「はじめに言葉ありき」
キリスト教の聖書にはそう書いてある。
ここでいう「言葉」というのは、われわれ人間が話している言語のことではなく、「意識」という意味に捉えるのが適切だ。宇宙創造主の意識といってもよいだろう。これを彼の次元では「全知全能の創造力」と表現している。
この全知全能の創造力の波動は、宇宙に流れる河のように一種の音として宇宙全体に及んでおり、いろいろな相を呈しているそうだ。その中の一つの相が「時間・空間」を形成している。
時間と空間はわれわれの住む3次元世界にしか存在しないものであるが、では時間とは一体何であろうか。空間とは何であろうか。
この答えは、現在の地球の優れた科学者でさえも明確に説明することは不可能といえるだろう。
科学的に解明することは、彼の次元においては造作もないことであるが、われわれの理解の及ばない範囲であるため、ここでは観念的に教示された定義を述べてみよう。
「時間」とは「もともと永遠なるものに変化を与える観念」
「空間」とは「もともと一体であるものに区別を生じさせる観念」
つまり、時間とか空間というものは、もともと永遠一体のものに人間が観念により、変化や区別を生じさせているものということになる。
もっと解りやすく言えば、同じ1分でもある人にとっては短く感じたり、別の人にとっては長く感じたりするという相対的な感覚の違いがあるということである。
一般的にみて、楽しいときを過ごしている状況ではあっという間に時間が過ぎてしまうが、つらい時や嫌なことをしている状況の時間というのは長く感じるという経験がおありであろう。 ということは、同じ1分という区切りの中にも無限の時間が存在しているのであり、それは永遠という状態が変化した一部にしか過ぎないということである。
空間もまたしかりで、同じ6畳間の部屋でも、ある人は広いと言い、ある人は狭いと言うだろう。 この空間も、もともと一体であったものに人間が勝手に観念的に区別をして、「ここは私の土地だ」と言い張っているに過ぎないということになる。
そう考えると、こうして地球という物質世界の修行場に肉体をもって生まれてきて、魂の修行を積むべきわれわれが、その土壌を一時的な借り物と捉えずに、「ここは私のものだ」と自分の土地にしたがる様は、高い次元から見れば「心得違いもはなはだしい」ということになろう。
ここまで、「全知全能の創造力」「時間・空間」が説明されたわけであるが、この物質世界がどのようにして形成されているかという考察に話を発展させると、それらに加えて「宇宙原子」という概念が入ってくる。
宇宙原子とは素粒子(実際には現在の地球で考えられている素粒子よりももっと細かい単位の粒子)の観念であり、物質を生じさせる種のようなものだそうである。
「全知全能の創造力」「時間・空間」「宇宙原子」が作用して外的諸現象をつくりだし、可視的世界を構成する。再度述べておくが、これらの説明はすべて彼の次元からのものである。
さて、この可視的世界がわれわれの住む3次元世界であるが、大雑把な定義において4次元世界というのは、心の世界であり、これは目に見えない世界である。
心は宇宙原子(粒子が物質化される前の観念)が、全知全能の創造力の愛のエネルギーによってある種の磁気を帯びて形成される。その現象を「霊化」と呼び、霊化した心を「理性」と呼ぶ。
理性は、霊的真理に近づこうとするプラスの性質を持った宇宙原子によって構成される心であり、その逆、つまり霊的真理から反れようとするマイナスの性質を持つ宇宙原子によって構成される心を感覚意識という。 そしてこの感覚意識は、自我意識を宿らせた自己保存的な性質を伴うのである。
一方、心はプラス・中性・マイナスの3つの属性を持った5つの宇宙電気(合計15種類の性質)を放出し、固体・液体・火・気体・エーテル体という5種類の物質が形成される際にそれぞれその15種類の性質が作用するという。 詳しい説明は省略するとして、このように物質や肉体へは、心の要素が密接に関係しているということを頭に入れておく必要がある。
時間と空間の概念からは話が逸れてしまったが、われわれの住む物質世界がどのようにして構成され、またそこに存在する肉体がどのように影響を受けるかという点において、理解が深まったのではないだろうか。
時間・空間を超えた、目に見えない愛のエネルギーを意識して心の在り方を定めていくことが大切なのである。