ヨユメからの伝言(でんごん)

 

皆様(みなさま)ごきげんよう。

 

先日(せんじつ)は何度(なんど)も試(こころ)みましたがどうしてもシャマナの体(からだ)を借(か)りることが出来(でき)ませんでした。

どうかシャマナを責(せ)めずにお許(ゆる)しください。

 

光(ひかり)が一番大(いちばんおお)きな影響(えいきょう)を与(あた)えます。 その次(つぎ)に音(おと)でございますね。 

ずーっと昔(むかし)にご説明(せつめい)したかと思いますが、シャマナの肉体(にくたい)と光子体(こうしたい)の間(あいだ)に亀裂(きれつ)が出来てしまいますと高次元(こうじげん)の先生(せんせい)のお力(ちから)をお借りしてもだめでございました。

 

それでは先日、出来ませなんだ自我(じが)のことでしたかね、それを今回(こんかい)お話(はなし)することになりますかね。 どのようにお進(すす)めになります? 今まで皆様が討論(とうろん)されて、最後(さいご)にヨユメがまとめ役(やく)ということですか? それともそれについてはもう皆さん方の間で十分(じゅうぶん)お話(はなし)し合(あ)いをなさったのですか? 一部(いちぶ)、そういうお話も出ておりましたが、あれでお終(しま)いですか。

アナハラセ: 提唱者(ていしょうしゃ)であるパファに言っていただきましょう。

パファ: 私の提案(ていあん)の意図(いと)はエゴそのものでなしに、一年ほど前、毎日(まいにち)の生活(せいかつ)で如何(いか)に自分の持っているエゴと闘(たたか)っているかを話したのですが、一年たってかなり成長(せいちょう)していると思うので、果(は)たしてこの一年間(いちねんかん)、エゴとの闘いが毎日どのように進歩(しんぽ)したか? それを皆さんとshareしてみたらという軽(かる)い感(かん)じで提唱したのですが。

ヨユメ: それについては話し合われたのではないですか? それではまとめをすれば宜しいのですか? それともまだこれを今回、皆様にお伝(つた)えしたいということがありますか?

アナハラセ: それではヨユメさんにまとめていただきたいと思います。 宜(よろ)しいですか?

ヨユメ: はい。

その前に光(ひかり)と音(おと)の影響(えいきょう)のお話をしましたが、それは瞑想時(めいそうじ)におけるシャマナにだけ影響があるわけではないのですよ。 しかし、音は皆様の身心霊(しんしんれい)にも影響があります。肉体(にくたい)にも、様々(さまざま)な病気(びょうき)にも、ね。

 

オッターのご妻女(さいじょ)ですか? こちらに。

胎児(たいじ)は羊水(ようすい)の中(なか)に、ちょうど漂(ただよ)うようにしてその中で育(そだ)つのですよ。 そして、お医者様(いしゃさま)は、ね、母体(ぼたい)の健康(けんこう)状態(じょうたい)、栄養状態(えいようじょうたい)をとやかくされますがね。 羊水の中の栄養素(えいようそ)もさることながら、光−良い光−、良い音を、ね、その、そうですね、具体的(ぐたいてき)に申(もう)しますと、心休(こころやす)まる美(うつく)しい、癒(いや)される音楽(おんがく)などを耳(みみ)で聞(き)かれるのでなくて、ここ(お腹(なか))で聞かれる、音(おと)の響(ひび)きを。 そういうことを考(かんが)えて。

そして太陽光線(たいようこうせん)は全(すべ)ての−地上(ちじょう)に存在(そんざい)する−中で一番美(いちばんうつく)しい色(いろ)を全(すべ)て含(ふく)みます。 どんな美しい絵画(かいが)を見るよりも美しい色なのですよ。 眩(まぶ)しければご自身(じしん)は目(め)を閉(と)じて、ここ(お腹)に太陽光線をあてられると宜しいですよ。 宜しいですか?

 

ご病気(びょうき)の時は皆様も食べる物も大事(だいじ)ですが、太陽光線に勝(まさ)る殺菌力(さっきんりょく)をもつ光線(こうせん)はないのです。 今では利用(りよう)の仕方(しかた)によりまして、癌(がん)を作(つく)る、何(なに)を作ると言われていますが、昔々(むかしむかし)の人間(にんげん)は日焼(ひや)け止(ど)めなど使(つか)わなくて、朝(あさ)から夜(よる)まで−お天道様(てんとうさま)が出(で)て沈(しず)むまで−一日中、野良働(のらばたら)きをしたのです。 それで皮膚(ひふ)に癌(がん)は出来ましたか? 

ついでながら、話(はなし)は逸(そ)れますが太陽の光線から守(まも)るためにつける日焼け止め、それから視力(しりょく)を守(まも)るために黒い眼鏡(めがね)(サングラス)をされるなど本当(ほんとう)は目(め)に悪(わる)い、肌(はだ)に悪いことをなさっているのですよ。 この恵(めぐ)みの太陽光線を自分の目で直接受(ちょくせつう)けられない目をもっているのですか? 直(じか)にじーっと眺(なが)めていてはいけないが、その中で、直接的(ちょくせつてき)でなくても間接的(かんせつてき)にさえも太陽光線を受けられない目になっているというのはおかしい。 耐(た)えられる時、そういうものはつけずに生活(せいかつ)なさったほうがよろしいのですよ。

 

それでは、アナハラセのご希望(きぼう)は私がまとめるのですか?

アナハラセ: その前に質問(しつもん)をして宜しいですか? 今の太陽光線の話ですけど、オゾンホールが出来ているというのはやっぱり影響(えいきょう)をしているのでしょうね?

ヨユメ: 勿論(もちろん)そうです。 今の環境(かんきょう)は昔(むかし)と違(ちが)うのは事実(じじつ)ですが、それをも含(ふく)めてですが、本来(ほんらい)、太陽光線はものを育(そだ)てる光であり、病(やまい)を癒(いや)す光である。 そういうものなのです。 そうでなくしたのは人間です。

アナハラセ: 大気(たいき)がちゃんと有害(ゆうがい)なところだけblockしていたはずなのですよね。

ヨユメ: そうです。

 

それでは我(が)の話ですか、自我(じが)の話ですが、いつもこの話をしておりますよね。 改(あらた)めてお話しすることはないのですが。 皆さんは十分知識(じゅうぶんちしき)として持(も)っていらっしゃる。 改めてヨユメが何(なに)を申(もう)しましょうか? しかし、いつも申しますように知っているだけではだめなのです。 鳴(な)らさぬ鐘(かね)と同(おな)じですよね、パファ?

パファ: はい。

ヨユメ: シャマナの大好(だいす)きなマザーテレサのお言葉(ことば)、「人の為(ため)に生きる人生(じんせい)にこそ生きているその価値(かち)があり」とおっしゃっています。“Unless life is lived for others、it is not worthwhile.” 

それと自我(じが)とどう関係(かんけい)があるのですがね。 

自我を無くしていく。 前に蛾(が)の話をしましたね、繭(まゆ)を破(やぶ)って蝶(ちょう)になる話をしました。 そして軽(かる)くなって派動(はどう)を高(たか)めていく。

(お水を)

自我を無くすということ、無くせれば良いが、どうして無くすかということ。 その為にどういう努力(どりょく)をされているかという事もどうすればいいかはもう皆さんご存知(ぞんじ)です。 だけれど中々それが出来ない。 そこが問題(もんだい)なのですね。 

それで今日はね、皆さんが思いがけないところに−そんなに難(むずか)しく考えなくても−例(たと)えば、思いがけないそういうところに−学(まな)びの機会(きかい)があるのですよ。 

先(さき)ほどのマザーテレサのお言葉(ことば)は人様(ひとさま)のために生きる。 人様のため、自分以外(じぶんいがい)のもの、人のためということです。 それにこそ生(い)きる価値(かち)がある。 それから考えましてもご自分一人(じぶんひとり)では人様(ひとさま)の為(ため)に出来(でき)ませんね。 自分(じぶん)は一生懸命精進(いっしょうけんめいしょうじん)しているのだ、瞑想(めいそう)をしているのだ、真理(しんり)の本(ほん)を読(よ)んでいる、ヨユメのお導(みちび)きをまた勉強(べんきょう)しているのだと言われるかもしれませんが、それを一人でただ頭(あたま)の中(なか)に理解(りかい)されていても鳴(な)らさぬ鐘(かね)と同(おな)じです。 鳴らすこと、その行為(こうい)ですね。 愛(あい)は愛ではない、行(おこな)うまでは。 そしてその行(おこな)いも「私はそういう機会(きかい)に恵(めぐ)まれない」とか、「そういう人様の集(あつ)まりに行かない」、「そういうことを望(のぞ)んで近(ちか)づいてくる人もいない」とかいろいろ仰(おっしゃ)いますが、そういうものではないのです。 

先(ま)ずは、一人で生活(せいかつ)をしている人、学びの機会はうんとうんと少(すく)ないのです。 配偶者(はいぐうしゃ)あるいは家族(かぞく)と−それだけではいけないのですよ−でも配偶者なり家族と調和(ちょうわ)して生きていくにも我(が)を抑(おさ)えなければいけません。 そういう機会がお一人で気楽(きらく)に生活(せいかつ)されている方にはないのです。 だからいろいろな所で、ご自分の気のあった好(ず)きな方だけでなく、いろいろな人(ひと)と接(せっ)する機会(きかい)を持(も)たなければいけない。 それもね、持(も)たなくてもそれなりの機会(きかい)は与(あた)えられているのですよ。 お客人(きゃくじん)が見えて他人(たにん)と生活(せいかつ)する機会(きかい)を与えられる。 それは本当(ほんとう)に大切(たいせつ)な学(まな)びの場(ば)を与(あた)えられたと感謝(かんしゃ)して受(う)けなければいけない。 それなのに一人で暮(く)らしている気儘(きまま)、気楽(きらく)さに慣(な)れてしまう。 すなわち自我(じが)で一杯(いっぱい)、自分のことさえ考えて生きていれば良い生活を長(なが)くしてるとそれが大変(たいへん)に思えてくるのです。 それで自我(じが)など捨(す)てられますか? 気儘(きまま)、気楽(きらく)、それを友(とも)とするようになってしまってはお終(しま)いです。 

どのような方、どのような集(あつ)まりでも調和(ちょうわ)してやっていけるような。 人様と生活(せいかつ)をする、その中で調和してやっていく。 これが先ず、我(が)を無(な)くす、特別(とくべつ)な勉強(べんきょう)をせずとも出来ることなのです。 それさえも放棄(ほうき)して「嗚呼一人(ああひとり)がいいなあ、気儘が良い!」と不平(ふへい)、不満(ふまん)がでたむきには反省(はんせい)しなくてはいけませんね。 

どんな方とも一緒(いっしょ)に生活(せいかつ)が出来(でき)る。 必要(ひつよう)とあらばどんな方とも寝食共(しんしょくとも)にできる。 そうでなければいけないのです。 そしてそういう機会(きかい)に恵(めぐ)まれた時に「これは絶好(ぜっこう)な学(まな)びの場(ば)を与(あた)えられた」と感謝(かんしゃ)して、そして調和(ちょうわ)をはかっていきますと我(が)は少(すく)なくなって、波動(はどう)は自(おの)ずと上(あ)がっているのです。 

「波動をあげたい」、「瞑想(めいそう)をして光(ひかり)を見たい」、「何(なに)をしたい」、そういうものではございません。

今までのところで何かご質問がありますか?

皆さん: (沈黙)

ヨユメ: 毎日毎日、寝食(しんしょく)を共(とも)にせずともお仲間(なかま)と何人(なんにん)かでご旅行(りょこう)なさって、数日一緒(すうじついっしょ)に過(す)ごしただけで、もう息苦(いきぐる)しさを感じたり、「嗚呼(ああ)、一緒(いっしょ)にいるのが楽(たの)しくない」とか、それではねぇ。 人様との調和をはかっていけない人が人のために生きる、そういう人生(じんせい)を送(おく)れますかね 

先ず第一歩(だいいちほ)、ご自分一人だけの生活をうまくやっていくというだけでなく、ありとあらゆる方と調和してやっていける術(すべ)を身(み)につけることが第一ですね。 宜しいですか? 皆さんは肉体(にくたい)を持(も)っているから、それが、即、できるようになれば、それこそマザーテレサと同じですよ。 

一応(いちおう)ね、まあ一般的(いっぱんてき)な目安(めやす)というのはそうですね、こういう形(かたち)を思(おも)い描(えが)いてください。 先細(さきぼそ)りで、また下(した)が細(ほそ)っている。 ここが真(ま)ん中(なか)ですね(太いところ)。 皆さんの一生(いっしょう)でございます、生まれてから死ぬまで。 

ここが真ん中で、そして皆さんには10本の手が与えられています。 その5本はご自分(じぶん)の生活(せいかつ)、ご自分の肉体(にくたい)の維持(いじ)の為(ため)に使いなさい、そしてあとの5本は他の人様の為、ご自分以外の人の為に使ってくださいと与えられている。 それをバランスよく使(つか)われればよろしい。 それが基本(きほん)です。 そして皆さんの人生(じんせい)の半分(はんぶん)において−その(形の)真ん中に線引(せんび)きしたところ−5本5本が調和良(ちょうわよ)く使われていれば宜しいとしましょう。 だけれど人生の半分の時点(じてん)にてでそうですよ。その半分というのは−ちょうど線引きした半分というのは−半分の世界は物質世界(ぶっしつせかい)、残(のこ)りの半分は人様のためでもあり、或(ある)いは見えない世界。 

そうしますと、生まれた時は物質世界の光もみえない、言葉(ことば)もわからない、立(た)って歩(ある)くことも出来ない。 だけれど見えない世界に方につうじているのです。 そして徐々(じょじょ)に物質世界に慣(な)れてきて、自分(じぶん)の肉体(にくたい)を労わり、保護(ほご)し、そういう術(すべ)を覚(おぼ)えるのですね。 そして歳(とし)を重(かさ)ねますと−半分を超(こ)えますと−徐々に耳(みみ)も聞こえにくくなり、目も見えにくくなり、お食事(しょくじ)もあまり食べられなくなり、肉体(にくたい)を維持(いじ)する、そういうものは段々(だんだん)段々減(へ)ってまいります。 そのようにできているのです。 目が見えなくなっても、耳が聞こえなくなってもその代(か)わり見えない世界が見えるようになっているのですよ、お歳(とし)を召(め)されるとね。 若(わか)いときには見えなかったものが見えるようになる、そういう仕(し)組(く)みになっているのです。 

人生の真ん中で5本、5本を調和して使われた方はそうなるようになっているのですよ。 

ですから肉体も大事ですが、そればかりではないのです。 赤子(あかご)に帰(かえ)るというのはある意味(いみ)で事実(じじつ)なのです。 見えない世界に通(つう)じ、段々この物質世界のものに疎(うと)くなっていくのです。 ですからお歳を召されてもまだまだ物質的(ぶっしつてき)なものに執着(しゅうちゃく)が大(おお)きかったりいたしますと実存世界(じつぞんせかい)に戻られても光の世界ににまっすぐというわけにはいかない。

自我を、皆様を重(おも)く物質世界(ぶっしつせかい)に繋(つな)ぎ止める自我をね、どんどん手放(てばな)していきましょう。 少なくとも5本の手足(てあし)は人様に、ね、差(さ)し上(あ)げましょう。 宜しいですか。 そうでなければ人生(じんせい)の半分(はんぶん)を過(す)ぎた方がまだ2本の手しか人様のために差し上げていなかったらもう後(あと)の祭(まつ)りと申(もう)しますの。 

後の祭りとはどういうことかお分(わ)かりですか? どなたか? 後の祭りというのはどういう意味ですか?

E-さん: 私はわかっているとおもいます。

ヨユメ: 教えてあげてください。

E-さん: 後の祭りというのはしばらく聞いていないので、はっきりと説明(せつめい)できませんが、追いつかない、やってしまったことは追いつかない。 You cannot retrieveというふうに私は解釈(かいしゃく)しています。

ヨユメ: 皆様がたは−日本語(にほんご)を話(はな)される皆様方は−後の祭りという言葉を聞いたことがありませんか?

パファ: あります。

アナハラセ: 語源(ごげん)がわかりません。

ヨユメ: 語源とは?

アナハラセ: 語源というのはその語(ご)がでた元(もと)になったエピソードというか、source。

ヨユメ: あなたは何を言っているのですか? 

皆さん: (爆笑)

ヨユメ: 言葉のもとですか? どうしてそのような言葉が出たということですか、それは、嗚呼!

それはいい質問ですね!

皆さん: (爆笑)

シャクウ: 過去(かこ)に戻(もど)れないということですよね。

ヨユメ: 手遅(ておく)れということですね。 何で? あ、それですがね、ちょっとお待(ま)ちください。 

先生がおっしゃるには、語源はですね、皆様方の今の学者(がくしゃ)の説(せつ)では「お祭(まつ)りの後(あと)に神輿(みこし)、使(つか)った後(あと)、神輿(みこし)を降ろしてする宴会(えんかい)のこと」を後の祭りと。 またの説は「祭りの後に届(とど)いた神輿とか山車(だし)はもう遅い」という説と二つの説があるそうです。 それは皆様方の学者(がくしゃ)の先生方(せんせいがた)が仰(おっしゃ)っていますが、本当(ほんとう)は、私の先生が仰るにはですね、そうではなく、本来(ほんらい)、あと、あとというのはこの三次元世界(さんじげんせかい)を去(さ)った死後(しご)ですね、死後の世界にまつり、このまつりは皆様の字のお祭りの祭りではなく、奉納(ほうのう)の奉(ほう)の奉(たてまつ)り、そして献上(けんじょう)の献(けん)の献(たてまつ)る。 「人が亡(な)くなったあと、死後、奉ってどうこうしても何(なん)の意味(いみ)もない」、「生きているうちにこそ」という意味だそうです。

自我(じが)が言葉(ことば)の勉強(べんきょう)になりました。

皆さん: (爆笑)

ヨユメ: それはそれでよろしいです。

 

全(すべ)て、今の生(い)き様(ざま)をこのまま持(も)っていかれるのですよ。 生きているうちにこそなのです。 当然(とうぜん)、実存界(じつぞんかい)でも精進(しょうじん)してお勉強(べんきょう)なさることは可能(かのう)ですが、あちらでのほうが大変(たいへん)なのですよ。 頑張(がんば)ってこちらで学(まな)んでいらっしゃってください。 学ぶというよりも実践(じっせん)の時(とき)でございますね。 宜しゅうございますか? 

 

それではほかに何かご質問があればお受けしますが、シャマナの喉(のど)が、大変(たいへん)声(こえ)が出にくい、今日は。

何か質問はございますか?

アナハラセ: ずーっと前、パファが質問したことで皆さんで話し合うテーマにもなったのですが、守護霊(しゅごれい)とどうやったらもっと良(よ)く通(つう)じるようになれるか?

ヨユメ: 私に今、そういうことを聞きたいのですか?

アナハラセ: いや、中々、メッセージを送ってもらっているようだが、今一(いまいち)、完全(かんぜん)にこう二人三脚(ににんさんきゃく)でいっているという確信(かくしん)がもてないのです。

ヨユメ: もてないときは二人三脚ができていないのですよ。 何かしたときにこれはメッセージを頂いていると直感的(ちょっかんてき)に思うことってございませんか?

アナハラセ: それはあります。 ただいつもそういう状態(じょうたい)ではない。

ヨユメ: いつもいつもいただけるわけではありません。 自分で失敗(しっぱい)して、時には間違ってということも学びでございますから。 いつもいつもお助けがあるなんて、そういうわけではないのですよ。

アナハラセ: それでは、一応(いちおう)こういう形で精進、精進するしかないですね。

ヨユメ: アナハラセ、そのうちに個人面談(こじんめんだん)が必要(ひつよう)です。 今回はシャマナの体がもちませんが受けてくださいね。 

 

それから次回、皆さんで話し合われる宿題(しゅくだい)をお決(き)めになってください。 次回は何を、何かみなさんとこういうことで自由(じゆう)な意見(いけん)を交(か)わしたいというようなことがあれば、その時はシャマナも入れてやってください。

オター: いいですか、こういう集まりで皆さん、頭(あたま)でっかちになっていると思うので、いかに実践(じっせん)しているかという話がいいとおもいます。 

ヨユメ: そのとおりですね。 あとは実践しかないのです。

オター: 例(たと)えば自分はこういう風にしているけどどうなのか、そうすると他の人は私は学んだことをこういう風に活用(かつよう)するようにしているとか、そういう実践の、要(よう)するに皆さん、知識(ちしき)はいくらでもあると思うのです。頭の中に入っているけど行動(こうどう)に起(お)こさなければ何の役にもたたないのではないでしょうか。 鳴らさない鐘と仰ってましたが、私もそのとおりだと思います、自分も含めて。 ただ如何にそれを行動(こうどう)に移してているか、もしくはこういう風にしようと思っているとかそういうことの意見交換(いけんこうかん)を。 そのほうがよほど時間(じかん)を有効(ゆうこう)に使(つか)えると思います。

ヨユメ: 一応(いちおう)はね、皆さん色んな練習(れんしゅう)を積(つ)んでそういうお話をしてこられたのですよ。 だけれど、皆さんどうしても何かいつも新(あたら)しいものを引(ひ)き出(だ)そう引き出そうというところに興味(きょうみ)がね。 だけれど、もうそういう時期(じき)ではないし、そういう時間(じかん)もないのですよ。 仰(おっしゃ)ったようにご自身(じしん)がどうしている、したいと思って出来ていない、それをどう克服(こくふく)していくかというようなお話をされるのがいいと思いますよ。 

皆様はどう思われますか? オターと同じようにそれを次回(じかい)のテーマにするということでよろしいですか?

皆さん: はい。

ヨユメ: そしてここで「はい」と言いながら次回(じかい)のmeetingまでに一度(いちど)もそれを考えらえないのですよ、オター。 やらない宿題(しゅくだい)など意味(いみ)がありますか? やっぱり皆様とお話するかぎりはご自身を振(ふ)り返(かえ)って、「私はどうしているのだろうか?」、「皆さんはどうしているのだろう?」、「これについて私は皆さんの意見(いけん)を聞(き)いてみたい」とやっぱり考えてほしいとは思いませんか?

オター: そうですね。

ヨユメ: ですから、宿題(しゅくだい)、「はい!」と言っても、そしてその次(つぎ)になるときまで考えられない人が殆(ほとん)どなのですよ。 それが悲(かな)しいのですよ。 

皆さん、宿題(しゅくだい)を考(かんが)えといていただけますか。

皆さん: はい。

 

それではごきげんよう。