もしわれわれの魂が、偉大なるもともとの魂(エネルギー)から分かれて、それぞれに使命を与えられ、物質世界と精神世界での転生を繰り返しながら進化向上するように定められているとすれば、なぜ人間として地球に生まれてきているほとんどの人がその「使命とは何か」がわからないのでしょうか。
その疑問を考察する前に、まず「使命がある」と気づいている人は意外に少ないようです。
「私は一体何のために生まれてきたのかわからない」
使命があることに気がつかないと、人生の目標設定ができずに、ついその場しのぎの一時的な快楽を求めて生きてしまいがちです。
使命とは、人生におけるそのときそのときのゴールであり、目的設定です。しかも本当は、今生に生まれる前に、ちゃんと自分で設定してきているものらしいのです。そして、使命に関わるイベント(事象)が起こるときには、必ず自分に選択の余地が与えられており、そのときの選択により、その後の人生が変わってくるとのことです。
よい選択をすれば、よい人生となり、使命成就から離れていくような選択をすれば、その使命を全うするまで、そうしたイベントは発生しつづけることになります。それは、今回の人生で起きない場合は、次回転生してきたときに起きるそうです。
これは「カルマ」とも関わっており、作用したエネルギーと同等のエネルギーによってバランスをとろうとする宇宙の法則に則っています。だから、偶然ではなにも起こり得ないのです。
それでは、なぜ自分で設定してきた使命が物質世界で生きている間にわからないのでしょうか。
彼の次元からのメッセージでは、これを次のように説明しています。
「みなさまの世界で、自分の使命が何か、わかる方はいらっしゃいません。それは、もし私の使命は○○ですとわかってしまえば、それしかやらなくなるからです。」
メッセージは続きます。
「生まれる前にご大霊に『使命を果たします』と約束してきたことは、(生まれてきてから経験したことを記憶する)左脳は覚えておりませんが、右脳や魂は覚えているのです。みなさまも、今までの人生の中で何かをしたときに、魂が打ち震えるような喜びを感じたことがあるはずです。それが(使命とは何かを)教えてくれているのです。」
例えば、お金をもらっても、本当にうれしいのは「お金」ではなく、その施しをしてくれた人の「気持ち」であり、もしお金という物質的なものそのものにフォーカスがある場合、喜びが永続的に満たされることはありません。
それは、お金、車、家、衣服、肉体といった物質世界のものが、使命成就のための道具であり、それらへ注ぐエネルギーは、それらがあるうちは存在するが、なくなってしまえばそのエネルギーもなくなってしまうものであります。
また、人に何か親切をするときにも、「してあげている」と考えるよりも、相手の役に立つと信じて行い、それをしたことによって、相手が喜んでくれたときに、自分が得られる喜びを感じる方が、どれだけ充実感を得られるかわからないものです。
その選択の余地は、自分にあるのであって、本当に小さなことでも、思うだけでも正しいと感じる選択をすることが大切なのです。