唐突に「自殺」と言われて、ギョッとされた方もおられるでしょう。
近年、近代文明の発展とともに、自殺者は年々増加しているようです。
日本では、年間の自殺者数は3万人を超え、交通事故死亡者の4倍近くにもなるというデータが出ています。
しかし、ここではなぜ自殺者が増えているかということは問題ではないのです。
自殺とは霊的な見地からはどういうことか、考えてみます。
一つの霊的な見方としては、次のようにも考えられます。
「生まれてくる前に自らが課した人生の試練に負けて、物質世界での苦しみから逃れるために死を選択して実存界に帰ること」
確かに、一般的な自殺はこれに該当する。しかし、これでは自分のことしか考えていない、非常に利己的な行動ということになってしまいます。
自殺に対するもう一つの見解を、メッセージでは次のように伝えています。
「自分が犠牲になることによって、多くの人が助かるとか、周りの人を気遣って命を絶つような場合は、ご大霊の意思に沿うものとしてみなされます。」
つまり、自殺がよいか悪いかについては、「判断の基準」の章で述べたような、愛を基準としたものかどうかで判断できるということです。
例えば、昔の日本の侍が、自分の名誉のために切腹するなどは、自己保存的なエゴそのものの考えに基づいており、(地獄界のような)波長の低い世界に同調し、引っ張られてしまいます。しかし、不治の病にかかり、周りで看病する家族の辛さを開放してあげたい一心で、やむなく自殺を決意するような場合はどうでしょうか。ただ自分が病の苦痛から逃れたいために自殺することと、見た目はまったく同じですが、背後に愛があるか、エゴがあるかは一目瞭然です。
しかしながら、他人のために命を投げ出すということは、並大抵のことではできません。普段から魂や霊についての理解を深め、いつも他人に親切にしようとか、他人のためになることを心がけ、無私の生き方を心がけていなければ、なかなか決心できないことです。 自分が苦痛や苦悩から逃れたいときには、喜んでとは言わないまでも、簡単に命を絶つ人が多いのですが、せっかくご大霊から分け御霊をいただき、学びのために生まれてきているのですから、命に関わる、関わらないは別として、世のため人のためになるような価値を見出し、生まれてきた目的を生かせる人生にしたいもです。