Yoyumeからのメッセージ   2005年01月07日 

ヨユメ: みなさま皆様、ごきげん御機嫌よう。
皆さん: 御機嫌よう。

ヨユメ: 先ほど、皆様はご挨拶で「新年おめでとう」、または「明けましておめでとう」とお互いにご挨拶を交わされておりましたね。 どうして、何故、おめでたいのでしょうか? 何方かお教えくださいますか?

トコロ: 聞いたことがあるのですけども。 昔は−今のように豊かに暮らしが出来なかった頃、本当に生きていくのが大変だった頃やっと年を越せて、そして新しい年が明けて、本当に皆、元気で苦しかった年を越して、新しい年を迎えられ、おめでたいというようなことを聞いたことがあります。

ヨユメ: 苦しい一年を無事越えられてでおめでとうでございますか。 新しい年がおめでたい年になりますようにという祈願ではないのですね。

トコロ: それもあると思います。

ヨユメ: なるほど、そういう意味で今は使われているのですか?

トコロ: 今は苦しいということはあまりないと思いますが、新年も改めて新しい気持ちで頑張っていこうという、それでおめでたいのかどうかわからないのですが。 そういう気持ちで今は使っています。

ヨユメ: 皆様方の世界でのしきたり、行事、祭りごとに関していろいろ私どもが理解できないながらもなるほどと思うは数多くございます。 特に祭りごとなどはね。 
私どもの世界でよく(理解)出来ないのが新年、お正月と呼んでおられますね、これなのですよ。 今の世界がどの様な状況かは皆様、よくお分かりですね? そういう時に私どもの世界では皆様がたの感じておられる時間というものは無いのですが、皆様がたの現世の時間というものに照らし合わせて、こちら側から物事を見ますと、節目にあたるその一年が終わり、また新しい年が来るときに祝い浮かれる、特にその年の終わりには花火をあげてお祭り騒ぎをされるということがどうもわからないのですよ。 「嗚呼、もう、後これだけしかないな」というその想いが強くございましてね。

皆様がたの世界では結婚なさるときお祝いをされますよね。 それは宜しいのですが、赤子が誕生されるとき、それも皆様はお喜びになり、そしてお祝いされますよね。 それが調度私どもの世界では反対になります。 
そして皆様の世界では人が亡くなるとき、我々の実存界に戻ってこられるときには大変悲しいおもいをなさいます。 お祝いとは程遠いでございますよね。 しかし、それは実存界ではその方の帰還、誕生、何と呼ばれても宜しいですがお祝いなのですよ。 そして新しい魂がこの皆様の世界に旅立って行く、それは調度皆様がたのお葬式にあたるのですよ。 

世界が違いますとそんなにも喜ぶべきこと、悲しむべきことが変わります。 肉体を持っておられるかどうか、そして五感によって識別できる物、それで全てを測って生きておられると、本来喜ぶべきこと、悲しむべきこと、幸せと思うこと、そういうものが五感を中心にした重い低い波動で感知出来るものだけに価値があるという誤った価値観に支配されてしますことがございます。
お正月を祝うことが、あるいは赤子の誕生を祝うことが、人が亡くなるのを悲しむことが波動が悪いと言っているのではないのですよ。 勘違いなさらないで下さい。 どちらの側から見るかによってそれだけ変わってくるということです。 

赤子の誕生を喜ばれる、それはそれで宜しいが、この魂をこの大変な修行の場に送りだすのにどれだけ沢山の魂が悲しんだか。 そういこともほんのどこかに憶えておかれますと、そのお子の成長される過程において役に立つと思います。
逆さまに親しい人、愛する家族を亡くされた時、それはもう悲しみ以外にないと考えておられるむきにはそうではない、その魂の帰還を待ちわびている人たちがいるということを考えられますと、死というもの、誕生というもの、そういうものを違って考えることが出来ると思うのです。
小さなお子さん、特に新生児、皆様には識別、多分できないと思いますが、それはそれは沢山の霊団が付いておりましてね、一歳ぐらいまでは100体、200体もの霊がお守りしているのですよ。 目がよく見えない間は、目がよく見えないと申しますのは三次元世界の物質世界の物を見る力がないときは殆ど私どもの世界の物しか見えていない。 以前にもお話したかと思いますが、皆様がたの世界の物質が見えない新生児が笑ったりするその表情を筋肉の動きでそうなるのだと仰る方もおりますが、それは違うのです。 あの笑いは明らかに笑っているのです。 こちらの世界から付いてお守りしている霊があやしたり、語りかけたりしているのです。 それに答えて笑っているのです。

皆様に見えないから無いのではない、それはいつも私が申し上げていることですよね。 どうしても、それを何度も私から聞いておられても、理解しておられても、日々、五感に頼って触れることが出来るもの、見えるもの、聞こえるもの、そういうものしか存在しないと思って生きておられる。 見えない世界のものを正しく理解しないと本当にこれからね、色々なことがおこるのですよ、大変なことが。 それを察知したり、どの様に生きていくべきかと考えるときにご自身の五感を頼りに判断されていては皆様それぞれの使命を成就されることは難しくなります。
何も新しく学ぶべきことはございません。 もうご存知である、その事を如何に日常の生活でご精進なさるかだけなのですよ。

何かご質問はございますか?

オター: 一つお伺いしたいのですけど、年末に東南アジアで地震があって、その後大きな津波が発生して、今、数字がはっきりしていないくらいものすごく多くの方が亡くなっています。 これはどういった、今、こちらの三次元の世界を去るときには実存界に戻ってお目出度い話だということでしたけれども、あれだけ多くの方、子供さんから色々な年代の方があんなに一度に亡くなってしまうということを我々はどういうふうに理解すればいいのでしょうか? あの状態を

ヨユメ: お目出度い事だといえば気違い扱いされますよ。

オター: ええ。

ヨユメ: しかし、大変残酷な表現になるかも知れませんが、皆様方の世界で悲劇と思われていることは宇宙的規模、あるいはガイア様の、今、ガイア様の...
お水を。
今日も食べ過ぎたようです、シャマナは。 降りてくるのに時間もかかりますし。 瞑想の前に食べ物を余り沢山食べさせないで下さい。 シャマナにきつく言いおいてください。

今のガイア様の皆様に例えて健康状態を申しますとね、瀕死の状態であられるわけですよ。 それはなぜかと申しますと、森林ですね、たかが木ではないかと思われるかもしれませんが、ガイア様にとって森林の樹木というのは皆様の纏われる衣服であり、体毛である。 ガイア様が体温調節をされるのに欠かすことの出来ないのが樹木でございます。 その樹木がもう長年に渡ってどんどん伐採され、あるべき所にあるべき物がどんどん無くなっていってというように瀕死の状態なのです。 

皆様がご病気になられて瀕死の状態とまではいかなくても、そういう状況になったら、先ず、それを治そうとご自身の体が一生懸命戦いますよね。 それが発熱だったり、吐き気をもよおしたり、くしゃみをしたり、咳がしたりはまだ軽いほうですが、あるときは多量の血を吐く−吐血−ということもございます。 そういった皆様の体に起こっていることがくしゃみ、発熱、そういったことが自然現象と考えてください。 

そういう意味で皆様の目から同胞の貧しい国、それも幼き子供達までがあのように一瞬のうちに命を亡くす。 何と悲しいこと! それはそうなのです。 しかし、このまま地球の人口がどんどん増えていってもうガイア様はいまの状態でそれ以上人類を養っていく力はお持ちになられません。 自然の法則なのですよ。 

こういうことは何も今度初めてではありません。 そしてこれもほんの始まりだと考えられたほうが宜しいかと思います。 ただ、私どもはむやみやたらに「もっと酷いこういうことがこういう形で起こる」と皆様の恐怖心を掻き立てるつもりは無いのですが、今後、何が起こっても平常心−平穏な気持ち−と優しさを持って生きるよう心がけてください。 
しかし、突然の災難に見舞われて実存界に戻られた魂ですが、それは計画の中に入っているのですよ、オッター。 残酷に見えるかもしれませんが、人類だけではないのですよ。 ある時にはある種族が、動物が全滅したりとか、調和が崩れたときにそういうことも起こります。 これを天災と呼ばれる。 しかし、人災でもあるのです。
宜しいでしょうか?

オター: はい。

ヨユメ: 他に質問はございますか?

トコロ: 今、突然の災害に見舞われて、実存界に戻った魂は計画の中にあると仰いましたが、魂の中でもそれを選んでこちらに来た魂もあるのですか?

ヨユメ: そういうことでございます。

トコロ: 計画というのはそういう事ですね?

ヨユメ: そうです。

トコロ: そうすると、そうであれば所謂、幽界にいて、あちらにいけないということは無いのですか?

ヨユメ: それはまた違います。 それを話すとね、少し長くなり、シャマナが食べ過ぎましたので体調が良くないのでどこまで持つかですが。 

その前にもう一つ、こういう天災、災害が起こる、不幸なことが起こって沢山の人が亡くなる。 そうしますとね、皆様方の世界からは「嗚呼、悲惨なこういう事が起こって!」、人によっては「あ!これはなにか天罰として起こっているのではないか」と考えられるのですが、先ずは、天罰などはございません。 それは皆様方ご存知ですよね。 
それどころかその人災の原因を作ったとは無関係の、むしろ波動の高い地域でそういったことがけっこう起こるのですよ。 それも、もともとそういった使命を持って、選んで降りてくるということは尊き魂しか出来ない。
楽しくも無い、辛い思いをする為だけに生まれてくるというのは勇気のいることでございますよね。 そういう事で勇気のある魂が降りてきていることが多うございます。
そういう意味で自ずからそのような波動をもった人が集まっている。 これまた、説明を正しくしておかないと、こういう言い方をしますと、皆様の中には不幸がある、そういう惨事があれば「あそこは波動が高い!」と決めてしまわれますから、ようく気を付けて、そう簡単に、単純に決めつけないでくださいよ。 

人災と申しましたのは皆様の想念とか行いとか色々なことがガイア様の健康を害するような結果を産みます。 そしてそれが出てくるのが必ずしもそういう原因を作った人たちとか場所に出てくるのではないのです。 そういう原因を作った人というのもおかしいですが、人としておきましょう、その方が理解され易いでしょうから、そういう人達というのはつらい生き様をかってでるような魂ではございません。 夫々に違う使命がございますね。 その方達はそのような使命を選ばれないのです。 良い悪いを言っているのではありませんよ。

そうしますとね、それではそのような勇気ある魂は全部こちら−実存界−に帰って来た場合はすぐ光の国に行ったのか? 「そうです」と言えば皆様の気持ちは幾分救われるのでしょうが、それではまた、嘘になります。
そのような尊い使命を持って、勇気ある魂を持って降りて来られてもそこに来るまでの生き様−想いですね−それによってまた変わってきます。 ただ死が怖い、死というものを怖いものだと怯えながら死の恐怖に苛まれて、永い間病と闘いながら死にたくない、死にたくないと言って亡くなる方は生に対する執着があって、暫く光の国に行けないことが多うございますが、それとてもこちらに戻って来た途端、肉体が無いので病苦から開放され、比較的早い時期に光の国に行かれる方もいらっしゃれば、こういうふうに苦しみ、あっという間に、苦しむ時間も無くこちらに来られた魂もそのまま光の国に行かれた魂も沢山あるのですが、何が起こったか訳がわからない、そして住んでいた地域をうろうろされて、自分に何が起こったか、気づかれるまでは光の国にいけないのです。 

それで説明になりましたかね? こちらに戻ってこられればすぐわかることなんですけどね。 以前、何度も行ったり来たりされているのですが、それも思い出せませんしね。 それで宜しいのですよ。

トコロ: 気づくまでは光の国に行けないというのはその人が、その人自身が気づかなければいけないんですね。

ヨユメ: まずはね、皆様の言葉で、簡単な言葉で言い換えますと、「もう自分は肉体が無くなったのだ」そんなことは簡単な事で、それに気づかぬはずはないと思われるでしょうが、意識はそのままあるわけですから肉体がなくなった事が納得できない、分からない。 そして本当に信じられないでしょうが、実存界に戻って来られて肉体が無くなってもう食べる必要も無い、お腹も空かないはずなのに「お腹が空いた、お腹が空いた」と言って食べ物を探し回る霊もあるのですよ。 
先ずはその辺の気づきからなのです。 ですから皆様のように肉体を持っていらっしゃるうちに実存界に帰るということは皆様の言葉で言う死とはどういうものか正しく理解していらっしゃれば、そういう事はすぐお分かりになる、なり易いと言うべきでしょうか。 本当に生きていたときと同じように色々な物を求めて走り回っている、そういう霊が沢山いるのですよ。 本当に沢山いるのですよ。

トコロ: そういう霊に私たち何かできることはあるのでしょうか? 

ヨユメ: なかにはそういう霊を光の国に送る力を持った方もいらっしゃいます。 皆様は同じ肉体を持ったお仲間にさえお導きができないではないですか。 皆様より進んだ、皆様よりは少し先を見通せるそのような霊をお導きするというのはかなり高度な霊力をお持ちでないと無理でございます。 天使の中でも大天使にあたるお役目を持って降りてきておられる方々ですね。 しかし、皆様方で出来ることはこれから起こるかもしれないどの様な状況でも穏やかに優しくいるということ。 即ち死を恐れない、死は恐れる必要のないものだと、そういう真理を広めることだけでも人を助けることになります。 そういう方が実存界に戻られるときは光の国に行くことは容易いですよね。

他に質問はございますか?

それからですね、瞑想の前に大食をしないということと、それから後でシャマナに次回、かの地に行きましたら此度は自分の体を気遣ってあれこれするのみならず、必ずmagnetic healingを行うように伝えてください。 宜しいですね。 お願い致します。
それでは皆様、ご機嫌よう。