Yoyumeからのメッセージ   2004年08月20日 

ヨユメ: アーソシエテ ・・・・・サラノーシ サラノーチ サラノーミ
皆様、ごきげんよう。
皆さん: ごきげんよう。
ヨユメ: 先日こちらに見えましたお客人がまた見えておられましてね、これからしばらくお邪魔したいと申しておられます。 涙をいっぱいためて私にお願いされているのでございます。 メユヨンと仰るのだそうでございます。 皆様には見えぬやもしれませんが、どうぞ暖かくお迎えして差し上げてくださいね。 
皆さん: はい。
ヨユメ: よほどつらいことがおありになったのでしょう。 タントーラの横にお座りです。 アソウとタントーラのあいだにお座りですので。 その方の存在を意識して暖かく、暖かくお迎えして差し上げてください。 

先日、皆様で宿題を議論されませなんだね。 今日はどのようになさりたいのですか。 ヨユメのお導きですか、それとも何かご希望はございますかね?
トコロ: もしもどなたにもご希望が無ければ、まずヨユメさんがいつも聞いて下さっていますね、質問がないのかどうか皆さんに聞いて、質問が無ければまた何か考えたいのですが。
ヨユメ: それでは今までお導きしたお話しのなかで質問があればということでしょうか。
トコロ: はい。 それとあと教えていただいたこと、頭のなかに入っているのですけど、毎日毎日生活していっていると、その教えていただいたことを本当にこれでいいのかな、と思うようなこと、皆様きっとあるのではないかと思うのですね。
ヨユメ: 実践ですね。
トコロ: はい。
ヨユメ: それでは皆様から質問をお受けいたしましょう。 どなたか質問がございますか?
皆さん: (沈黙)
トコロ: では、私からよろしいですか?
ヨユメ: はい。
トコロ: いつも同じ失敗を繰り返している人がいるのですね。 それでそのたびに相談を受けて、そのときはまた頑張りましょうということで別れて、それを−同じようなことを−何回も何回も繰り返しているんです。 それというのは、もちろん自分はその人に聞いていただいたアドバイスが役に立つとは思っていないんですけど、同じことばかりを繰り返しているところに、何か自分で出来ないものがあるのではないか、もっとこうしたら良いのではないかというところがあるんですね。 そういう場合というのは例えての話ですね、いつも聞いているばかりでなく、本当にその人のことを想ったらもっと厳しく言ってあげたら良いのか。 そういうところ、時々その人のことを本当に想って出した答なのかどうか、そのときわからなかったのかもしれないのですが、そういったところでわからなくなってくるのですね。
ヨユメ: お話を私が全て理解できたとは思わないのですが、まず、人様から相談を受けたり、トコロがその方に忠告して差し上げなければいけない、それを何度忠告して差し上げても、その方は同じようなことを繰り返すということですか?
トコロ: はい。
ヨユメ: それに対してどうしたら良いのか? もしそのとき出る答が同じ忠告なら、それを繰り返して差し上げるより仕方ありませんね。 それ以外の答えはございませんでしょう。 そしてその方があなたの忠告に従って行いを正さないとか、生き方を変えてくださらないとかというのは、ある意味であなたの心の中の傲慢さなのです。 
と申しますとね、私が何年間にわたってお導きで同じことを何度申してきました? 本当に易しいこと、それを一つでも完全にやってくださっておりますか? 霊的真理に目覚めたと仰りながら、実践に移すというのはどれほど難しいかお分かりですね。
トコロ: はい。
ヨユメ: ましてや日々の生活において、そして人様に相談をしなければならないということは、その方は何らかの苦境に立たれている。 苦しんでいらっしゃる、苦しい思いをしていらっしゃる、何か困難に向かい合っていらっしゃるわけです。 そういう時はね、救いを求める方の殆どが、もうご自分の心の中で決めている答に対して同意を求めているにしか過ぎないのです。 ご自分で意識はされていないかもしれませんが、もう決めていらっしゃるのですね。 それに同意を求めているからこそ相談されるのです。 一見矛盾したようにみえますよね。 相談される、そういう方に限って忠告したことをなさらない。 そう見えるのは相談される方というのは、皆様の意見が聞きたくて相談しているのではなく、ご自分の心の奥深くで決めてしまっていることへの同意を求めているにすぎないことが多いのですよ。 
さりげなく受ける相談は別ですよ。 「これをどうしましょう?」、「ね、パケサー、今日のお惣菜は何にしましょうか」というようなことは本当に軽く相談していて、仰ってくださることには「あつ、それもいいな」と。 
私が言う相談とは、本当にどうしようか、困って、困って一人で決めかねているようなとき。 決めかねているからそれではどなたかの意見を聞くかというと、そうではないことが多いのです。 苦しんでいるときは、なぜ苦しんでいるかというと自分の心の中で決まった答と、魂が命ずる理性とその葛藤で苦しんでいるのです。 自分の置かれた環境、あるいは例えばその方が悩んでいらっしゃるのが人間関係、あるいは経済的な問題で苦しんでいらっしゃる。 その苦しんでいらっしゃる状況そのものに問題があるのではなく、その状況をいかに解決するか、その解決方法が−ご自身がやりたい方法、それは心ですね−そしてその上の魂が呼びかけている「それではないんだよ、こうするんだよ」と、その葛藤があるときに苦しむのです。 そして大概はその魂の声に耳を傾ければいいものを、左脳が邪魔をしてあるいは我が邪魔をしてもう心の中で答を出してしまうのです。 そういうときに人様に「助けてください、どうしたらいいのでしょうか」とすがりたくなることが多いのですよ。
そのようなお答えでよろしいのでしょうか、トコロ?
トコロ: はい。
ヨユメ: 参考になりましたか?
トコロ: 有難うございました。
パファ: 話が思い当たりますね。 同意を求めているという。
ヨユメ: パファも何か悩んでいるのですか?
パファ: 悩みはしょっちゅうです。
ヨユメ: それではその悩みのもとは今わかりましたでしょう。 ご自身の心と魂の呼びかけ、その葛藤です。 そういうときにはね、人様に相談される前に、まずは心静かに瞑想なさって、ご自身の魂の声に耳を傾けてください。 だからもう人様に相談しなくて良いというのではございませんよ。 人様とお話して色々な意見を伺うということは大切なことです。 しかし私が申し上げましたのはね、トコロが言った相談というのはかなり深刻な問題のことでございますよね。
トコロ: はい。
ヨユメ: そういうふうな時、相談を受けた者としても大変重い責任というかそういうものを感じてしまいますよね。 そのときに、その方の心がその方ご自身に葛藤されて悩んでいらっしゃる。 あなた自身の意見はそれほど役に立たないけれど、何度も根気よくあなたが信じているところをお教えするしかないのですよ。
トコロ: はい。
ヨユメ: 変わってくださらないから、何か自分のやり方に落ち度があったのではないかなどと考える必要はないのです。 頼まれもしないのにわざわざ出かけて行って忠告するのではなく、求められたわけですから、求めにはご自身で出来る限りの力を尽くして応じて差し上げてください。 よろしいですね。
トコロ: はい。 有難うございました。

ヨユメ: タントーラ、眠いのですか?
タントーラ: いえ。
ヨユメ: しびれてきたのですか?
タントーラ: (体の左半分が)しびれています。
ヨユメ: それはよろしいのですよ。 お隣にいらっしゃる方、メユヨンと仰る方ですか、ヨユメのメユヨンと仰ったのです、その方が私に学んでくださっているのでそれを意識して暖かい波動を送って差し上げてくださいね。 アソウも同じですよ。
アソウ: はい。

ヨユメ: 他に何かご質問はございますか?
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: いつも質問は、アハナラセかトコロなのですよね。 他の方はございませんですか。
 
それではね、皆様に宿題を差し上げたいと思うのです。
節約、倹約ですね。 節約、倹約という言葉、おわかりになりますか? お分かりにならない方はどなたか通詞をお願いいたします。 
節約、倹約、質素この三つの言葉ですね、それに対して皆様は節約とは、倹約とは、質素とはどういうことなのか考えてきてください。 これをね、申しますのは、少しヒントを差し上げますと、いつも皆様方が考えていらっしゃる三次元のその考え方ではなく、私どもがいつも申します実存界での真理に照らし合わせた答と、皆様方が考えていらっしゃるその倹約、節約、質素なりのその違いを理解していただきたいのです。 
以前も道徳とは何かというお話をいたしましたね。 そして皆様方が考えていらしゃる善、悪だとか、道徳だとか仰るのは実存界で高次元の先生方がお教えくださる善、悪、道徳とは違っておりましたね。 憶えておられますか?
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: お答えもないのですね。 
パファ: はい、憶えています。
ヨユメ: そのように質素、節約、倹約とはどういうようなものか、どういうことを言うのか、ということを考えてきていただけますか。 それを次回の宿題ということでよろしゅうございますか?
パファ: かなり難しいですね、これは。
トコロ: これはヨユメさん、皆さんで議論し合うのですか?
ヨユメ: どちらでもよろしいですよ。 でもまずは夫々にお考えいただいて、そしてシャマナも含めて議論した上で皆様の大体のお考えをまとめていただいて、どなたかお一人がお話しくださってもよろしいし、それで私がそのことについてお導きでまとめるというのはいかがでしょう。
トコロ: はい。
ヨユメ: よろしいですか? 他に何か質問はございますか?
トコロ: 前々回にですね、何が精進をさせなくさせているか、そしてそれに対してそれを克服するために、自分はこういう努力をしているというのを皆さんと話し合ったのですが、それはヨユメさん聞かれましたか? 聞いておられましたか?
ヨユメ: 聞いておりました。
トコロ: それについてヨユメさんの観点からこういうふうにそれぞれ−皆さん学んでいる段階、スピードもちがうと思うのですが−こういうふうにしたらいいとか、そういうアドヴァイスをもしお持ちでしたら聞かせていただけますか?
ヨユメ: それをお話するには時間が少し足りませんね。 シャマナがもつかどうか。
それでですね、それについて先ず申し上げたいのは精進、精進をなさってないことはないのです。 精進、昔に比べて今、皆様が立たれているところは違いますよね。 そういう意味では階段を一段一段昇ってこられたわけで、精進なくしては昇れないわけですから。 
その精進というのは、お勉強をして色々考える、そういうものではなく、最初はね、まずはそういうものに目覚めるということで、一番最初は知識から入りましたよね。 皆様が驚かれるような知らなかった色々な知識を、私は皆様にお教えしたと思うのです。 それを聞くたびに驚きの思いをもたれて「ああ!すごい!」と思われて、そして段々にお導きとはそういう皆様の夢想だにしなかった世界の話、宇宙の神秘、時には高次元で物理学を極めた先生に降りてきていただいて大変高度なお勉強もされましたね。 あるときは歴史の勉強、あるときは政治、宗教学など、それが興味本位でそういうお導きをさせていただいたのではなく、まずはそういう皆様が持っていらっしゃる知識というのがほんのわずかな知識だと。 ノーベル賞を取ったような学者の先生でも、私どもの世界の先生方のお教えから見れば、ほんの幼稚園生にしかすぎないというお話もしましたね。 素粒子、クォークの話、光子の話、色々いたしました。 それはみな小さな小さな極最小の世界、そしてまた大きく大きく無限に大きいその世界、もう皆様の想像に絶する世界、皆様の数の世界では測り知れない、そういうことをお話して、本当に皆様の持っていらっしゃる知識はいかほどのものかということに気付いていただいて、どなたにも謙虚になっていただきたかった。 そういうことを意識したうえで、色々高次元の先生が下さるお導きに耳を傾けて、そしてそれを知ったからどうなのですかといわれればそれまでなのですが。
自分達の知る世界の真理はんのわずかなものでしかない。 そうすることによって色々な話をきいても盲目に信じるのではなく、そういうこともあるかもしれない、そういう見方ができるようになるのですね。 その心無くしてはもう一歩も前に進めないのですよ。 
まだまだ多くの方が、大方の方が「霊などいないよ」と仰います。 見えませんからね。 今日ここにいらっしゃっておられる数々の霊−この方たちはお客人ではございません−いつも皆様がお連れになっておられる100は優に超す霊団、いつもお集まり下さっているわけですよね。 しかし皆様の目には見えない。 それ故見えないから信じない、触れないから実在しない、そういうことでは何も始まらないのですよ。 後のお導きが続かなかったのですよ。 そういう意味でああいうお話もしたわけで、ああいうお話をして、それですぐ皆様方ね、そのお導きでお教えしたものがすぐさまに役に立つというものではないのですよ。 でもああいうお話を聞かれたあと、いろんなことを聞かれても「そういうこともあるのかな?」と耳を傾けることができるようになりましたでしょう。 そういうことはありませんでしたか? 
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: そして、そういう色々な知識を得た後で、実はもっと皆様の日常生活において、皆様の波動をより高く尊きものにあわせて、実存界からこの世界に下りてこられる前にお約束してこられた使命成就のために、ご自身の波動を上げるお手伝いをするお導きがその次でございましたね。 
愛についてお話しましたね。 パファ、憶えておられますか?
パファ: はい。
ヨユメ: 何種類の愛がございましたか?
パファ: 三つじゃなかったですかね。
ヨユメ: そうですね。 お話していただけますか?
パファ: 一つだけクリアに憶えているのは絶対愛ですが。
ヨユメ: そうですね。 愛。 もう愛と光しかないのですよ、この世には。 皆様がどなたに対しても絶対愛を感じられるようになれば、もうここに転生してくる必要は無いわけですよね。 それはとてもとても無理なことです。 
愛はいわゆる異性間での愛情、情熱と言いますか、英語ではPassionという類の愛ですね。 それから肉親愛だとか友情だとか、対象のある愛、愛情、Loveですね。 間違いました。 先生がその英語は間違っていると仰っています。 それはaffectionだそうでございます。 そして絶対愛を−対象のない−それをLoveというのだそうでございます。 
いつも申しますのは、最初の頃は「あなたはもう一人の私である」というお話は、とても出来ませんでした。 何年か学んでこられて、今は「人様と自分の間に垣根を作ってはいけない」、「人様をもう一人の自分だ」と思えるようにならなければいけない、こういうお話を最近は始終しておりますよね。 これを数年前に言っておりましたら、とても皆様は何を私が申しているのか、先生方が何を仰っているのか、到底お分かりにはなりませんでした。 
ということは、そのお話をしてもおわかりいただける。 ずいぶん階段を昇ってこられたわけですよ。 それには頭だけではなく実際のご精進無くしては出来ないことなので、ご精進されてきたのですよ。 
最近、そういうご精進が足りてないと注意を受けた方々は、それはいわゆるご自身、その注意を受けた方の使命成就のためには、まだ自我が強すぎてとても使命成就が無理だから、早く我を捨てなさいと。 そのために精進は足りてないというお話でしたのですよ。 
全般的に皆様が精進してこられたのは、先生方も霊団の方々もご覧になっています。 だからこうしてお導きに降りてきてくださるのですよ。 
それで答になるのでしょうか? そうではないのですか、トコロ?
トコロ: あの時皆さんは、本当に日常でどういうことをやっているかとか、そういうことを言ったのですよね。
ヨユメ: そうですよ。 それでまずは例えば人にこやかに笑いかけるとか、そういうことは何も間違っていないのですが、それは初歩的なことで、それをなさるということはもちろんよろしいわけです。 そしてもう皆さんやっていらっしゃるのですよね、夫々に。 
トコロ: はい。 それでそれに加えて、ヨユメさんから何かそういったことで日常私達がわかっていない、気が付いてないことがあればと思ったのですが。
ヨユメ: とにかく私から皆様の三次元世界において「こうなされば宜しい」、「ああなされば宜しい」と言うのはきわめて難しいのです。 どうして出来ないのかはむしろ理解に苦しみますのでね。 そういう意味では、皆様がお互いに話し合われたら宜しいのですが、それでもあえて申しますと、どうして皆様は人様にご自分、あるいはご自分の家族にするように親切にできないのか。 人様は人様、自分は自分と考えていらっしゃるところに全て問題があるのです。 本当はそうではないと何度も何度も木に例えて、色々なものに例えて−パケサーはトコロ、貴方は私、あの方は私−みんな一つなのです。 そしてこれは何も人間どうしが一つではないのです。 神様からの分け御霊をもらってここに存在する全てのものが神の一部であり、神全体であるのですよ。 
1100年前、皆様はそれをご存知でしたのよ。 口にする食べ物一つ一つに神の分け御霊を見て「頂戴いたします」、「私の中で生きてください」と。 獲物に弓矢を放つときも、その肉を食するときも、小川の水をこの手で汲み上げていただくときも、弓矢を作る石を拾ってきたその石にも感謝して、神の分け御霊を感じて生きていたのです。 それを皆様今生ではすっかり忘れていらっしゃる。 昔はみんな知っていたのですよ。

物質文明が繁栄するにしたがって、欲が段々皆様の心の領域を占めてしまいまして、魂を追いやってしまうのですよ。 この間申しました半分半分ですね。 肉体を持って生きておられる限りは、やっぱりご自身の肉体を維持されなきゃいけない。 ですから全てを人様に上げてしまうわけにはいかない。 半分は自分のため、半分は人様のため。 10本頂いた−神から頂いた−そのうちの5本は人様のために使い、使っていただく。 そして年を重ねるごとにご自身に使う手の数は少なくなってまいりますね。 お話、憶えていらっしゃいますか、そういうことなのですよ。

お水を。
では、質問が無ければ、皆様ごきげんよう。