Yoyumeからのメッセージ   2004年06月18日 

 

皆様(みなさま)ごきげんよう。

 

活発(かっぱつ)な議論(ぎろん)でございましたね。 

アナハラセ、ヨユメの意見(いけん)はもう無用(むよう)でございますかね、これに関(かん)しましては。

皆さん: (笑い)

アナハラセ: いえ、いえ。 我々(われわれ)、三次元世界(さんじげんせかい)で精一杯(せいいっぱい)、

ヨユメ: 一生懸命(いっしょうけんめい)このように皆さんで意見(いけん)を交(かわ)し合(あ)うということに意義(いぎ)はございます。 

先日(せんじつ)、立派(りっぱ)なお答(こた)えが出ましたよね、動機(どうき)だと。 その人のことを思(おも)ってと。 

立派なお答え、そのとおりなのでございますが、憶(おぼ)えていらっしゃいますか? 落(お)ちかかったお店(みせ)の看板(かんばん)、どうしますか? 100人中100人が危(あぶ)ないのでお店の人に看板が落ちかけていると言いますと。 でも、100人のうち一人も、せいぜい一人ぐらいしか実際(じっさい)それをなさらない。 そこが問題(もんだい)なのです。 

この問題もそれは正(ただ)しいお答えなのですが、皆様はそれを答えとして今、持(も)たれて、知(し)った後(あと)もそれをなさるかどうか。 そこなのですよ。 美(うつく)しい鐘(かね)も鳴(な)らすまでは鐘ではないのですよね、パファ?

パファ: はい。

ヨユメ: 愛(あい)は愛(あい)ではないのですよ、頭(あたま)の中(なか)で知(し)っておられても行(おこな)うまではね。

それで、私はね、お聞きしたいのですが、「正(ただ)しい」、「間違(まちが)っている」という皆様方(みなさまがた)の次元(じげん)で使(つか)われる言葉(ことば)がね、問題(もんだい)がありまして。 先(ま)ず、判断(はんだん)するそういうものは私共(わたくしども)の世界(せかい)にはございません。 しかし敢(あ)えて「正しい」、「間違っている」、言葉を借(か)りなければ何も説明(せつめい)する手立(てだ)てがございませんでしょ。 仕方(しかた)なく使っている言葉、それが正しいわけではございませんので一々(いちいち)、言葉尻(ことばしり)を取(と)られては困(こま)るのです。 それしかないから私が使っている言葉もございますのでね。 

それで、一応、「正しい」という言葉を仮(かり)に使(つか)いましょう。 皆様が「こうあるべきだ」、「これが正しい」と信(しん)じていらっしゃることをね。 

ある方(ほう)が正反対(せいはんたい)の事(こと)をしようとしている。 でもそれをすることはその人のためにならないとわかっている。 しかしそこまで言うのはどうかなと思ったときにね、殆(ほとん)どの場合(ばあい)、皆様はそれを仰(おっしゃ)らない。 だから言いなさいと言っているのではないのですよ。 しかし、私がお尋(たず)ねしたいのは皆様のお子様(こさま)がそういう事をなさっていると、そのお子様の感情(かんじょう)が傷(きず)つこうがつくまいが、そういうことは別(べつ)として、皆さんは皆さんの意見(いけん)を「これはこういうものですよ!」、時(とき)には叱(しか)ってでもご自分(じぶん)の意見(いけん)を聞(き)かせるということはありませんか? なぜお子さまにはされるのに、他(ほか)の方(かた)にはされないのですか? 

お子様とか、親(おや)とか、いわゆる皆様の愛(あい)する方というか、そういう人に対(たい)する時とそうでない時の二つの物差(ものさ)しをお持(も)ちなのですよね。 物差しと言うか手立(てだ)てをね。 そこに本来(ほんらい)は問題(もんだい)があるのです。 しかしながらまた、皆さんがそれを理解(りかい)されて、人様(ひとさま)はもう一人(ひとり)の自分(じぶん)である、家族(かぞく)も人様もみな同(おな)じように愛さなければいけないとわかっていっても所詮(しょせん)、無理(むり)ですよね。 ですから同(おな)じように子供(こども)さんを諭(さと)すがごとく、ご自分の意見(いけん)を申(もう)し上(あ)げたりすると、またそれなりに問題が出てきます。 

答えは持っておられる。 しかし精進(しょうじん)が出来(でき)ない。 看板(かんばん)の時(とき)と同(おな)じで、そういう時に私はひとつ、なぜ出来ないかと言うと、人様はやはり自分と関係(かんけい)無いところで存在(そんざい)するもの、方(かた)として区別(くべつ)しているからなのですよ。 せめてそこの垣根(かきね)を取(と)り払(はら)われると! それが中々出来(なかなかでき)ない。 それをなさる為にはね、「もしこれが私の愛する家族だったら見捨(みす)てておけるかな?」というふうに、今、意見(いけん)の違(ちが)いを述(の)べている方を自分の身近(みぢか)な方と置(お)き換(か)える。 そういう訓練(くんれん)をして参(まい)りますと接(せっ)する皆様が身近(みぢか)な方になります。 そしてもっともっと身近に引(ひ)き付(つ)けてそういう訓練をなさいますと、「あなたはもう一人の私」というところにまで何時(いつ)の日か来るのですよ。 

それと言(い)い争(あらそ)い、その波動(はどう)は良(よ)くありません。 何(なん)の役(やく)にも立(た)たない。 後でお互(たが)い嫌(いや)な想(おも)いをするのみならず、そういった言い争いの波動というのははそこに残(のこ)って、当事者のみならず第三者(だいさんしゃ)−周(まわ)りの人−までも巻(ま)き込(こ)んで嫌(いや)な想いをさせる。 気持(きも)ちだけの問題ではなく、それが肉体(にくたい)にも影響(えいきょう)をあたえるのですよ。 そういう意味で悪い波動は撒(ま)き散(ち)らさない。 

しかし違(ちが)いを述(の)べる、こういう意見(いけん)がある、争(あらそ)うことなく反対(はんたい)をする。 そういう勇気(ゆうき)も必要(ひつよう)なのですよ。 そういった反対(はんたい)というのは相手(あいて)の方(かた)にとっては抵抗(ていこう)ですね。 しかし、この皆様の住(す)んでおられる三次元世界(さんじげんせかい)でも抵抗なくして何の進歩(しんぽ)がありますか? 抵抗なく前に進めるものは何一つございませんでしょ? ただ理解(りかい)してあげて、暖(あたた)かく見守(みまも)る、それも一つです。 しかし相手(あいて)を進化(しんか)させる−進ませる−為に敢えて抵抗となる勇気も、これまた愛なのです。 中々(なかなか)、難(むずか)しいことです。

アナハラセ: それを自分の意見(いけん)を押(お)し通(とお)したいからといってやってはだめですね。 

ヨユメ: そのとおりです。

アナハラセ: 相手の為になると思ってやるということですね。

ヨユメ: そのとおりです。 そのとおりです。 勇気(ゆうき)が要(い)ることですよ。 愛の行いというのはとても勇気の要ることなのですよ。 そして皆様の目には本当(ほんとう)に正反対(せいはんたい)に映(うつ)ることすらあるのです。 相手(あいて)の非(ひ)を見(み)つけて批判(ひはん)する、これはとんでもない事ですが、あるがままに相手(あいて)を受(う)け入(い)れる、これも素晴(すば)らしいことですが、ひとつ間違(まちが)えますと無関心(むかんしん)の殆(ほとん)どがそこにいきつくのですよ。 そうすることが一番無難(いちばんぶなん)なのですよ。 ですから相手を受け入れて認(みと)めるという、その行いの中にさえ自我(じが)がある、自我がですよ。 色んな形(かたち)を取(と)って潜(ひそ)みます。 よき理解者(りかいしゃ)という仮面(かめん)をつけて潜(ひそ)みます。 そういうこともありますのでね、色々皆様は決断(けつだん)を迫(せま)れた時に出されるお答えは、その時にあれこれ考えずにさっと取った行為(こうい)が、その時自分にとって出来た一番正しい判断だったのだと。 それが正しいおこたえなのですよ。

お分かりいただけますかね? それとももう少(すこ)し説明(せつめい)が要(い)りますか? どこをどのように説明しましょうか?

アソウ: あまりわかっていないですね。

ヨユメ: アソウがですか?

アソウ: はい。

ヨユメ: それではアソウ、後(あと)で何方(どなた)かに通詞(つうじ)をしてもらってください。言葉(ことば)の問題(もんだい)ではないでしょうか?

アソウ: そうですね、はい。

トコロ: いいですか? 今、ヨユメさんは決断(けつだん)を迫(せま)れたときにその時とった行為(こうい)が正(ただ)しいと仰(おっしゃ)いましたが。

ヨユメ: そうです、その正しいは先ほど私が前置(まえお)きした「絶対的に正しい」のではなく、あなたのその時の、先日(せんじつ)まで皆様と質問(しつもん)をして練習(れんしゅう)をしましたね。 そのように何の為のあれは練習だったかなのです。 そのようにとっさに出てきた答えがあなたが出せるその時一番正しい答えなのですよ。 他の方から見たらそれは正しくないかもしれない。 善(ぜん)とか道徳(どうとく)とかね、そういうものはひとつの答(こた)えではないのです。

トコロ: そうでありながら時々(ときどき)、後になって「あっ、こうすれば良(よ)かった!」と思うことがあるのですが。

ヨユメ: それは当然(とうぜん)です。 それがあった時にはね、「なんだあのときの私は間違(まちが)っていた!」と思わぬように。 「あの時と今の私は違(ちが)うのだ」と。 それが進歩(しんぽ)なのですよ。 以前(いぜん)、出(だ)した答(こた)えが正(ただ)しくないことを気づける自分になったことは精進(しょうじん)の証(あかし)なのですよ。 だからと言って、前にそのように、本当にそれは良かれと思って出した答えを未熟(みじゅく)だったと思ってはいけない。 それと同(おな)じく、自分(じぶん)と違(ちが)う、ちょうどかつての自分の段階(だんかい)におられる相手(あいて)の方をどうして正(ただ)しくないと言えますかというところにくるのですよ。 分(わ)かりますか、トコロ? 

トコロ: はい。

ヨユメ: よろしいですか? 

ところ: はい。ありがとうございます。

ヨユメ: 他に何かご質問はありますか?

これは一応(いちおう)、ここまでで宜(よろ)しいですか、アナハラセ?

アナハラセ: 質問というのではないですが、やっぱり後に「しまった!」と思うのは損得(そんとく)を考(かんが)えたらそうなる、殆(ほとん)どが。 殆どが「あっ!損(そん)をした!」とか「あっちにしておけば良かった!」というのは大体(だいたい)、損得感情(そんとくかんじょう)からきていると思うのですが。

ヨユメ: そうではないです。 

アナハラセ: そうではない?

ヨユメ: 損得(そんとく)の絡(から)まった決断(けつだん)ではそうでしょうけど。 そうでないことなら損得は絡まってきませんよね。 

アナハラセ:そうですね。 

ヨユメ: 例(たと)えば、重病(じゅうびょう)のお友達(ともだち)に接(せっ)して、その時、こういう風(ふう)にされたらいいと思って、そしてこの方はもう先が長(なが)くないと思ったので、一生懸命(いっしょうけんめい)その時は良かれと思って、その先の死(し)の不安(ふあん)を取(と)って差(さ)し上(あ)げる為にそういう話を始(はじ)めたとします。 そして後で「そういう段階(だんかい)ではなかった」と気づかされたときに「そういう話はむやみにするものではなかったな」と気づくようなことがありますでしょ。 その時は自分ではそういうお話をしてあげることが大事(だいじ)だと思った。 後であの方はまだその段階(だんかい)ではなかったと。

アナハラセ; そうですね。

ヨユメ: いろいろありますよ、損得でないものが。 損得(そんとく)の混(ま)ざったほうが簡単(かんたん)でございます。 次元(じげん)が低(ひく)いから。 次元が高くなればなるほど難(むずか)しくなってきます。 皆さんも憶(おぼ)えていらっしゃいますか、一番最初(いちばんさいしょ)に私が出した宿題(しゅくだい)。 いろいろ学(まな)ばれたから、答えは簡単(かんたん)になってきますか? もっと難しくなってきますでしょう。 そのようなものなのですよ。 善(ぜん)と悪(あく)の定義(ていぎ)なども全(まった)く皆さんの世界では以前(いぜん)もお話したかもしれませんが違(ちが)うのですよ。

 

それは別(べつ)にして、先(さき)ほど、シャマナが映画(えいが)の話(はなし)をしておりましたね。 この戦争(せんそう)に絡(から)んだことですけど。 少(すこ)し皆様(みなさま)の耳(みみ)に入(い)れておきましょうかね。 もし今度(こんど)そういう映画を見られたとき、ちょっと知っておられるといいかもしれませんので。 当然(とうぜん)、映画にはこのことは出て参(まい)りません、まだどなたにも知られておりませんから。  

米国の国防省(こくぼうしょう)で10 10 30という方針(ほうしん)、そういうものを打(う)ち立(た)てて計画(けいかく)しているのをご存知(ぞんじ)ないですよね、どなたも? 何(なに)かといいますと、今、米国は経済的(けいざいてき)に戦争とかで弱体化(じゃくたいか)してきております。 それでかつての大英国にならんがためにお金(かね)をかけず、そして尚且(なおか)つ、世界(せかい)の覇権(はけん)を握(にぎ)ったままでいく為にはこの10 10 30というのを使おうと長らく国防省は計画(けいかく)しております。 即(すなわ)ち、世界中(せかいじゅう)のどこで戦争(せんそう)が勃発(ぼっぱつ)しようとも10日以内(いない)に戦地(せんち)に赴(おもむ)き、10日で大爆撃(だいばくげき)をして戦争(せんそう)に勝(か)ってしまう。 そして30日でその国(くに)を統治(とうち)してしまうというそういう計画なのですよ。 しかしその計画の失敗(しっぱい)の第一(だいいち)がフガニスタンを攻(せ)めたときでした。 しかし、それが失敗に終わったからとてまだ諦(あきら)めておりません。 そのために韓国(かんこく)などから25000人もの兵(へい)を引(ひ)き上(あ)げております。 そして集中的(しゅうちゅうてき)に一箇所(いちかしょ)に集(あつ)めていこうとそういう計画がなされているのです。 かつてはソ(そ)連(れん)とか北朝鮮(きたちょうせん)が相手(あいて)だった。そういう戦争が終わりまして、そういった冷戦状態(れいせんじょうたい)が終わりまして、今は新(あら)たにテロに対抗(たいこう)する戦争というものを作り上げましたよね。 そして今後(こんご)の国防省はこの10 10 30 なのですよ。 そういうことを頭(あたま)に入(い)れて今度(こんど)その映画をご覧(らん)になれば、この先(さき)のことが読(よ)めてくるかもしれません。 そうしますと新聞(しんぶん)なんかで見るより先に次(つぎ)の動(うご)きが読めますよ。

アナハラセ: やはり第(だい)3次世界大戦(じせかいたいせん)を望(のぞ)んでいる人たちがいるということですか?

ヨユメ: 望んでいるといえば御幣(ごへい)になりますが、いえ、望んでいるという言い方はおかしい。 戦争は皆、やはり避(さ)けたいのです。 お金もかかります。 人の命(いのち)を犠牲(ぎせい)にします。 しかし、世界(せかい)の覇権(はけん)は失(な)くしたくない。 そのための手段(しゅだん)は選(えら)ばずということはございます。 出来たら戦争は避けたい。 

アナハラセ: ではあれは好(この)んでやっているわけではないのですか? 

よゆめ: 好んでやっているといったら語弊があります。 しかし、ある意味(いみ)で世界大戦(せかいたいせん)のレベルのものは好(この)んでないとしても、やはり石油(せきゆ)の利権(りけん)というものはアメリカだけではないのですよ、各国(かっこく)が絡(から)んでいる。 まだまだあの近辺(きんぺん)では色々(いろいろ)なことが起(お)こります。

 

しかし、こちらの報道(ほうどう)だけを聞(き)いていると、あちらの方のすることは酷(むご)い、それが大々的(だいだいてき)に報道されていますよね。 皆さんはご存知ですかね、あの砂漠(さばく)の真(ま)ん中(なか)にある大近代都市(だいきんだいとし)、デュバイという所(ところ)があるのを。 ご存知ですか? それこそ砂漠の中にある豪華(ごうか)な立派(りっぱ)なホテルとか建物(たてもの)、豊(ゆた)かな人のお家とがあるのですよね。 そしてその町並(まちな)みに、街路(がいろ)にですね、街路に向(む)かってというべきでしょう、外(そと)の塀(へい)に街路(がいろ)に向かって箱(はこ)が設置(せっち)されている。 その箱は何と思いますか? 

トータは物知(ものし)りでしょう、何と思いますか?

トータ: 何? ちょっと質問(しつもん)を聞(き)いていなかった。

ショーカ: 水(みず)。

ヨユメ: 水とおっしゃいました? そうです。 なぜそれが、水が設置されているのでしょう。 説明(せつめい)してあげてください、ショーカ。

ショーカ: 人間(にんげん)にとって一番必要(いちばんひつよう)なものは水だからと思いましたので。

ヨユメ: そうです。 だけれどパケサーのお家の水はお家(うち)の中(なか)にあるでしょう。 街路(がいろ)に向(む)かって、みな、家(いえ)の外(そと)の外壁(がいへき)に、外路に向かってそれを置いてある。 そこなのですよ。 お水はあの国ではガソリンよりも高いのです、本当に。 その高いお水を家の外に向けて設置してあるというのはこれは慈悲(じひ)、喜捨(きしゃ)、恵(めぐ)みの気持(きも)ちなのです。 一番大切(いちばんたいせつ)なお水、これが無(な)くては生(い)きていけない、特(とく)にあの砂漠(さばく)では。 その時に道(みち)を通(とお)る人、誰(だれ)でもがそのガソリンよりも高いお水をいつでも飲(の)めるように家の外につけてある。 熱(あつ)い体(からだ)を冷(ひ)やしたり、のどを潤(うるお)したり。 そのようなお家が殆(ほとん)どなのですよ。 恵(めぐ)みですよね。 そういう喜捨(きしゃ)の精神(せいしん)をもっている。 そういうことは報道されませんでしょう。 この世界で一番豊(いちばんゆた)かな−世界中の富(とみ)の殆(ほとん)どを集(あつ)めている−この国で通りががる人のために何かを用意(ようい)して設置するお家がありますか? 無(な)いですね。 

ま、この話もこれでよろしいでしょう。 

 

他に何か質問はございますか?

アナハラセ: 石油(せきゆ)に頼(たよ)らなくても良いエネルギーがあるはずなのですが、それはやっぱり地球(ちきゅう)にはもたらされないのですか?

ヨユメ: もたらされますし、もたらされるべきなのです。 そういう時期(じき)にきております。 本来(ほんらい)ならば地球(ちきゅう)の次元上昇(じげんじょうしょう)が終(お)わるまでにそれは完了(かんりょう)していなければいけないのです。 

皆様は色々な予言(よげん)で世(よ)の終(お)わりだとか、何か不幸(ふこう)な大変(たいへん)な大惨事(だいさんじ)が起(お)こる予言(よげん)として受(う)け取(と)っておられますね。 唯物的(ゆいぶつてき)な見える世界から見ればそれは確(たし)かに大変(たいへん)なことなのですが、ナザレのイマニュエルイエズス様が仰ったように「世(よ)は終(お)わりに来ている、しかし天国(てんごく)は近(ちか)い」と。 その言葉(ことば)の意味(いみ)はね、終わりというのは唯物的思想(ゆいぶつてきしそう)−見えるもの、それが全てだという考え−が終わらなければいけない。 そういった燃料(ねんりょう)だとかそういうものが本質的(ほんしつてき)なものなのだと思うその思想(しそう)は終(お)わりを告(つ)げるべきだと。 そのようになっております。 その予言を色んな先生方が色んな形で受け取られている。 そしてそういうものではない見えない世界、霊的世界(れいてきせかい)と呼ばれるか、唯物的科学(ゆいぶつてきかがく)はここまで進みました、しかし霊的科学の理解(りかい)がないと医学(いがく)も本当(ほんとう)の科学(かがく)ももう限度(げんど)があるのですよ。 本当のエネルギーを開発(かいはつ)しなければせいぜい行けてどこですか? おもちゃのロケットを飛(と)ばすぐらいではないですか、化石燃料(かせきねんりょう)に頼(たよ)っているうちは。 違(ちが)った次元(じげん)に上昇(じょうしょう)して、違ったレベルの星(ほし)と相対(あいたい)してやっていくにはね、次元上昇後の地球で生き残るためには唯物的思想にしがみついてそのような生き方をしているとだめなのですよ。 それを「淘汰(とうた)される」のだの、「大変(たいへん)なことが起(お)こってみんな絶滅(ぜつめつ)してしまう」というような言葉で表(あらわ)されるから「ああ!大変(たいへん)だ!」と思いますが、見えない世界を信じていらっしゃればどうっていう事は無いのですよ。 物(もの)など要(い)らない世界が、それこそ先生が仰った「天国(てんごく)は間近(まぢか)なり」なのです。 それはイエズスさまを信仰(しんこう)して、十字架(じゅうじか)の前で手を合わしていけることではないのです。

 

病気もね、ツツカベーラ、

ツツカベーラ: はい。

ヨユメ: 肉体(にくたい)に現(あらわ)れる全(すべ)ての現象(げんしょう)はね、皆さんの世界では病気(びょうき)ととられますね。 痛(いた)み、痒(かゆ)み、苦(くる)しみ、吐(は)き気(け)、熱(ねつ)、しかし病気は気(き)の病(やまい)。 気は見えない世界でございます。 そして皆さんが病気と申されているのは前にも話しました浄化作用(じょうかさよう)なのです。 殆(ほとん)どの病気はこれまた言葉(ことば)が制限(せいげん)されますからこういう表現(ひょうげん)でしか言えませんが、霊体(れいたい)−皆様の外を覆う霊体−が曇り、陰(かげ)りが肉体(にくたい)に現(あらわ)れて起こるのですね。 霊体というものが難しかったらそうですね、どういう風に言いましょうか。 あなたの肉体(にくたい)はね、肉体そのものが貴方ではないですよね。 貴方の命(いのち)は肉体(にくたい)ではないですね。 貴方が亡(な)くなって実存界(じつぞんかい)に戻(もど)っても焼(や)くまではその肉体が残(のこ)りますでしょう。 そうしますと貴方自身の命は、命は見えないものこそが貴方の命、いのちなのですよ。 横(よこ)たわっている肉体を立(た)たせて、歩(ある)かせて、動(うご)かせて、喋(しゃべ)らせてするものがあるのですよ。 それが命ですね。 そのいのちを霊体(れいたい)、霊体の中に魂(たましい)が入(はい)るのですが、それはちょっと難しくなるから別の時にしましょうね。 そして霊体(れいたい)に陰(かげ)りが出来ますと肉体に現象(げんしょう)として現(あらわ)れます。 それを皆様は肉体の、体(からだ)の異常(いじょう)として気づかれるわけです。 その異常が出てきたときに一生懸命(いっしょうけんめい)に入(はい)ってはいけないものを排除(はいじょ)しようとして熱(ねつ)が出(で)たり、咳(せき)がでたり、痰(たん)が出たり、くしゃみがでたり、下痢(げり)したり、出(だ)そうとする。 痒(かゆ)くなって出たり、吹(ふ)き出物(でもの)が出たり、出るものは全て浄化作用(じょうかさよう)なのですよ。 しかし苦(くる)しいですよね。 だけど出てくる肉体だけの現象(げんしょう)を治療(ちりょう)するのが今(いま)の医療(いりょう)ですね。 

こう考えて見てください。 わかり易(やす)く説明(せつめい)するためにこういう例(たと)えを使(つか)いましょうかね。 皆様の肉体を大地(だいち)に例えましょう。 そして霊体に陰(かげ)りができた、即(すなわ)ち大(おお)きな雲(くも)があるとしますね。 太陽(たいよう)が照(て)っていてもその雲のおかげで肉体に陰ができます。 その影を肉体の異常として捉(とら)えたとしますね。 そしてそれを「あっ!影(かげ)ができたぞ!」と言って穴(あな)を掘(ほ)ったり、消(け)そうとしたりしても、あるいは白(しろ)い粉(こな)を撒(ま)いて白(しろ)い布(ぬの)で覆(おお)って影を消したかのように、横から光を当てて一時(いちじ)、影を消したかのようにしても雲がなくならないとそれは治(なお)っていないのですよ。 肉体だけの病気などはあり得ません。 今、貴方を悩(なや)ましている病気などは大地の影なのです。 存在(そんざい)しないのです。 大地の影にしか過ぎないのですよ。 でも苦(くる)しいのはわかります。 

貴方(あなた)の世代(せだい)、それからそのあとに特(とく)に多(おお)くなって来ていますのは地球(ちきゅう)の次元上昇期(じげんじょうしょうき)、転換期(てんかんき)波動を敏感(びんかん)に感(かん)じる子供(こども)たち、皆様の世界ではこうも呼ばれていますね、インディゴチャイルド。 インディゴチルドレンと読んでいる人もいます。 この地球の次元上昇、転換期にあってそういう体質(たいしつ)の方(ほう)が沢山生(たくさんう)まれています。 そしてこの地球環境(ちきゅうかんきょう)のひどさです。しかし治(なお)らぬ病(やまい)いなどひとつも無(な)いのです。 よろしいですか。

ツツカベーラ: はい。 

 

Eさん: 質問があります。

ヨユメ: はい。

Eさん: 今、Western Statesが5百年(ひゃくねん)來(らい)の水飢饉(みずききん)になっているのですが、どんなものでしょうか?

ヨユメ: 水飢饉、どんどん起(お)こります。 Western Statesと言われましたね。 世界中(せかいじゅう)で水飢饉が起こります。 皆さんの言葉で災害(さいがい)といえるものの中の三大災害(さんだいさいがい)、三小災害(さんしょうさいがい)というものがありましてね、三大災害は風(かぜ)、水(みず)、火(ひ)によって起こるものです。 それは皆様、個人的(こじんてき)には間接的(かんせつてき)に影響(えいきょう)がありますが、まずはガイア様の、ちょうど皆様お一人お一人が病気になって苦(くる)しんでおられるのと同(おな)じように、ガイア様の浄化作用なのです。 風(かぜ)によってガイア様の霊体の曇り、雲を吹き飛ばすのです。 それによって皆様の森林(しんりん)、お家などが飛(と)びますが、そんなものはこちらから見れば皆さんの目からばい菌(きん)をみるのと同じです。 浄化作用がおこなわれるている。 風、水、火による災害がどんどんおこります。 三小災害といいますのは飢(う)えですね、飢饉(ききん)、病苦(びょうく)、病(やまい)の蔓延(まんえん)、大変(たいへん)な疫病(えきびょう)が蔓延してたくさんの人が命を落とす、それから三つ目が戦争でございます。 これは皆様の次元(じげん)で引(ひ)き起(お)こされる。 皆様のレベルで引き越したそういうものがガイア様の霊体(れいたい)に影響(えいきょう)を起(お)こして、一人一人の想念が生み出した戦争のようなもの、飢饉−分けることを知らずにうんでいる飢饉−そういうものがガイア様の健康(けんこう)を害(がい)しているのですよ。 

 

お水を。 シャマナが疲(つか)れてきているようですね。

それでは皆様ごきげんよう。