Yoyumeからのメッセージ   2004年11月19日 

ヨユメ: みなさま皆様、ごきげん御機嫌よう。
皆さん: 御機嫌よう。

ヨユメ: 色々なご意見を聞かせていただいて有難うございます。 今後とも今日のように夫々思ったことを活発に発言してくださると嬉しいのですが。 今まではいつも決まった方しかお答えくださらなかった。 今日は夫々の方がご自分で考えてご用意された答えを述べてくださいました。 今日のお答えに対してこれこれが正解でございますと私がお導きでまとめをすると皆様はお考えかもしれませんが、これからは皆様ご自身が宿題を出して、それに対してこのように皆様で話し合われる。 それを私が聞かせていただき、その上でまだ皆様にお伝えすべきことがあればさせていただく。 そしてもしお時間が許されれば、そう、今日はもし出来ましたらずっと前からお約束しておりましたパファの個人面談をしたいと思います。

闇の中にいて光を知らぬのは、これは不幸なことでございます。 少なくとも皆様はもう光をご覧になった。 いつも光を見ているわけではなく、闇の中に光の存在を知った後でも尚、闇の中でまた手探りして、悩み、苦しみということはございますが、少なくとも光の存在を知っておられます。 それだけでも光の存在を知らずに闇の中で生きておられるたくさんの方から比べますと幸せなのでございます。
以前、お蚕さんの話をいたしましたね。憶えておられますか?
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: 繭の外の世界ですね。 それからその後には羽が付いて飛び出せるということを知りながらも飛び出そうとしない。 その時に私は何故飛び立たないのか、恐れの話をいたしましたね。 憶えておられますか? 
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: 闇と光。 言葉を置き換えますと「光を見る」、「真理を知る」、色々な言葉に置き換えられます。 皆様お一人お一人がご大霊の分け御霊であるということ。 そしてあの方はもう一人の私。 全ては一つ。 そう正しく理解出来ましたらそれは光を見たことになりますが。 
ご大霊の分け御霊ということは何も皆様だけではなく、存在する全てにご大霊の分け御霊が宿っているからすべては存在しているので、決してこのご大霊というものを皆様がたが描かれる、人間の形をもった神仏だけを考えないで頂きたい。 
ご大霊は皆様の体の細胞の一つ一つのなかにも、また皆様のガイア様、そしてその太陽系、もっともっと大きな宇宙全てを包んで存在される。 その大きな物もご大霊ならば、河原に転がる石ころもご大霊であり、河原に咲く野の花にもご大霊が宿る。 
全てにご大霊が宿っているということは皆様はもう一人の方をみて、夫々ここにいらっしゃるこの方々と私は一つだという意識は比較的簡単に持つことは出来ても、河原の小石と私は同じだと考えるのが難しいようです。 理解していただくのは難しいかも知れませんが、本当に皆様も河原の小石と同じものなのですよ。 
たった一つの違いは振動数の違いでございます。 無から物質化現象が起こるのを目にされたことがあると思いますが、あれはただ振動数が変わっただけであのような物質になるわけです。 そしてまたその物質は振動数が変わればなんでもなり得るのです。 物質を構成する成分がどうのこうのと申されますが、それは皆様の世界の科学でございまして、全ては振動数の違いでございます。 
全て同じ物なのです。 木で出来た机も、金属で出来た車も皆同じ物なのです。 皆様のように動き回れる動物は比較的近い物として同じ物なのだと考えることは容易ですが、植物、そして鉱物までも自分とは同じだと考えにくいと思います。 しかし全てを自分と同じ物だと、同じところから来ているのだと。 
それをお分かりになりますとね、人の喜ぶことは−人の幸せ−即ち自分の幸せであると仰っておられましたが、人だけではないのですよ。 存在する全てのものが幸せであることを幸せと感じられるようになるはずでございます。 そういうことを考えますと、ガイア様が苦しんでおられるこの状況をみて、人間だけが幸せでいられるはずがございませんよね。 先ほど人様の幸せをみて幸せを感じる、人様が悲しんでいるのを目の前にみても、例え映画で見ても、書物で読んでもそれは悲しいと仰っておられましたね。 その様に人様の傷み、苦しみ、不幸をご自身の如く感じられるというのはそれはとても大切なことでございます。 人様の不幸をお気の毒だと同情できる方は殆どの方はそう思うことが出来るのですが、人様の幸せを心からご自身の幸せのように幸せと感じることが出来る人は本当に少ないのですよ。 何故だと思われますか?
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: 人様の不幸を喜ぶ人は少ないです。 殆どの方がお気の毒にと辛い思いをなさいます。 しかし人様の幸せを心から喜んで、ご自身の幸せと感じておられる人はどれぐらいと思いますか? 私どもの世界からは全部それが分かります。 本当に悲しいぐらい少ないのですよ。 少なくとも皆様には人様が幸せに、あるいは喜んでおられるときにはご自身の喜び、幸せのように感じることが出来る。 いつもそうであっていただきたいと思います。 人様の幸せを「嗚呼!幸せだ!良かったなあ!」と思うときはご自身も幸せなのです。 そういうことが段々と増えてきますとご自身は本当に幸せなのですよ。 何を持つとか、夫々の望むことが如何様に叶えられたとか、そういうことが幸せの基準になるわけではございませんよね。 
そして何方か、ミストヨでしたか、豊かであるということを話しておられましたね。 何方か通詞を。 少しそのことでお話をしたいのですよ。 何と仰いました、先ほど? 豊かであるということ。 もう一度皆様にわかるようにご説明願えますか。
ミストヨ: Everything is all about connection. Everything must be one. Health, success, wealth and happiness in our relationship are not from the outside. It's all from the inside.
ヨユメ:その様に仰っていたのですか?
ミストヨ: Yes.
ヨユメ: それでは伺いますが、貧困であるということは幸せでないという事でしょうか?
ミストヨ:  Poverty is not realizing the wealth that is hidden within, they look only from the outside. Unfortunately they cannot find it because they have been shielded of the wealth that is inside them.
ヨユメ: そこまで仰らなければ理解願えないと思うのですよ。
たくさんのものに囲まれていても、無い、不足している、欠乏していると感じる限りは不幸なのですよ。 僅かしかなくとも満ち足りていれば幸せなのですよね。 それは皆さん、お分かりいただけますよね。 満ち足りているということは即ち幸せの状態でございますよね。 たとえそれが物であっても、人間関係においても、想いでもありとあらゆるものにおいてこれで十分だ、満ち足りていると感じると、それは即、幸せでございます。 幸せであると感じるのは満足している状態でございますよね。 皆様は肉体をお持ちですから五感というものがあります。 食欲もあります。 眠いとき、睡眠欲。 そして性欲。 色々な欲がございますね。 すべてにおいて満ち足りている、満足しているという状況は欠乏していない、もっともっと!足りない!欲しい!と思っていない状況でございますね。 それは幸せな状況ではございませんか。 幸せだと感じている。 それは人夫々に違いますよね。 満ち足りることを、足るを知るということは幸せでございます。 足ることを知る、満足することを知るということは即、幸せに繋がります。 たくさん持っていてもそれが何時無くなるだろうか、無くなる事ばかりを恐れていては決して幸せはございません。 無いことが幸せ、ある事が幸せとは言えないのです。 お分かりいただけますよね。 
只、これこれが幸せになる方法ですなどというものはございませんが、もっともっとと求めないで、満ち足りている、豊かな気持ちで満足している状況を幸せと呼べるなら、ではどうしたらそういう気持ちになれるのかというか、その様な状況にいつもなれるようにするにはどうしたら良いと思われますか?
オロコイ: 私は頭の中でわかっていても出来ないのですけど、自分の外側に目を向けてあれが無い、これが無いということにFocusするのではなくて、自分の内側を見て、あれもある、これもあるという風な気持ちになって。
ヨユメ: それが私が今、言っていたことでございますが、その様な気持ちになれる。 外に目を向けて無いのを探すのではなく、ご自身の内に目を向けて。 そういうふうに出来るようになるにはまあ、どういう風な方法が、皆様夫々にご精進されているわけでしょう。 その精進の方法としてどういうことをされればそういうのに役立ちますよ、どういう想いをもたれることが、どういうふうに考えるのがそういうことに役立ちますか?とお尋ねしているのですよ。
オロコイ: 一日一回、静かになる時間を持って思い返すとか、そういうことでも宜しいですか?
ヨユメ: それもですね。 
その、ね、一つは感謝でございます。 なんだ!と思われるのですがね。 ご自身が不幸に思っていらっしゃる瞬間を考えてご覧になれば、何かを無くす不安とか恐れですね、不満を持っていらっしゃるから幸せでないのです。 何かが不満足なのですね。 その時にその気持ちがどこから来ているのかなと考えてご覧になりますとね、感謝が足りていないのですよ。 それで当たり前だと。 そうなりますと足りていない、もっともっとという気持ちが起こって参ります。 今までの私のお話で何方か質問はございますか?
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: 皆様にお伺いしたいことがございます。 皆様の愛するご家族やお友達に幸せないいことが起こったら嗚呼良かったねと皆様思われますでしょ。 ここでお伺いしたいのですが、皆様にも嫌いな方がいらっしゃいますね。  その方にとってもいい事が起こりました。「嗚呼!良かったね!」と素直に思えますか? 
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: それが同じように、ご自身の事のように「嗚呼!嬉しいな!」とその方の幸せ喜びを思えるようになりましたら皆様は不幸な瞬間など無いと思いますよ。 何時も何時も幸せでいらっしゃるはずでございます。 

それではパファのお導きに参ります前に今度は皆様で何について話し合われますか?
これは今までの皆様のお勉強の成果を拝見するとてもいい機会でございました。 私は楽しませていただいております。 何についてお話なさいますか、今度は?
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: パケサー、いつも皆様から頂いて、たまにはパケサーから今度はこういう話を皆様はどお考えていらっしゃるのか知りたいと思うことを仰ってみてくださいな。 それを宿題にいたしましょう。
パケサー: はい。
ヨユメ: 何か思いつきませんか?
パケサー: ちょっとねぇ、思いつきませんね。 考えておきましょう。
ヨユメ: それでは駄目なのです、今。
パケサー: 今でないと? ちょっと分からないね。
ヨユメ: それではパケサーに申しましょう。
パケサー: はい。
ヨユメ: その人のためを思って、本当はこういう事を言って差し上げなくてはいけないということがございますね。
パケサー: はい。 今、ございます。
ヨユメ: それが言えないのはどうしてなのでしょう?
パケサー: 傷つけるかもしれない、誤解されるかもしれない。 それの恐ろしさが。
ヨユメ: そうしますとね、それに対して皆様の考えは? そしてそういうものを克服するにはどうしたらいいのか?などというのを聞いてみられると、とても参考になるのではないですか?
パケサー: はい。
ヨユメ: ご自身でお答えを出せなくて悩んでいらっしゃるではありませんか? そういう時に色々な方のご意見を伺ってみるというのはとても勉強になりますよ。
人を傷つけたくない。 色々ありますよね、今、仰ったように。 では、他の方はそういう時にどうされるのでしょうね。 そう思われませんか?
パケサー: 他の方の意見を聞くのも大きな勉強になりますね。
ヨユメ: パケサーの学びですよね。 それを皆様と共に考えてみるというのは。
パケサー: はい、いい問題ですね。
ヨユメ: もっと、もっと大きな問題に出会うかもしれないのですよ。 その時のためにも今、こうして皆様のご意見を聞いておくというのは役に立つと思いますよ。
それで は宜しゅうございますか?
パケサー: はい。