「なぜこのようなことが自分に起こるのだろう?」
誰しも、不幸が続いたり、大きな災難に見舞われたときにはこう思うに違いないありません。
「ひどい目に遭った」と感じる出来事が起こるのには、2種類の原因があるといいます。
1つは、自分で間違ったことをしたため招いた、もしくは悪い想念を抱いたために起こった結果、つまり因果応報によるものであります。
仏教をはじめ、多くの宗教や哲学書では、このことを説明しています。
ところが、実はもう1つ原因となる場合があるようです。
それは、われわれ一人一人に与えられている使命に関係があるといいます。
使命を建築でいう「設計図」に例えてみましょう。
すべての建物が建てられる前には、必ず図面が必要なように、今回の人生の計画が立てられる前には、その設計図があったはずです。人生の設計図、すなわち使命を持って転生しているわけです。
「今回の人生では、私は○○をします」という約束をして、実存界から降りてきます。しかし、その記憶は持たされません。記憶があれば、学びにならないからなのです。そして、わかってしまったら、そのことしかしなくなってしまうからでもあります。
この物質世界に生まれて、いろいろなことを経験しながら学んでいくわけですが、その設計図は、魂の奥深くにしまわれています。だから、ほとんどの人がそれに気付かずに生きているのです。
そして、その設計図にないことをしていると、軌道がずれていってしまうことになります。しかし、それに本人が気がつかない場合は、その人についている指導霊・守護霊が「黙って見過ごして、取り返しのつかないところまで行く前に救ってあげましょう」というわけで、軌道修正をされることがあります。
これには、大変なエネルギーを使われるそうですが、これは指導霊・守護霊からの愛のエネルギーなのです。
しかし、この次元では、軌道修正によって起こる出来事を不幸と呼んでいることが多いのです。例えば、病気になったり、怪我をしたり、事故に遭ったりと、俗に「バチがあたった」と言われることです。
こうした軌道修正によって起こる出来事は、通常では考えられないことであったり、自分のコントロールできないことであることが多いようです。
起こった災難が、自分が間違ったことをして招いた結果であるのか、それとも軌道修正をさせられようとして起こったのか、見分けられることも大切でありますが、原因が軌道修正のイベントである場合、それだと気がつくような落ち着いた心を持っていることも大事であります。
もっと言えば、軌道修正をされずに済むように、日頃から瞑想を続け、設計図から外れないように心掛けることが望ましいのです。これが、各人が幸福になる条件なのであります。