背後にある意図

同じ行動をとっても、その背景にどういう意図をもっているかで、後の結果が大きく変わってくる。

例えば、「物質欲と霊的向上」の章にもあるように、あなたがお金儲けをしたいと考えている場合、その儲けたお金をどうやって使うかという動機が大切になる。

ただ単に、自分の物質的生活の欲のために使うのでは、意図としてはお金を活かしているとは言えない。同じお金を遣うのでも、「よいサービスや製品を提供してくれる業者に対して、感謝の気持ちをこめて自分の持っているお金を分け与えよう」という気持ちをもって遣うのとでは、同じ「買う」という行為であるが、ただ単に自分が欲しいから買うという行為とは、後の結果に大きな違いをもたらすことが多い。

これは、その想念と行為がカルマをつくり出すためである。

カルマとは、自業自得の業のことである。善因善果・悪因悪果と言われるように、「よいことをすればよい結果が返ってきて、悪いことをすれば悪い結果が返ってくる」という単純な原理である。

これは、潜在意識という次元の宇宙が、人の意識にある想念や行為に対してバランスをとろうとすることで起こると考えられる。

「自殺とは」の章にもあるように、自分が苦痛や苦悩から逃れたいために死を選ぶ場合と、他人のことを思いやって、愛ある選択として死を選ぶ場合とでは大きく違ってくる。

「判断の基準」の章と重複するが、何か決断に迷った際はその選択をすることによって、誰が傷つき、誰が喜ぶか、愛を基準にして判断することの大切さを教えられた。ここでは、自己中心的な考えから逸脱し、他人のためになると信じて愛のある意図をもって行動に移すことの大切さを改めて自覚したい。

愛についてはさらに、メッセージで次のように説明がある。

「世の中すべての人が自分の一部であると思えるようになってこそ、本当に人様に愛を注げるようになるのです。」

つまり、自分と他人は身体こそ分かれているが、時空を共にしている生命体であり、深い意識(潜在意識の宇宙)では一つにつながっているという了解をした上で、境界線を引かずに接することができて初めて愛を注ぐことができるということである。

世の中にはこうした啓発的な精神論を学ぼうとすらしない人が多い。それは、事実というより惨事であるかもしれない。しかし、「そうだからといって、そういう人を批判してもいけません」とメッセージは教えてくれている。

「裁定の危険性」の章にもあるように、人を見下して判断することは霊的真理に反するのだ。それよりも、もしそういう方たちに遭遇した場合は、その人たちの成長と幸せを願い、自分が手を下さなくとも相手の守護霊様に語りかけてみるとよいそうだ。守護霊様に語るといってもただ祈るくらいしかできないが、想念の力は侮れない。

それらの想念はやがてよいカルマとなって、よい結果と幸せをもたらしてくれるに違いない。

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