね。 そして当然自分が何時の日か蝶になって、空に舞い上がっていく。 そういう存在になることすら知らない。
しかしね、繭に亀裂ができて、光が差し込んだとき、最初に目にした光、初めてして真理の探究が始まり、徐々に徐々に外の世界を−真理を−知り始めますと、自分自身の体の中にも変化が起こってまいりまして、そのうちに、段々と割れ目が広がり、自分の体には羽が生えてきます。
皆様、夫々がどの段階かは別として、そして羽が付いた自分の体を見て、「あっ、羽がついた!」 そして「この羽は一体何の為なのか」。 当然、空を駆け巡る為のものなのです。 知識ではわかっているのです。 それでも完全に繭の中から這い出せない。
そして、やっとの思いで繭から這い出しても自分が本当に空を飛べるのだと信じられない。 軽くなって、自我を捨てて、恐怖を捨てて、ついた羽を動かせば、そう、行動すれば天高く舞い上がっていけるのですよ。 でも、それをしないで、せっかくついた羽を使わずそのまま死んでしまう。 蝶にならずに、蝶になっても空を飛ばずに死んでいく。 空を飛ぶ為の羽を持ちながら飛ばない、水かきを持ちながら泳がない。 どういうことかお分かりですね。
本当に日々、出会う人たちとの接触からもあるいはご自身の心の中での戸惑い、しなければいけない決断など、その都度、その都度、考え、行動しなければいけません。 そのときに持っていらっしゃる羽を使わずに繭の中の蚕のままで行動しようとなさる。 と、それは今まで学んでこられ、ご自身は十分わかっていると思いながらも、それに基づいた行動をしない。 即ち、前に申しましたように口ずさまれることの無い歌、鳴らされることの無い鐘、行われることの無い愛の行為となってしまうわけですね。 全て繭の中の蚕のままの蚕ですね。
それが、ご自身が今、どの段階なのか、まだ暗い中でウロウロしているのか、光が見えて羽はついているのだけどという段階なのか。
そして飛び立てない、羽は持っているのだけど。 飛び立てると言われているのだけどなぜか飛び立つ決心が出来ない。 どうもそれが出来ると思えない。 どうしてそのような気持ちになるのか。 余りお時間は無いのですよ。 羽を持っていらっしゃるのなら飛んでみて下さい。
以前、霊道のお話をした事があると思うのですよ。 霊道が開くとか、開かないとか。 そして人を癒す、あるいはヒーラーと呼ばれているような人は普通よりも霊道がより広くなければそういう事は出来ないというようなお話をしましたが、皆様、夫々は、霊道は大きく開いていればいるほど霊的進化という意味では宜しいのですよ。
そのために、前にも申しましたよね、霊道はこのように開かなければなりません。 人様に、世に向けてこのように開かなければなりません。 それが、自分のため、自分のため、こういうふうに閉じてしまいますと霊道は閉じて光は入って来ませんね。 恐怖に慄く人達は肩を窄め、こういうふうな姿勢をとります。 幸せで、人様ともその幸せを分かち合いたい時、人を抱擁したい時はどうしてもこのように広がりますね。 日々のご自身の行為が出来るだけ霊道を開く形で行われるように。 こういうふうに霊道が閉じないように一日を反省される時に振り返ってみられるのも宜しいでしょう。
霊道が開く、開かないということと、それから開いた霊道に沢山垢が詰まりますとまた光が通りにくくなります。 垢というのはそうですね、怒り、欲、憎しみ、そういった想いが目詰まりを起こします、垢となってこびり付きますよね。 皆様は健康のことは大変心配されて、血管の詰まりは気にされます。 「こういうものを食べなければ血液がうまく循環しない」、「こういう物を食べると血管に目詰まりを起こすからこうしなければ」、「この薬を飲まなければ」、などと仰って、血液、血管のことはよく心配されますが、霊道も血管と同じようなものなのです。 垢で一杯にしないように。 人に優しく、微笑をもって対し、愛の言葉を語り、垢をつけないように。 本当にそういう些細なことの繰り返しですよ。 宜しゅうございますか?
何時も申しますように、何も特別な訓練、厳しい修行等する必要は無いのですよ。 ですが、日々そのようにいつも人様に接してというのは簡単で難しいことは皆様ご自身、よくお分かりですよね。 精進とはそういうものでございます。
何かご質問はおありでしょうか?
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: 無ければ、それでは皆様ごきげんよう。